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November 13th, 2011 Vol.18 No.46
平和を作る人になる  ヤコブの手紙8(4:1-12)

A. 争いを起こす人と平和を作る人

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
(マタイ5:9)

1) 争いが起こる理由(1-4)

何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。


先週の最後の一節を覚えていますか? 義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。(3:18) 平和や正義を実現するためにも、「上からの知恵によって歩もう」とお話ししました。今週は、特にその知恵によって平和を作ることについて学びましょう。ヤコブは争いが起こる原因から話を始めています。それは私たちの誰もが持っている互いに争いあう欲望です。聖書には欲望と訳されている言葉が幾つかありますが、ここでは特に悪い意味(邪欲)を持つ言葉が使われています。欲すること、望む事自体が悪いことなのではありません。争い合わなければ手に入れられない欲望が問題なのです。そのようなものは自分で手に入れようとしてはいけないのです。 ここで注目したいことは、「得られないのは願い求めないからです」という言葉です。何でも求めて良いのです。但し、それは他の誰かからではありません。神様に願い求めなさいということです。そして神様は、あなたに本当に必要なものなら喜んで与えてくださるのです。イエス様はこの世の罪人の友となるために来てくださったのですから、ここでいう世の友となるとは、この世界、社会を愛してはいけませんということではありません。そうではなく、この世界を支配している欲望追求の原理に身を任せてはいけません。それは神の敵となることですと言われているのです。 この欲望追求の原理が、戦争から、夫婦げんか、兄弟げんかまで、社会のあらゆるレベルで争いを起こしてしまうのです。


2) 平和を作る人になれる理由 (5,6)

あなたはトラブルメーカーになりたいですか?ピースメーカーになりたいですか?たいていは、来るとなにか悪いことが起こる人と思われたくはないですね。5,6節にあなたが平和を作る人のなれる理由が書かれています

それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、もっと豊かな恵みをくださる。」それで、こう書かれています。「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる。」


ヤコブは、イエス・キリストとして御自身を現された神様の愛がどれほど深いかということを、旧約聖書的な言い方で(ここは特定の箇所の引用ではありません)表現しています。神様はあなたを、ご自身が造り、息:霊を吹き込んだものとして「妬むほどに」愛しておられます。 あなたは、人々に平和を与えようとしておられる神様に特別に愛され、豊かに恵まれている者なのですから、平和を作る人になることができます。そのことを思い出して、神様を軽んじる高慢な生き方をせず、謙遜に歩むなら、神様はさらにあなたを恵まれます。本当の平和は、単に争いのない状態のことではありません。人々は微妙なバランスによって戦闘が起きていないことを平和と呼びますが、それは神様が与え用としておられる真の平和ではありません。本当の平和は神様の介入なしには実現しません。 2000年前、神様は、一人の人イエスとして介入して下さいました。

ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神永遠の父、平和の君」と唱えられる。
イザヤ9:5
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」 ルカ 2:14
わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。 (ヨハ 14:27)

謙遜に神様の介入を望む人の中に平和は実現します。言い換えるなら、イエス・キリストに従うことによって心の平和を得たものが、自分の周りに平和をもたらすことができるということです。


B. 平和を作るために必要な


1) 神様との関係(7-10)

だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます。


こう勧められているのは、人々が悪魔に服従し神様に反抗しているからです。そのままでは、悪魔はあなたから離れず、神様はますます遠くなってしまいます。私たちには自由意志が与えられています。悪魔に近づくことも、神様に近づくこともできるのです。私たちには、喜ぶべきこと、楽しむべきことがたくさん与えられています。しかし同時に、悲しむべきこと、嘆くべきことも多いのです。神様は、何でもかんでも感謝して喜び楽しみなさいと命じているわけではありません。自分が神様から離れた状態にあるなら、それに気づいて、嘆き悲しむべきなのです。ヘラヘラと笑っている場合ではないのです。喜びの中で、いろいろな境遇にある者たちが共に神様に近づいてへりくだる。それこそが私たちの捧げる礼拝です。


2) 人々との関係 (11,12)

兄弟たち、悪口を言い合ってはなりません。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟を裁いたりする者は、律法の悪口を言い、律法を裁くことになります。もし律法を裁くなら、律法の実践者ではなくて、裁き手です。律法を定め、裁きを行う方は、おひとりだけです。この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか。


私たちは、喜ぶものと共に喜び、悲しむものと共に悲しむ、楽しむことも、苦しむことも分かち合う者とされているのではないでしょうか?イエス様はそのような方でした。あまり評判の良くない人々との宴会を楽しむ一方で、悲しみや苦しみの中にある人々を憐れみ、涙を流されました。イエス様に従いたいのなら、悲しむべきこと、嘆くべきこと、憂うべき事柄から目を背けないで、イエス様と共に取り組みましょう。そのような歩み方と、悪口を言い合ったり、裁き合ったりするのは正反対の生き方です。


メッセージのポイント

争いの起きる原因は誰でもよく知っています。しかし争いは続いています。それをどう解決するかという事について答えはないのでしょうか?2000年前、イエス・キリストは御自身の生涯と死を通して答えを下さいました。この方に従い、その生き方を倣うことが平和を作る人になる唯一の方法だと聖書は教えます。イエス様は神様との関係も、人々との関係も一人の人間としてやって見せて下さいました。このイエス様に従って平和を作り出す人になりましょう。

話し合いのために

1) 世の友となるというのはどのようなことを指すのでしょうか?
2) どうしたら平和を作り出す人になれますか?