<メッセージノート>

August 5th, 2012 Vol.19 No.32
目を覚ましていなさい (マルコによる福音書 13:28-37)
A. 終末について知っておくべきこと
1) 終末はすでに始まっている (28,29)
「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。(28,29)
 
2) 天地は滅びても主の言葉は滅びない (30,31)
はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」 (30,31)
 
3) 神様はその日を具体的に予告されることはない (32,33)
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。 (32,33)
 
B. 終末に備えてするべきこと
1) 目を覚ましていて、自分の役割を忠実に果たしていること(34-36)
それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。(34-36)
 
2) すべての人が目を覚ましていられるように伝えること(37)
あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」(37)
 
メッセージのポイント 「終末」に関して私たちは知るべきことを知ろうとせず、知らなくても良いことを知りたがる傾向を持っています。イエス様が来てくださったことで、すでに終りの時は始まりました。 そのことを悟ることを求められています。しかし最後の最後がいつ来るかということは知る必要がないのです。ただ必要なのは終りの時代にふさわしく、与えられた務めに忠実に生きることです。

話し合いのために

1) 天地が滅びても滅びないものは何ですか?
2) 目を覚ましているとはどのような態度を指していますか?

<MP3 音声>

<ビデオ>(画面をクリックすると再生が始まります)

<メッセージ全文>

August 5th, 2012 Vol.19 No.32
目を覚ましていなさい (マルコによる福音書 13:28-37)
A. 終末について知っておくべきこと
1) 終末はすでに始まっている (28,29)
「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。(28,29)
「これらのこと」とは先週お話した、終りの時のしるしのことですイエス様はこのことを2000年前に私たちに伝えたのです。2000年たってもまだ起こらないことをです!しかし始まっていないのは「終りの終り」であって、「終りの時」はすでに始まっているのです。「終りの時」は神様がイエス・キリストとして、この世界に来られ、十字架と復活によって神様と人との和解を完成して下さったことによって始まりました。それは、聖霊に満たされて教会が始まった時でもありますから、「教会の時代」と言ってもいいのです。イエス様として目に見える姿でのミッションを終えられたイエス様は、彼の霊である聖霊を送ってくださり、聖霊は教会の歩みを支えてくださっています。「終りの時」はまた「聖霊の時代」とも言えるのです。私たちには、秒針の動きはわかっても、分針や時針は止まっているようにしか見えません。それらと同じように「終りの時を刻む針」は確かに終りの終りに向かって進んでいるのです。
 
2) 天地は滅びても主の言葉は滅びない (30,31)
はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」 (30,31)
それでは終りが来たらどうなるのか?天地、すなわち全てのものは滅びます。しかし、イエス様の言葉は滅びません。私達がイエス様の言葉以外のすべてのものに頼っているなら、私達はそれらとともに滅びます。しかし、イエス様の言葉に頼っているなら、それをしっかりと掴んでいるなら、滅びないのです。私たちの肉体は有限でも、魂は滅びることがありません。物質や時の概念を越えて、イエス様と共にいることができるのです。
 
3) 神様はその日を具体的に予告されることはない (32,33)
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。 (32,33)
 
神様は誠実な方です。こうおっしゃる限り、誰にもこの情報を漏らそうとはなさいません。ですから、神様とインサイダー取引をして情報を引き出すことはできません。終末について、また天国の様子についてまことしやかな言説を口にしたり書いたりする人を信用してはいけません。彼らは、自分の妄想や、自称預言者の偽預言を神様からの啓示と言い張って人の心を惑わし、かえって私達がこの時代になすべきことから目を離させる結果を招くだけなのです。

B. 終末に備えてするべきこと
1) 目を覚ましていて、自分の役割を忠実に果たしていること(34-36)
それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。(34-36)
 
ここでわかることは、目を覚ましているというのは、目を開いてよく観察しているという事ではないということです。目を覚ましているとは、終末が来ないかと心配してきょろきょろと周りを見回していることでも、聖書と世に起こる出来事を関連させて推測し、具体的なことを知ろうとすることではありません。そうではなく与えられている働きを忠実に続けることなのです。先週、それが近くても遠くても私たちのプライオリティーは変わらないとお話しました。それはなんでしょうか?覚えていてくれていますか?愛することですね。来週のテキストは、この愛するという事の本質をよく考える事のできる部分なので、ここでは触れないでおきます。

2) すべての人が目を覚ましていられるように伝えること(37)
あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」(37)
 
目を覚ましているということの中には、自分が目を覚ましているだけでなく、人々に「目を覚ましていなさい」と伝えることが含まれています。だから私たちはイエス様を紹介するのです。終末への時を刻む針が動いていることを知らない多くの人々が私たちの周りにいます。起こってくることに一喜一憂しながら、本当の時の流れには気づくことなく、終りが来るかもしれない、あるいは自分の命が今日までものかも知れないということも直視することなく、自分の思いのおもむくままに、日々を過ごしています。「終りの日」を伝えられた人々は、それがすぐに起こらなくても何世代にもわたって、今までこのことを伝え続けてくれました。だから、私たちはイスラエルから遠く離れたこの国でも、イエス様を知ることが出来ました。目を覚ます事ができました。互いに目を覚まし続けていようと励まし合うとともに、私たちの周りの大切な人々が、神様の愛に目を覚ますことができるように伝えてゆきましょう。

メッセージのポイント 「終末」に関して私たちは知るべきことを知ろうとせず、知らなくても良いことを知りたがる傾向を持っています。イエス様が来てくださったことで、すでに終りの時は始まりました。 そのことを悟ることを求められています。しかし最後の最後がいつ来るかということは知る必要がないのです。ただ必要なのは終りの時代にふさわしく、与えられた務めに忠実に生きることです。

話し合いのために

1) 天地が滅びても滅びないものは何ですか?
2) 目を覚ましているとはどのような態度を指していますか?