<メッセージノート>

2013/6/23 使徒言行録11:19-30
キリスト者

A 2つ目の教会の誕生


1) 迫害から逃れて良い知らせを伝えた人々 (19-21)

ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。 しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。 主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。(19-21)



2) バルナバが派遣されて教会となる (22-24)

このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。 バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。 バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。(22-24)



B 2つ目の教会の活動

1) キリスト者と呼ばれた弟子たち (25,26)

それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。(25,26)




2) ユダヤの教会を援助するプロジェクト (27-30)

そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。 その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。 そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。 そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた。(27-30)



メッセージのポイント
アンティオキアのイエスに従う人々のグループは、エルサレムの教会以外で初めて教会と呼ばれました。それは立派な宣教計画によってなされたというよりエルサレムから迫害を逃れてたどり着いた人々や他の地域からやってきた人々の、イエスを人々に知らせたいという自然な願いから起こりました。その熱心さは、エルサレム教会から派遣されたバルナバの指導で、間違った方向に行くことなく発揮されたので、周囲は弟子たちを「キリスト者」「クリスチャン」と呼び始めました。それは、「キリストに夢中になっている連中」というほどの悪口でしたが、弟子たちは「キリストに夢中になっている」ことを恥ではなくむしろ誇りと感じていました。ユダヤ人ばかりのエルサレムの教会に比べるとアンティオキアの教会は様々な背景の人が集う国際的な教会として、イエス・キリストの福音が全世界に広がってゆくために力を発揮しました。様々な人が集うことによって視野が広がり、内向きにならず、常識にとらわれなかったので、神によく用いられることができました。ユアチャーチも同じ恵みをいただいています。私たちも用いていただきましょう。

話し合いのために
1) なぜアンティオキアに教会ができたのですか?
2) キリスト者とはどのような意味が込められていますか?

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<メッセージ全文>

2013/6/23 使徒言行録11:19-30
キリスト者

A 2つ目の教会の誕生


1) 迫害から逃れて良い知らせを伝えた人々 (19-21)

ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。 しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。 主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。(19-21)


主を信じる人がこれ以上増えないように起こされた迫害が、かえって彼らの活動範囲を広げさせ、多くの人が主に立ち返るという、迫害者にとっては皮肉な結果となりました。エルサレムで信じた人は各地に散らされ、そこにいるユダヤ人だけにイエスを紹介していました。フェニキアは現在のレバノンです。アンティオキアの位置は前に確認しましたが、地中海に注ぐオロンテス川を35キロ遡ったところにありました。ローマ、アレキサンドリアにつぐローマ帝国第三の都市で当時でも100万人ほどの人が住んでいたようです。このアンティオキアが次第にエルサレムに並ぶイエスを信じる人々のセンターになって行きます。キプロス島や今の北アフリカ、リビアにあった町キレネ(イエスの十字架を代わって担がされたシモンの出身地<マタイ27:32>)などからイエスを主と信じたユダヤ人もやって来ました。そしていよいよ本格的にギリシャ語による、ユダヤ人の枠を超えた、イエスを伝える働きが始まり、多くの人々が主イエスに従う歩みを始めたのです。
アンティオキアには私たちが新しい家族を迎える時と同じ喜びがありました。心に留めておきたいことは、迫害という辛い出来事を通して、この喜びがもたらされたということです。皆さんが主を信じるまでのプロセスの中にも、様々な苦しみ、悲しみを通して、自分の無力を知り、素直に主をもとめることができた、という面があったはずです。私たちは、そのようなところを通され、変わらない喜びに至りました。そして今ここに集められ、アンティオキア教会のように新しい働きを期待されているのではないでしょうか?災いと思われることはこれからも起こります。しかし私たちにはこのような聖書の証言と経験に基づいて、すべての災いを主は益と変えて下さると断言できるのです。




2) バルナバが派遣されて教会となる (22-24)

このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。 バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。 バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。(22-24)


アンティオキアの働きをサポートし、間違った教えが入り込むことを防ぐためにエルサレムの教会はバルナバを派遣しました。エルサレム教会からも信頼され、キプロス出身という背景を持つバルナバはアンティオキアの勢いを削ぐことなく同時に、主イエスの教えに忠実に歩むことを教える指導者として適任でした。 21節で「信じて主に立ち帰った者の数は多かった。」と言っているのにここでまた「こうして、多くの人が主へと導かれた。」と繰り返しているのは、バルナバの優れた資質と、その働きが適切であったことを強調するためです。 誰かにイエスを伝え、神の家族を作るためにはバルナバが持っていた資質が必要です。それは、「立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」と書かれているように、そこの住む人々から尊敬されるような人格と、聖霊に満たされた熱心と確信をあわせ持っている、ということです。言い換えれば人々と感覚、常識を共有しながら、イエスの福音を熱心に正確に伝えることを目指そうということです。相手が受け入れやすいように福音を変形させることなら簡単です。(例えば福音ではなく、繁栄の神学=イエスを信じれば経済的に豊かになれます。というメッセージで人集めをするなら豊かになりたい人は群がってくるでしょう。また、相手の習慣や文化伝統を否定してメッセージを伝えることなら、多くの人に背を向かせることになります。どちらにしても良い実を実らせることはできないのです。どの時代であれ、どの国であれ、イエスを紹介するとき、バルナバが持っていたこの資質が私たちにも要求されます。私たちは自分たちの価値観を押し付けようとしているのではなく、イエスその人を紹介しているのです。このことに忠実であって初めて私たちは主の体:教会と呼ばれる資格があるのです。



B 2つ目の教会の活動

1) キリスト者と呼ばれた弟子たち (25,26)

それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。(25,26)

この25,26節が今日一番注目していただきたい部分です。ポイントは二つ、ひとつはパウロがバルナバによって働きに加わったこと。もう一つは「クリスチャン」という言葉が誕生したということです。バルナバの最大の功績はパウロをヘッドハントした事です。彼はパウロが、すべての人を弟子としなさいという主イエスの命令に応えるためのキーパーソンである事を見抜き、自分でタルソスまで出向いて連れ帰りました。その後のパウロの貢献は皆さんのよく知るところです。二人で教え始めたアンティオキアのグループはここで初めて書かれているように教会として認められていました。それはエルサレム教会に次ぐ史上二番目のキリスト教会の誕生でした。そして異邦人に開かれた最初の教会の誕生でもありました。
もう一つの重要なことは、ここで「クリスチャン」という呼び名が生まれたことです。日本語の聖書の訳のように「キリスト者」という呼び方は、重苦しく、最近ではあまり使われていません。クリスチャンでいいでしょう。しかしクリスチャンという言葉は、クリスチャン自身によって軽く扱われすぎているように思えます。それは信じる者が自称して始まったのではなく、周りがつけた呼び名です。それも悪口で「キリストに狂った奴ら」といった意味だったのです。しかし彼らはこの悪口を誇りに思い、自分たちでも使い始めました。あなたはそれほどにイエスに夢中でしょうか? 時々、私たちも最初に使われた意味でクリスチャンといえるかどうか自分の信仰を検証してみましょう。このような元々の意味でクリスチャンと呼ばれる者になりたいものです。しかしその一方で、「邪悪なイスラムには核兵器を使ってもいい」と公言する人や、「性的少数者は罪」と決め付ける人が、「私はクリスチャンです」と恥ずかしげもなく言っていることを思うと、一緒にされたくないとも思うのです。それで私は今のところ、FBでは自分を「イエスに従おうと努めている者」としているわけです。




2) ユダヤの教会を援助するプロジェクト (27-30)

そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。 その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。 そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。 そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた。(27-30)


アンティオキアの教会は生まれたばかりでしたが、すでにバランスの取れた教会であったことがこの部分でわかります。その使命は主に異邦人社会に向けてイエスを紹介することにありましたが、教会が地域を超えて互いの必要を満たし合わなければならないことも理解していました。そこで、困難な状況に置かれているユダヤ地方の人々を助けるために援助物資を送ったのです。このようにアンティオキアの教会は ユダヤ人ばかりのエルサレムの教会に比べると、様々な背景の人が集う国際的な教会として、イエス・キリストの福音が全世界に広がってゆくために力を発揮しました。様々な人が集うことによって視野が広がり、内向きにならず、常識にとらわれなかったので、神によく用いられることができました。キリストの体の他の部分に対しても必要な助けをすることを喜びとしていました。ユアチャーチも同じ恵みをいただいています。私たちも身近な人々にイエスを紹介するだけでなく、互いに仕え合うだけでなく(もちろんそれらが第一の働きではありますが)、地域、教派、国を超えた働きに用いていただきましょう。



メッセージのポイント
アンティオキアのイエスに従う人々のグループは、エルサレムの教会以外で初めて教会と呼ばれました。それは立派な宣教計画によってなされたというよりエルサレムから迫害を逃れてたどり着いた人々や他の地域からやってきた人々の、イエスを人々に知らせたいという自然な願いから起こりました。その熱心さは、エルサレム教会から派遣されたバルナバの指導で、間違った方向に行くことなく発揮されたので、周囲は弟子たちを「キリスト者」「クリスチャン」と呼び始めました。それは、「キリストに夢中になっている連中」というほどの悪口でしたが、弟子たちは「キリストに夢中になっている」ことを恥ではなくむしろ誇りと感じていました。ユダヤ人ばかりのエルサレムの教会に比べるとアンティオキアの教会は様々な背景の人が集う国際的な教会として、イエス・キリストの福音が全世界に広がってゆくために力を発揮しました。様々な人が集うことによって視野が広がり、内向きにならず、常識にとらわれなかったので、神によく用いられることができました。ユアチャーチも同じ恵みをいただいています。私たちも用いていただきましょう。


話し合いのために
1) なぜアンティオキアに教会ができたのですか?
2) キリスト者とはどのような意味が込められていますか?