<メッセージノート>

2014/1/12 使徒言行録 17:10-34
信じることと学ぶこと

A ベレアの人々の態度

1) 受け入れ、調べ、信じた (10-12)


兄弟たちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをベレアへ送り出した。二人はそこへ到着すると、ユダヤ人の会堂に入った。ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。そこで、そのうちの多くの人が信じ、ギリシア人の上流婦人や男たちも少なからず信仰に入った。

 

2) 教会が始まった (13-15)

ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、ベレアでもパウロによって神の言葉が宣べ伝えられていることを知ると、そこへも押しかけて来て、群衆を扇動し騒がせた。それで、兄弟たちは直ちにパウロを送り出して、海岸の地方へ行かせたが、シラスとテモテはベレアに残った。パウロに付き添った人々は、彼をアテネまで連れて行った。そしてできるだけ早く来るようにという、シラスとテモテに対するパウロの指示を受けて帰って行った。(13-15)



B アテネの人々の態度

1) 知識としてイエスの教えを聞きたがった人々 (16-21)


パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。そこで、彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。」すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである。(15-21)



2) 私達はエピクロス派でもなくストア派でもない (22-34)

パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあ なたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。皆さんのうちのある詩人たちも、『我らは神の中に生き、動き、存在する』『我らもその子孫である』と、言っているとおりです。わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」 死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。それで、パウロはその場を立ち去った。しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。(22-34)


メッセージのポイント
イエス・キリストに興味を持つと言っても、ベレアの人々とアテネの人々の間には大きな違いがあります。ベレアの人々の熱心さは、イエスが自分たちの生き方を根本的に変える力を持っていると感じ、それに自分たちが正しく受け止めるための行動が伴いましたが、自分たちの哲学に馴染んでいたアテネの人々は、自分の知識のコレクションの一つに加えるような態度でパウロの話を聞きました。哲学はそれぞれアプローチは違っても基本的に真、善、美を追求するものですが、彼らの根本的な問題は、人間が自力でそれらを極めることができないことを知らないということでした。私達はどのような態度で聖書の言葉を受け止めるべきなのでしょうか?

話し合いのために
1) ベレアの人々から学ぶべき点は?
2) エピクロス派、ストア派とはどのような人々ですか?

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<メッセージ全文>

2014/1/12 使徒言行録 17:10-34
信じることと学ぶこと

A ベレアの人々の態度

1) 受け入れ、調べ、信じた (10-12)


兄弟たちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをベレアへ送り出した。二人はそこへ到着すると、ユダヤ人の会堂に入った。ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。そこで、そのうちの多くの人が信じ、ギリシア人の上流婦人や男たちも少なからず信仰に入った。

 
 前回、パウロがテサロニケでイエスを伝えたことをお話ししました。多くのギリシア人、ユダヤ人がイエスに従う人となった一方で、それ以上に多くのユダヤ人は反対し騒動を起こしました。パウロはそこに留まることができなくなり、ベレヤという都市に移動します。テサロニケとベレアは一日で移動できる距離ではありません。途中の町で一泊して到着できるほど離れていました。おそらく中間に位置する町で一泊してベレアに到着したのでしょう。ここでパウロが教え始めるとすぐに、テサロニケの時よりも大きな手応えを感じたのでしょう。ユダヤ人とギリシャ人、男と女の別なく多くの人々がイエスに従って歩み始め、聖書をよく読み始めました。この時にはまだ新約聖書はありません。私たちも時々するように、旧約聖書の中から良い知らせを汲み取ってイエスへの信頼を増し加えていったのです。
ある人が、聖書を読んで全部理解したらイエスを信じますといったことがありますが、それでは一生信じることはできません。ベレアの人々の態度を参考にしていただきたいのです。ベレアの人々の熱心さは、イエスが自分たちの生き方を根本的に変える力を持っていると感じ、それに自分たちが正しく受け止めるための行動が伴いました。彼らは、パウロの紹介するイエスを受け入れました。その上で知識が増し加わり、素朴な信頼は確信に変わっていったのです。聖書の核心である、十字架による罪の赦しと復活を信じたなら、イエスに従う歩みをスタートしましょう。


2) 教会が始まった (13-15)

ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、ベレアでもパウロによって神の言葉が宣べ伝えられていることを知ると、そこへも押しかけて来て、群衆を扇動し騒がせた。それで、兄弟たちは直ちにパウロを送り出して、海岸の地方へ行かせたが、シラスとテモテはベレアに残った。パウロに付き添った人々は、彼をアテネまで連れて行った。そしてできるだけ早く来るようにという、シラスとテモテに対するパウロの指示を受けて帰って行った。(13-15)


ベレヤでの宣教は順調に行くと見られましたが、テサロニケでパウロの活動を妨害したユダヤ人たちはわざわざベレアまでやってきて同じようにパウロの活動をできなくしてしまいました。そこでパウロはアテネに向かうことになりましたが、シラスとテモテはベレアに残ったのです。しかしそれは長い期間ではなかったようです。というのは、パウロ自身が手紙の中で次の滞在地アテネからテサロニケにテモテを派遣したとありますし。使徒言行録も、アテネの次の滞在地コリントではこの二人と合流していることが記録されているからです。ベレアの人々がどうなったのか?これ以上聖書はベレアについて触れていません。私たちには確かな資料はありませんが、地元の人々が着実に教会を建て上げていったのだと思われます。というのは、パウロが、問題を抱えたテサロニケの教会にテモテを派遣した事(1テサロニケ3章)を考えれば、もしベレアの教会に問題があれば放っておきはしなかっただろうと考えられるからです。そしておそらくパウロは三回目の旅行でベレアを訪問しているものと思われます(使徒20:1-3)。マケドニアでの働きは、テサロニケ、ベレアそして他にもいくつかの教会を誕生させました。そしてその中でもベレアの教会は神の言葉への熱心さにおいては、どこにも引けをとらない祝福された教会として成長を続けたのです。


B アテネの人々の態度

1) 知識としてイエスの教えを聞きたがった人々 (16-21)


パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。そこで、彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。」すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである。(15-21)


 ギリシャは神話と哲学で有名ですが、特に当時のアテネは様々な神々の偶像であふれ、哲学的な議論をする人々が多く活動していました。ここで名前が出ているのは、ストイック(禁欲主義者)という言葉の元となったストア派と、対照的なエピキュリアン(快楽主義者)という言葉の元となったエピクロス派です。心の満足を追求しないことによって心の平穏が獲得できると考えるストア派に対して、エピクロス派は心の満足を求めることが人生の目的だと考えました。どちらも元々は、今誤解されて使われているように、欲望を押さえなさいとか、欲望のままに生きなさいとかいうような極端な教えではありませんでした。
 アテネの人々もベレアの人たちに負けず、熱心にパウロの話を聞こうという態度は同じでした。しかし決定的に違っていたのは、それを自分の知識の一部として、気に入ったところは取り入れようという取り入れようという動機で熱心だったということです。ベレヤの人々は、パウロの教えに神の呼びかけを認め、それを正しく受けとろうと熱心に聖書を調べ、その態度がさらに多くの人をイエスに結びつけました。しかしアテネでは、それほどのことは起こりませんでした。それは、自分の生死に関わるほど重要なことではなく、教養の一部を充実させるという受け取り方でしかなかったのです。このことは、現代の教会でも起こります。深くていい話を聞きたいなら、三分ごとに笑わせてくれることを求めるなら、神学的に高度な話を聞きたいなら、政治やジェンダーについてもっと多く聞きたいならユアチャーチでは期待に沿うことはできません。私たちは、ただイエスに従う事こそ皆さんに必要であると信じています。神の言葉を紹介することによって、聞いた一人ひとりが神にあって成長し、イエスとともに喜んで歩み続ける助けになることだけを口にしたいのです。それ以外はアテネの人々を喜ばすような話になってしまうと思うからです。皆さんにもアテネの人々のようにではなくベレアの人々の態度で聞いていただきたいと思います。


2) 私達はエピクロス派でもなくストア派でもない (22-34)

パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあ なたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。皆さんのうちのある詩人たちも、『我らは神の中に生き、動き、存在する』『我らもその子孫である』と、言っているとおりです。わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」 死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。それで、パウロはその場を立ち去った。しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。(22-34)

アレオパゴスはアテネの最高会議が開かれる小高い丘です。そこで、自分たちの哲学に馴染んでいたアテネの人々は、自分の知識のコレクションの一つに加えるような態度でパウロの話を聞きました。哲学はそれぞれアプローチは違っても基本的に真、善、美を追求するものですが、彼らの根本的な問題は、人間が自力でそれらを極めることができないことを知らないということでした。神を求めない人々の中には、それこそストイックに自分を鍛えそれによって本当のもの、正しいこと、美しいものを手に入れようと努力することが一番大切だと考える人もいれば、短い人生今我慢して、先に手に入れる保証はないではないか、だから今を大切に生きるべきだと考える人もいます。様々な人生哲学が、これこそが真理だと主張するのです。しかしそれらはどれにしても虚しいのです。どのような哲学も、思想も、主義も、宗教も私たちに命を与えるものではなかったのです。イエスは「私は道です。真理です。命です。私を通ってでなければ誰も父のところに行くことはできません」と宣言され。十字架で苦しまれて死に、三日目によみがえられました。このことをアテネの人々と同様にありえないことだという権利はどんな哲学も、思想も、主義も、宗教も持っていません。それらは皆、失敗に失敗を重ねてきたのです。当然のことです。それらは皆下からのアプローチなので、一番高いところもまで到達することはできません。人は神になることはできないのです。だから神の方から来てくださったのです。納得できるまでいろいろなものを試してみたい、もっと勉強しなければというなら止めることはできませんが、人生はそれほど長くはありません。ほとんどが哲学好き、勉強好き、新しいもの好きのアテネ市民の中にも、ごく少数でしたが、そういったものに惑わされずに真理を見出した、アレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々がいました。みなさんも彼らのようにイエス・キリストを主と信じて行く道を歩き始めてみることをお勧めします。


メッセージのポイント
イエス・キリストに興味を持つと言っても、ベレアの人々とアテネの人々の間には大きな違いがあります。ベレアの人々の熱心さは、イエスが自分たちの生き方を根本的に変える力を持っていると感じ、それに自分たちが正しく受け止めるための行動が伴いましたが、自分たちの哲学に馴染んでいたアテネの人々は、自分の知識のコレクションの一つに加えるような態度でパウロの話を聞きました。哲学はそれぞれアプローチは違っても基本的に真、善、美を追求するものですが、彼らの根本的な問題は、人間が自力でそれらを極めることができないことを知らないということでした。私達はどのような態度で聖書の言葉を受け止めるべきなのでしょうか?

話し合いのために
1) ベレアの人々から学ぶべき点は?
2) エピクロス派、ストア派とはどのような人々ですか?