<メッセージノート>

2013/2/9 使徒言行録18:23-28
雄弁家アポロ

A パウロの3回目の訪問旅行 (23)

パウロはしばらくここで過ごした後、また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた。

 
B アポロ ー パウロとは対象的な伝道者 (24-28)

1) パウロとの共通点と相違点 (24,25)

さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。


2) アポロとパウロの共通の友だち: プリスキラとアキラ (26)


このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。


3) アカイヤ州に派遣されたアポロ (27,28)

それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである。


メッセージのポイント
十字架と復活の出来事から約20年。イエスに命じられたとおり弟子たちは人々にイエスを紹介し続け、福音はローマにまで届いていました。使徒言行録はパウロの登場以来、彼に焦点を集中しますが、ほかにも並行して他の人々が別の地域、人々に向かって働きを進めていました。アポロもここまでパウロとの接点なくイエスを伝えていました。パウロとの共通の友であるプリスキラとアキラとの出会いによって、さらに力強い働きを始めることができました。

話し合いのために
1) アポロとパウロの共通点、相違点は?
2) プリスキラとアキラはどのような役割を果たしましたか?

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<メッセージ全文>

2013/2/9 使徒言行録18:23-28
雄弁家アポロ

A パウロの3回目の訪問旅行 (23)

パウロはしばらくここで過ごした後、また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた。

 パウロはコリントからエルサレムを経由してアンティオキアに51年の終わりか52年に戻り、おそらく53年の春、再び旅立ちます。今回も陸路でアジア州を進み、以前に訪問して基礎づくりをした教会を力づけてゆきます。エーゲ海側のエフェソまで来ると、ここで留まり二年以上を過ごすことになります。アジア州の拠点となる教会をしっかりと育て上げる必要があったのです。しかし、パウロがエフェソに到着する前にもう一人の人がエフェソに来てイエスを紹介し始めていました。アポロという青年です。24,25節を読みましょう。

 
B アポロ ー パウロとは対象的な伝道者 (24-28)

1) パウロとの共通点と相違点 (24,25)

さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。

 アポロはエジプトの地中海沿岸の都市アレクサンドリアで生まれたユダヤ人とありますが、当時のアレクサンドリアはローマ帝国内の有数の都市で学問が盛んでした。ユダヤ人の住む国外最大の町でもありました。後にキリスト教神学の中心地の一つにもなります。ギリシャ語が共通語で、紀元前3世紀には70人訳とよばれる旧約聖書のギリシャ語訳はここで生まれました。アポロはこの町で、パウロと同様若い頃から旧約聖書を深く学んできた人です。初代の教会の歩みを学ぶとき、どうしてもパウロを中心に考える事になりますが、パウロとは全く別のルートでもイエスが伝えられていたことも心に留めておきましょう。パウロが小アジア、ギリシャで働きを進めていた時、アレクサンドリアにもイエスの教えが伝わっていました。これは推測にすぎませんが、あのペンテコステの出来事を目撃した人々の中にはエジプトから来ていたユダヤ人もいた (2:11) ので、それらの人々が信じ、アレクサンドリアでアポロのような若い人々に教えたのかもしれません。アポロがどのような経緯でイエスを信じたのか、パウロのように聖書には書かれていないので私たちにはわかりませんが、かなり正確にイエスを紹介していたようです。しかしどういうわけか洗礼についての知識が欠落していたのです。イエスの十字架と復活は知っていたけれども、人の側からの応答として主イエスの名による、あるいは父と子と聖霊による洗礼を受けるというアイディアはアレクサンドリアには伝わっていなかったのです。無理もありません。当時はまだ、キリスト教はユダヤ教の一部のような状態でした。情報が伝わるのも現代のようではありません。まだイエスの言葉を記録した新約聖書がなかった時のことです。確かにイエスはバプテスマを救いの印として求められましたが、具体的な方法を指示されたわけではありませんでした。バプテスマを施すということ自体、徹底されていたわけではありませんでした。

ここで、アポロの人となりを紹介する「雄弁な」eloquentという言葉に注目しましょう。原語は「博学な」learnedという意味もある言葉でNIV,TNIVはそちらを採っています。この雄弁なところがパウロと違うところです。パウロも必要とあれば王に対してもイエスを紹介しましたが、パウロは基本的には口の重い人だったようです。どちらかと言うと話す言葉で伝えるより、書く言葉で伝える賜物を持つ人だったのです。あとで触れますが、アポロは正反対に時には激しく相手を言い負かすような、まさに雄弁家でした。
 神様が用いるのは特定の才能を持った人だけではありません。アポロもパウロも用います。ひとりの例外もなく、彼に従うすべての人を用いるのです。神様は、すべての人の賜物を用いて神の国を前進させる、最も優れたヘッドコーチです。
 サッカーの監督はベンチか特定のエリアにいて、ピッチの中にははいれません。ラグビーの監督はもっと遠くスタンドから見ています。神様はもっと遠く空の上から見ているとかんがえるのは正しくありません。神様は聖霊として一人一人のプレーヤーに直接指示を与えてくれます。教会は、神様がたった一人のチームリーダーに語り、他の人はそのリーダーから聞くというというチームでもありません。大きなゲームプランはリーダーに示されますが、メンバーは直接、神様から聞くことができるのです。
パウロはコリントの信徒への第一の手紙3:6で「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」と言っています。雄弁や博学が教会を成長させるのではありません。神様が私たちを育ててくださいます。


2) アポロとパウロの共通の友だち: プリスキラとアキラ (26)


このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。

プリスキラとアキラは元々ローマに住んでいたユダヤ人で、そこでイエスの言葉に触れました。やはりパウロとは別のルートでイエスを知ったのです。そしてパウロに出会い彼と一致できたのでエフェソまで一緒にやってきました。そしてパウロが去ったあともエフェソにとどまり、そこで人々の世話をしていました。彼らと出会ったアポロは幸いにも、博学、雄弁な人にありがちの自分が正しいと思い込んで人の言うことを聞かないような人ではありませんでした。プリスキラとアキラは神学を本格的に学んだ人たちではありません。旧約聖書の知識から言えばアポロのほうがはるかに多くを学んでいたはずです。しかし自分が知らなかったことを二人から聞かされた時、彼は素直に受け入れることが出来ました。プリスキラとアキラを通してアポロはパウロと共通の理解に立ちました。そして、それまで以上に、彼の言葉には力が加わったのです。

 アポロがヨハネのバプテスマしか知らなかったと聞くと、私たちはアポロに重大な欠陥があったように感じてしまいますが、それではここでなぜ「主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていた」とも書かれているのかを考える必要があります。
 神様はいろいろな人を用いて働かれます。パウロとアポロの時代も今も同じです。神様の計画に全体像を把握できない私たちは、それぞれが信じるところに従って出来る限り理解しようと努めますが、皆、完全ではないので捉え方の違いが現れます。どのような礼拝を捧げるべきなのか?どのような洗礼が求められているのか?聖餐式は?一つのキリストの体であっても、それぞれの部分では今でも互いに異なる理解があります。このことを否定的に考える必要はありません。むしろ細かいところまで規定の整った教えは人工的です。完全ではなくても、今持っているもの、知っていることでイエスを紹介することが大切なのです。イエスは神ではないとか、十字架の意味は罪の赦しではないとか、復活はなかったと主張するなら、それはイエスを正しく紹介していることにはなりません。けれども、礼拝、洗礼、聖餐についての理解が異なることはそこまで重要な事ではありません。それは、神様の在り方ではなく、私たちの応答の在り方についての事柄だからです。イエスを神と信じていても、十字架の罪の赦しと復活を信じていても正教会、カトリック、プロテスタントはずいぶんその様子が違います。心の狭い人は互いに異端と見なすかもしれません。プロテスタントの中でも、かなり理解の異なるところは多くあるのです。それでいいのです。誰も間違っているとはいえません。間違っているのは「ただ自分たちだけが正しいと思っている」人だけです。



3) アカイヤ州に派遣されたアポロ (27,28)

それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである。

ここではアカイア州としか書かれていませんが、19章まで読み進めると彼が派遣されたのはコリントであったことがわかります。彼はコリントで良い働きをしたようです。それで彼が去ってからも、彼を慕ってアポログループを名乗る人々がいたのです。後にパウロが書いたコリントの信徒への手紙によれば、パウロ派、ペトロ派、アポロ派といわれたコリントの教会のグループ争いにもつながることになるのです。アポロは前にも触れたように、豊かな聖書の知識に基づいて、激しい論戦を挑みユダヤ人を説得するような論客でした。彼はこの方法で相手を改心させたわけではありません。ただ、すでに信じた人々は旧約聖書のエキスパートであるユダヤ人たちがアポロに論破されるのを見て、自分たちが信じたことが、思い込みではなく、旧約聖書空も証明されている、ということに確信を持て、はげまされたのです。このことをどうか勘違いしないでください。信じるということは、理屈ではありません。説得されて言い返せなくなったとしても、信じたということにはならないのです。攻撃を仕掛けるものに対しては、説得して反対をやめさせることはできるかもしれません。しかし私たちが望んでいるのは、今までイエスを知らなかった人が、自分と同じようにイエスの友となることです。そのためには、私たちが隣人に働きかけられることは、アポロがユダヤ人たちにしたように、激しい語調で説き伏せることではありません。イエスと共に歩むことがどれほど素晴らしいかを体験として語ることが、私たちにできることです。ただし、それがひとりよがりにならないように、アポロ、ペトロほどではなくても、聖書をよく知ろうとすることは欠かせないことです。


メッセージのポイント
十字架と復活の出来事から約20年。イエスに命じられたとおり弟子たちは人々にイエスを紹介し続け、福音はローマにまで届いていました。使徒言行録はパウロの登場以来、彼に焦点を集中しますが、ほかにも並行して他の人々が別の地域、人々に向かって働きを進めていました。アポロもここまでパウロとの接点なくイエスを伝えていました。パウロとの共通の友であるプリスキラとアキラとの出会いによって、さらに力強い働きを始めることができました。

話し合いのために
1) アポロとパウロの共通点、相違点は?
2) プリスキラとアキラはどのような役割を果たしましたか?