<メッセージノート>

2014/3/16 message note
旧約聖書の人物シリーズ④ モーセとアロン(出エジプト記4:10-18, 27-31, 6:2-8)

モーセとアロン:使命を共に担った兄弟

1.二人で使命を受け入れる


a. モーセ

・自分の弱さに集中している(4:10-12)

それでもなお、モーセは主に言った。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」


・協力者を得て安心する(4:13-18)

モーセは、なおも言った。「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」主はついに、モーセに向かって怒りを発して言われた。「あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。わたしは彼が雄弁なことを知っている。その彼が今、あなたに会おうとして、こちらに向かっている。あなたに会ったら、心から喜ぶであろう。彼によく話し、語るべき言葉を彼の口に託すがよい。わたしはあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなたたちのなすべきことを教えよう。彼はあなたに代わって民に語る。彼はあなたの口となり、あなたは彼に対して神の代わりとなる。あなたはこの杖を手に取って、しるしを行うがよい。」モーセがしゅうとのエトロのもとに帰って、「エジプトにいる親族のもとへ帰らせてください。まだ元気でいるかどうか見届けたいのです」と言うと、エトロは言った。「無事で行きなさい。」


b. アロン(4:27)

主はアロンに向かって、「さあ、荒れ野へ行って、モーセに会いなさい」と命じられたので、彼は出かけて行き、神の山でモーセと会い、口づけした。



c. 二人で使命を受け入れる(4:28-31)

モーセは自分を遣わされた主の言葉と、命じられたしるしをすべてアロンに告げた。モーセはアロンを伴って出かけ、イスラエルの人々の長老を全員集めた。アロンは主がモーセに語られた言葉をことごとく語り、民の面前でしるしを行ったので、民は信じた。また、主が親しくイスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみを御覧になったということを聞き、ひれ伏して礼拝した。



2.神様の与える「使命」

a. モーセとアロン(6:2-8)

神はモーセに仰せになった。「わたしは主である。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった。わたしはまた、彼らと契約を立て、彼らが寄留していた寄留地であるカナンの土地を与えると約束した。わたしはまた、エジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声を聞き、わたしの契約を思い起こした。それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であり、あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を上げて誓った土地にあなたたちを導き入れ、その地をあなたたちの所有として与える。わたしは主である。」



b. 私たち(ルカによる福音書 22:31-34)

「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」



メッセージのポイント
モーセは、突然神様に使命を与えられて戸惑い、抵抗していますが、神様はそんなモーセのことも知っていて、既にアロンという助け手を送って下さっていました。モーセとアロンは協力して、イスラエルの人々をエジプトから救い出すという神様の使命を果たしました。神様が私たちに何かの働きを担うように言われるなら、神様は私たちが抱く不安を私たちよりもよく知っている上でそれをするように言われています。必要なものは神様が知っています。神様の働きは、どんなものでも、誰かが一人でできるものではありません。それぞれの心に願いを起こし、それぞれに違う役割を与えて下さいます。神様に自分の不安と願いをためらわずに打ち明け、神様がさせてくださる働きを楽しみに、期待して歩んでいきましょう。

話し合いのために
1) アロンはなぜモーセを助ける役目を受け入れたのでしょうか?
2) 神様はあなたにどんな使命を与えていますか?

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<メッセージ全文>

2014/3/16 message note
旧約聖書の人物シリーズ④ モーセとアロン(出エジプト記4:10-18, 27-31, 6:2-8)

モーセとアロン:使命を共に担った兄弟

 今日は旧約聖書の人物シリーズの4回目です。モーセとアロンを取り合げます。エジプトで奴隷にされていたイスラエルの人々を、エジプトから連れ出してパレスチナ地方に導いた人たちです。このエジプト脱出からパレスチナ到着までの40年間のことが、旧約聖書の出エジプト記、レビ記、民数記、申命記に書かれています。今日は、この長い旅を導く指導者として、神様がモーセとアロンを任命している場面を読んでみたいと思います。神様に使命を言われたモーセは、自分にそんな大役は務まらないと、神様に抵抗しています。


1.二人で使命を受け入れる

a. モーセ

・自分の弱さに集中している(4:10-12)

それでもなお、モーセは主に言った。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」

 社会一般的に、謙遜は美徳とされています。高慢であるよりも、自分を過信せず、控えめである方が良いとされています。特に日本ではそうかもしれません。でも、神様を信頼するということは、自分自身に自信がなくても、神様には自信を持つということです。神様が愛していると言って下さる自分を愛し、神様ができると言うならできるはずだと信じていいのです。愛せないと思っても、できないと思っても、神様が愛す、できる、と言うならば、愛せるし、できます。神様に「あなたがやりなさい」と言われているのに、「私にはできません」と言うのは、「あなたにできる」と言っている神様を否定していることになってしまいます。それは、神様を信頼していることにはなりません。自分にはできないと思っても、神様がやりなさいと言われるならできるはずだ、と自信を持っていいのです。モーセにそれができなかったのは、彼が自分の弱さに心を奪われていたからです。神様に呼ばれた今でも、話し下手なのは変わらないし、自分が適任とは思えない、あなたの判断は間違っています、と神様に言っているのと同じです。こういうふうにモーセが訴えていることは、一方で私たちも神様に自分の自信の無さを隠す必要はないということも教えてくれます。神様は、モーセの訴えを丁寧に聞いて下さるのと同じように、私たちの不安も忍耐強く聞いて下さいます。神様に、私には無理です、と訴えても、神様は私たちを見離したりしません。ただ、もう一方で、そんな私たちに、神様はモーセに言われたのと同じように私たちにも言われると思います。「誰があなたを造ったのか?私ではないか。私があなたと共にいる。」自分の弱さに気を取られて、神様をなかなか信頼できない私たちを、神様は根気強く励まして下さいます。


・協力者を得て安心する(4:13-18)

モーセは、なおも言った。「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」主はついに、モーセに向かって怒りを発して言われた。「あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。わたしは彼が雄弁なことを知っている。その彼が今、あなたに会おうとして、こちらに向かっている。あなたに会ったら、心から喜ぶであろう。彼によく話し、語るべき言葉を彼の口に託すがよい。わたしはあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなたたちのなすべきことを教えよう。彼はあなたに代わって民に語る。彼はあなたの口となり、あなたは彼に対して神の代わりとなる。あなたはこの杖を手に取って、しるしを行うがよい。」モーセがしゅうとのエトロのもとに帰って、「エジプトにいる親族のもとへ帰らせてください。まだ元気でいるかどうか見届けたいのです」と言うと、エトロは言った。「無事で行きなさい。」

 
しつこく嫌がるモーセに、神様はとうとう怒ったと言われています。でも、その怒りの言葉の内容は、神様のモーセに対する配慮に満ちています。神様はモーセの弱さを知っていました。そして、既にモーセの兄アロンを、モーセの助け手として選んでいました。「彼は今こちらに向かっている」と言われています。これを知ったモーセは、神様に抵抗するのをやめています。自分がまずやるべきことは、アロンに会うことだとはっきりしたからです。アロンが自分に協力してくれるかくれないかで、イスラエルの人々をエジプトから救い出すという大役を、本当に自分が担うべきなのか、担えるのか、判断できると思ったでしょう。神様は、頑固に抵抗するモーセに対して、具体的に目に見えるアロンという助け手を送ることを通しても、モーセを励ましました。それも、モーセが頼む前から、既にアロンに働きかけていました。神様は、目に見える形で誰かを私たちの周りに送ったり、何か事を起こしたりしてまで、私たちが神様を信頼できるように、励まして下さいます。本当は、目に見えなくても、何も状況が変わらなくても、神様は確かに生きて働いておられていると信じて、積極的に神様の働きを担えればいいのですが、そうできないのが私たちの現実です。そのために、神様は私たちに聖霊を送って下さいました。そして、互いに励まし合う教会の仲間を与えて下さいます。そして、時には、モーセにそうしたように、神様の新しい働きを担わせるために、同じ願いを持った協力者を与える事でも私たちを励まして下さいます。神様は、モーセに呼びかけると同時に、アロンにも働きかけていました。


b. アロン(4:27)

主はアロンに向かって、「さあ、荒れ野へ行って、モーセに会いなさい」と命じられたので、彼は出かけて行き、神の山でモーセと会い、口づけした。
 
アロンがこれまでどう生きてきたのか、モーセと関わりがあったのか、モーセの事をどう思ってきたのかなどは、聖書に書かれていないので何も分かりません。でも、さっき読んだ14節には、アロンはモーセに会ったら「心から喜ぶだろう」と言われています。アロンは、弟モーセを愛していました。神様がなぜ弟モーセに会いに行くように言われたのかは分からないまま、アロンはモーセとの再会を喜びました。


c. 二人で使命を受け入れる(4:28-31)

モーセは自分を遣わされた主の言葉と、命じられたしるしをすべてアロンに告げた。モーセはアロンを伴って出かけ、イスラエルの人々の長老を全員集めた。アロンは主がモーセに語られた言葉をことごとく語り、民の面前でしるしを行ったので、民は信じた。また、主が親しくイスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみを御覧になったということを聞き、ひれ伏して礼拝した。

 モーセは、神様から言われた自分たちの使命をアロンに告げました。アロンがその時どんな反応をしたのかは書いていないので分かりません。ただアロンは、モーセから神様の救いの計画を告げられて、神様がなぜ自分にモーセに会いに行くように言われたのか、納得したでしょう。モーセを助けさせるために、神様は自分をモーセのもとに送り、モーセの口からそのことを聞く事になったのだと分かりました。そして、アロンがその役割を実際に受け入れることができたのは、彼が神様を信頼し、モーセを愛していたからです。アロンは理由も知らされないまま、モーセに会いにいけという神様に従いました。アロンがモーセを愛していた事は、さっき読んだ通りです。神様はそんなアロンのモーセに対する愛を知っていました。アロンは、モーセを愛していたために、モーセに語られた神様の言葉をも信じました。モーセの方にしても、アロンと再会を果たし、自分が神様に言われた事を彼が受け入れたという事実が、神様が自分たちを確かに導いて下さっている証拠と思えたでしょう。こうして、モーセとアロンは、自分たちに与えられた使命を、互いの存在を通して確認し、受け入れました。モーセは、アロンが自分の弱さを補ってくれる事を知り、そしてそのように神様が備えて下さっている事を知って、使命を受け入れました。アロンは、自分には知らされていなかった神様の計画をモーセを通して知り、神様が自分をモーセのもとに送られたことを確信して、使命を受け入れました。お互いに、互いを通して、自分に与えられた使命を受け入れる事ができました。二人が共に、神様を信頼すると同時に、互いを信頼していたから、神様の働きを共に担う事ができたのです。そして、大切なのは、この事すべてが神様の導きの下にあったということです。というのは、モーセとアロンは協力して神様の使命を果たす事になりましたが、それは神様がそうさせたのであって、モーセがアロンをパートナーに選んだのでも、アロンがモーセに頼んだのでもありません。神様が、モーセとアロンを引き合わせ、同じ目的のために協力する者として選ばれました。互いを信頼するように、二人の関係を準備してきたのも神様です。そして、一つの使命を果たすために、互いを補い合い、助け合うように、二人を組み合わせて用いようとされました。
 神様が、このモーセとアロンに行ったのと同じように、私たちにもなさる時があります。最も分かりやすい例は、結婚かもしれません。神様を愛し人を愛するという使命を共に担うように、神様が二人の人を結びつけます。でも、モーセとアロンの物語からも明らかなように、結婚に限られた事ではありません。二人だけに限られた事でもなく、複数の人に同時に神様が同じ願いを与え、同じ目的のために呼ばれる事もあるでしょう。神様が、ご自分の働きを担わせるために必要とされるなら、人に共通の願いを与えて、信頼関係を築かせて下さいます。何よりも、教会がその現場です。神様が教会に人を集め、共に働く願いを起こして下さり、互いに対する信頼も育てて下さいます。一人で教会ができる人はいません。お互いの弱さを受け入れて、神様のために共に仕える仲間がいるから、教会は教会でいられます。
 ここまで、神様の使命を共有するということについてお話ししてきました。でも、そもそも神様が私たちに使命を与えられるとは、どういうことでしょうか。そのことをまず、モーセとアロンの与えられた使命について読んで考えてみたいと思います。



2.神様の与える「使命」

a. モーセとアロン(6:2-8)

神はモーセに仰せになった。「わたしは主である。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった。わたしはまた、彼らと契約を立て、彼らが寄留していた寄留地であるカナンの土地を与えると約束した。わたしはまた、エジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声を聞き、わたしの契約を思い起こした。それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であり、あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を上げて誓った土地にあなたたちを導き入れ、その地をあなたたちの所有として与える。わたしは主である。」


 神様がモーセとアロンに与えた使命は、イスラエルの人々をエジプトから脱出させるというものでした。この事自体は、私たちとは直接何の関わりもありません。でも、神様が二人に与えた使命というのは、本質的には主を信頼して歩もうとしている私たち全てに与えられる使命でもあります。イスラエルの人々を奴隷状態から救い出すという使命は、イスラエルの人々に対する神様の愛を実現させる使命です。モーセとアロンは、神様が愛している人々を苦しみから救い出し、神様の代わりに目に見える形で愛して導く使命を与えられたのでした。そして、それによって、イスラエルの人々が、神様は彼らの神であり主であることを知る、と言われています。私たちも、神様を愛しているなら、モーセとアロンと同じように、神様の愛しておられる特定の誰かを、神様に代わって愛するように使命を与えられる時があります。苦しみの中にいる人に、神様の愛を運ぶという使命です。そして、それによって、神様がどんなに信頼に足る方で、良い方であるかという事を、その人たちに知ってもらうという使命です。これはこの教会で私たちがいつもやろうとしていることです。カヴェナントにある三つの約束の後の二つです。「互いに愛し合うこと、世界を愛すること」です。この二つは最初の約束「神様を愛すること」なしには不可能です。また、世界を愛することは、互いに愛し合っていなければできません。モーセとアロンにとって、イスラエルの人々を救うという役割は、私たちの言葉で言えば「世界を愛すること」に属することだと思います。そして、この役割は「互いに愛し合うこと」、つまりモーセとアロンが信頼し合うことができて初めて、担えるものでした。私たちが「世界を愛する」と言う時、それは社会的な活動をすることだけを意味するのではありません。それも含みますが、教会に新しく来て下さる人たちに神様の愛を届けることでもあります。出エジプトのリーダーの使命と、ユアチャーチのメンバーの私たちの使命は同じです。そして、出エジプトのリーダーと同じように、私たちも、世界を愛する使命を達成するために、互いに信頼し合い、補い合うように神様はして下さっています。そして、もし神様がこの中で何か新しく特別な働きをするように促すならば、神様は私たちの中にそのために共通の願いを起こして、私たちを組み合わせて用いて下さるでしょう。


b. 私たち(ルカによる福音書 22:31-34)

 最後に、モーセとアロンには与えられなかったもので、私たちには与えられている特権についてお話ししたいと思います。それは、私たちがイエス様を知っている時代に生きているということです。モーセの時代も今の時代も、神様は何も変わっていませんが、神様がどんな方かということがイエス様の十字架によって、はっきり示されました。ルカによる福音書22章31-34節を読みます。

「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」

 イエス様は、ペテロが自分を裏切ることになると知っていた上で、既にペテロのことを赦し、心配していました。イエス様はペテロの罪を悲しみながら、でも決してペテロを見離すことはなく、むしろ励まそうとしていました。それは、まさにそのような人間のために、イエス様は十字架にかかるために生まれてこられたからです。私たちが神様を悲しませ、怒らせる罪と弱さを多く持っていることを、神様は全てご存知の上で、それでも私たちを愛していると、十字架で教えて下さいました。だから、私たちにどんな欠点があろうと、神様が担わせて下さる働きなら、私たちに必要なものはすべて神様が与えて下さると私たちは信じます。自分では足りないと思っているものが与えられないなら、それは神様はあなたに今必要ないと言われているのかもしれません。私たちに人を動かすことはできませんが、神様が望むならば、私たちが予想しないところで、動かされる人がいるでしょう。神様が私たちにどんな働きを担わせて下さるのか、この教会で、この世界で、私たちをどんな風に用いて下さるのか、楽しみにして、これからを歩んでいきましょう。

メッセージのポイント
モーセは、突然神様に使命を与えられて戸惑い、抵抗していますが、神様はそんなモーセのことも知っていて、既にアロンという助け手を送って下さっていました。モーセとアロンは協力して、イスラエルの人々をエジプトから救い出すという神様の使命を果たしました。神様が私たちに何かの働きを担うように言われるなら、神様は私たちが抱く不安を私たちよりもよく知っている上でそれをするように言われています。必要なものは神様が知っています。神様の働きは、どんなものでも、誰かが一人でできるものではありません。それぞれの心に願いを起こし、それぞれに違う役割を与えて下さいます。神様に自分の不安と願いをためらわずに打ち明け、神様がさせてくださる働きを楽しみに、期待して歩んでいきましょう。


話し合いのために
1) アロンはなぜモーセを助ける役目を受け入れたのでしょうか?
2) 神様はあなたにどんな使命を与えていますか?