<メッセージノート>

2014/3/23 使徒言行録 20:1-12
励ましの言葉、慰めの奇蹟

A. 言葉を尽くして人々を励ます旅 (1-6)

この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、そこで三か月を過ごした。パウロは、シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした。同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。この人たちは、先に出発してトロアスでわたしたちを待っていたが、わたしたちは、除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した。(1-6)


さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」(ヨハネ12:20−26)


B. 新しい慰めの奇蹟を期待しよう (7-12)

週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。


メッセージのポイント
パウロの生涯は神の働きに身を捧げたイエスの生涯に似たものでした。与えられた使命に忠実に歩み、人々にイエスを紹介し続けました。教会はキリストの体であるとともに、弱さを持つ人の集まりでもあります。苦しみや悲しみにも直面します。過ちも犯します。パウロはこの人々=教会のために、生涯を捧げることを惜しみませんでした。私たちの払う犠牲によって、ユアチャーチは、励ましの言葉が聞かれるところ、慰めの奇蹟を見るところとなるのです。 


話し合いのために
1) パウロはなぜマケドニア、ギリシャへ行くことにしたのですか?
2) 青年に起こった出来事に私たちはどう慰められるのでしょうか?


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<メッセージ全文>

2014/3/23 使徒言行録 20:1-12
励ましの言葉、慰めの奇蹟

A. 言葉を尽くして人々を励ます旅 (1-6)

この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、そこで三か月を過ごした。パウロは、シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした。同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。この人たちは、先に出発してトロアスでわたしたちを待っていたが、わたしたちは、除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した。(1-6)

 パウロの伝えるイエスの教えが、エフェソで崇められていた女神アルテミスの神殿がもたらす利益を損なうのではないかと心配した人々が起こした騒動について、前回お話ししました。騒動が収まるとパウロは長くとどまって指導していたエフェソを離れ、これまで心を配ってきたマケドニアやギリシアの人々のところを訪ね歩きながらエルサレムに向かおうとしています。マケドニア州のフィリピ、テサロニケ、ベレヤを巡り歩きギリシャへ下り、コリントでは三ヶ月滞在しました。パウロはこの時、コリントで「ローマの信徒への手紙」を書きました。それからついにエルサレムに向かうわけです。三節に書かれているように、ユダヤ人の妨害があって、直接船で地中海を渡る事はできず、来た道を戻るようにマケドニアまで上り、フィリピから船の旅が始まります。
 私たちは普段あまり教会暦を意識しませんが、教会のカレンダーはイエスの十字架とよみがえりを中心にして、主イエスの地上での歩みを、身近に思い起こせるよう整えられています。今年は来月の20日がイースターですから、今は、普段より増して主の十字架に向かう歩みを深く思うのに相応しい時です。イエスに従って歩むということは、彼の地上での歩みにならって自分も歩むということでもあります。このところ私たちはずっとパウロの歩みを学んでいますが、パウロの人生の歩みもまた、イエスの歩みに倣う歩みであったことに気づかれていらっしゃるでしょうか?使徒言行録9章に記されているイエスとの出会いによって、パウロのイエスと共に歩む、イエスに従って歩む新しい人生はスタートしました。それは、自分が知った、主とともに歩む幸せをできるだけ多くの人に伝えるという彼のライフワークの始まりでした。彼の働きは困難を伴い、命の危険と隣り合わせでしたが、彼は孤独ではありませんでした。彼の周りには様々な職業をもった多くの人が集まり、それぞれが出来る仕方でパウロとともに働きました。このティームの働きが福音を小アジア、そしてヨーロッパにもたらしました。その働きの最後の仕上げとして、パウロは時を惜しんで伝え続けています。イエスが、十字架の苦しみが待っていることを知りながらエルサレムに向かったようにパウロもそこでひどい目に合うことを知りながらエルサレムを目指します。イエスと違うところは、そこからさらにローマに送られることを知っていたことです。彼にとってはローマが地上での最後の場所となります。このあとローマでは恐ろしい迫害が起こりますが、今ローマはカトリック教会の中心地となっています。イエスは、やがて起こる受難を知りながらエルサレムに来られました。ヨハネは次のようなイエスの言葉を記録しています。

さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」(ヨハネ12:20−26)

パウロは生涯をかけイエスの跡をたどり、やはり一粒の麦として生涯を捧げ、多くの人にイエスを紹介しました。この働きの連続によって私達もイエスに出会いました。M. L. Kingは一粒の麦となって公民権運動を引き継ぐ、多くの若者たちを生み出し、マザーテレサも一粒の麦となって彼女の意思を継ぐ多くの娘たちを生み出しました。しかし彼らは一例に過ぎません。自分の安楽だけを目的に生きるなら、その人の死は何も生むことはありません。しかしイエスの生涯と死が私たちに、何も比べることの出来ない宝をもたらしたように、イエスに従う者の死は、次の世代に多くの収穫をもたらすのです。パウロのイエスに出会ってからの半生はすべて、言葉を尽くして人々を励ます旅に費やされました。私たちもまた、与えられている愛を用いて、才能を用いて、時間や労力を惜しまずに人々に仕えるなら、イエスと、そして彼に従って歩んだ多くの人々と同じ満足を得て地上での歩みを終えることが出来るでしょう。私たちはただ生活の糧を得るためにだけ働くのではありません。その働きが人々に便利な暮らしや、満足、安心、喜びを与えます。伝道だけが神の働きではありません。また私たちはあらゆる人間関係の中で、主にいただいた愛で愛する事によって人々に心の満足を与えることが出来ます。本当に私たちがそのように「愛」で生きていれば「伝道」という言葉は要らなくなってしまうはずです。なぜなら、あなたを通して迫るイエスの愛に触れれば、その人はあなたが説得する前に、あなたのうちにあふれる愛の秘密を知りたくて、自分からあなたの主を私にも紹介してくださいと言いたくなるからです。


B. 新しい慰めの奇蹟を期待しよう (7-12)

週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。

ここトロアスでもパウロは時間の許す限り、熱心に教えようとしています。しかし、それが災いしエウティコの転落という事故が起こります。この出来事に対して、実は死んではいなかった、といった疑いを差し挟むことは簡単です。彼らにできたことは、息が止まり心臓も止まっていたことを確認することだけでした。AEDはもちろん、心臓マッサージだって誰も知らない時代です。この出来事は彼らにとって死以外の何ものでもありませんでした。パウロたちに慰められ励まされて、心新たに教会の歩みを始めようという時に起こった恐ろしい出来事に、人々はほとんどパニックになっていました。しかしパウロだけは違っていました。パウロはこれまで何度も、自分や周りの人が命にかかわるような事態に陥った時に、神様が直接介入されることを何度も体験してきました。パウロの神様に対する信頼は、そこにいた誰よりも強いものだったのです。旧約時代の預言者エリヤ、エリシャそして、イエスを通して死んだ者が蘇ったことも彼の心にはあったのでしょう。何をしたら良いのか具体的に知っていたわけではないでしょう。しかし、彼はエウティコの上に屈み込んでから、抱きかかえ息を吹き返したことを確認したのです。「彼は生きている!」
もちろん私たちは、いつか神様のタイミングで天に帰る時が来ます。時も、どのような形でかも自分で選ぶことは出来ません。辛くても受け入れなければならないということも起こるのです。しかし人は一回しか死ぬことができません。だから人間にとっては絶望するしかない事態を好転させていただけることはもっと多く起こります。私たちは、様々な形でそれを見てきました。そして、そのようなことに、本人も周りも大変励まされ、慰められてきました。命にかかわるような出来事は日常的に起こることではありませんが、私たちは日々刻々、様々な問題に直面するのです。そしてそのたびに何らかの判断をして生きてゆきます。判断をしなければ前には進めませんが、してしまった判断は取り消すことは出来ません。その判断に従って行動した結果、起きてしまったことは取り消すことは出来ません。それで、がっかりしたり、怒りが湧いたり、悲しくなったりするのです。しかし、私たちの信じる神様はすべてのことを益と変えて下さる方(ローマ8:28)です。神様は、生死に関わるようなことはもちろんですが、日常に起こるような小さな一つ一つの出来事にも介入して下さいます。そのことを皆さんにも期待して欲しいのです。大きくても、小さくても、新しい慰めの奇蹟を毎日期待しましょう。



メッセージのポイント
パウロの生涯は神の働きに身を捧げたイエスの生涯に似たものでした。与えられた使命に忠実に歩み、人々にイエスを紹介し続けました。教会はキリストの体であるとともに、弱さを持つ人の集まりでもあります。苦しみや悲しみにも直面します。過ちも犯します。パウロはこの人々=教会のために、生涯を捧げることを惜しみませんでした。私たちの払う犠牲によって、ユアチャーチは、励ましの言葉が聞かれるところ、慰めの奇蹟を見るところとなるのです。 


話し合いのために
1) パウロはなぜマケドニア、ギリシャへ行くことにしたのですか?
2) 青年に起こった出来事に私たちはどう慰められるのでしょうか?