<メッセージノート>

2014/7/6 使徒言行録 25:1-12
神様の計画を担う


A. 総督交代

1) フェストゥスの着任 (1-5)

フェストゥスは、総督として着任して三日たってから、カイサリアからエルサレムへ上った。祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。ところがフェストゥスは、パウロはカイサリアで監禁されており、自分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、「だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下って行って、告発すればよいではないか」と言った。


2) パウロの弁明 (6-8)

フェストゥスは、八日か十日ほど彼らの間で過ごしてから、カイサリアへ下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロを引き出すように命令した。パウロが出廷すると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちが彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言い立てたが、それを立証することはできなかった。パウロは、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません」と弁明した。



B. 神の計画に従うパウロ

1) エルサレム行きを拒絶 (9, 10)


しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。「お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。」パウロは言った。「私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。



2) 皇帝に上訴してローマへ (11, 12)


もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。」そこで、フェストゥスは陪審の人々と協議してから、「皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように」と答えた。



メッセージのポイント
イエスを主と信じる信仰は、ユダヤ教社会の中で生まれました。それはユダヤ教側から見れば分派、異端であったということです。パウロはいわれのない告発には抗議しましたが。分派であることは、はっきりと認めた上で、人々に希望を語っています。私たちは依然として少数派ですが、この社会にイエス・キリストによる希望を伝えることが出来ます。それが私たちの地上でのミッションなのです。

話し合いのために
1) 私たちは神様からどのように生きることを期待されていますか?
2) フェリクスとその妻はなぜパウロから話を聞きたいと思ったのでしょう?


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<メッセージ全文>

2014/7/6 使徒言行録 25:1-12
神様の計画を担う


A. 総督交代

1) フェストゥスの着任 (1-5)

フェストゥスは、総督として着任して三日たってから、カイサリアからエルサレムへ上った。祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。ところがフェストゥスは、パウロはカイサリアで監禁されており、自分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、「だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下って行って、告発すればよいではないか」と言った。

 自分の在任中、パウロを拘留し続けたフェリクスに変わって後任の総督フェストゥスが着任しました。祭司長たちは二年前に前任者に訴え出たように、エルサレムにやって来たにやってきたフェストゥスにパウロをエルサレムに送るよう頼みます。しかし総督は、立場から言えば、祭司長たちがカイサリアに来て告発するのが当然だと、彼らが来ることを要求します。ここでも神様はフェストゥスのプライドを用いてパウロを守ります。私たちはつい状況に失望し、自分がコントロール出来ないのだからどうしようもないと思ってしまいますが、全てのことは神のコントロールに元にあることを忘れてはいけません。私たちもに、このパウロや旧約聖書のヨセフと同じ神様が共にいてくださることを忘れないで下さい。


2) パウロの弁明 (6-8)

フェストゥスは、八日か十日ほど彼らの間で過ごしてから、カイサリアへ下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロを引き出すように命令した。パウロが出廷すると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちが彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言い立てたが、それを立証することはできなかった。パウロは、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません」と弁明した。

 パウロの弁明は二年前と同じで 一貫しています。祭司長たちは証拠を挙げることも出来ませんでした。パウロは、エルサレム行きだけは避けなければならないことを知っていました。祭司長たちはなんとしても、パウロをエルサレムに送り返すことをフェストゥスに同意させたかったのです。事態の主導権を握っていたのは、宗教的な権威をもった祭司長でも、政治的な権力を持ったローマ総督でもなく、見たところは見たところは最も弱い立場の囚人であるパウロでした。これが神様に従っている者の強みです。それは神の権威の下にいることの確かさです。立てられた権威を尊重することは大切です。しかし、恐れる必要はありません。権威も間違うことがあります。それに対して、私たちは神の権威の下にいる者として間違いを指摘することが出来ます。


B. 神の計画に従うパウロ

1) エルサレム行きを拒絶 (9, 10)


しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。「お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。」パウロは言った。「私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。


 本当なら、ここで勝負はついていました。パウロを無罪放免するしかなかったのです。しかしフェストゥスはユダヤ人たちの機嫌を取ることも必要だと思ったのです。このまま引き渡してしまうなら、自分とローマ帝国は軽く見られてしまいます。しかし、これで決着としてユダヤ人たちを空手でエルサレムに帰らせれば、ローマに対する反感が増し不穏な情勢になる危険も考えられました。パウロをエルサレムで自分が裁くという妥協案を考えだしたのです。フェストゥスとユダヤ人にとっては良い妥協案です。フェストゥスは面目が保てますし、ユダヤ人にとっては、目的は暗殺ですから、パウロがエルサレムに向かってくれれば、誰が裁判を行うことにしようとどうでも良かったのです。パウロは一応、総督に身柄を預けられています。フェストゥスがエルサレムで裁判を行うと言えば、皇帝に上訴する以外には避ける事は出来ません。フェストゥスは、まさかパウロがそんな面倒なことをするとは思ってもいなかったのでしょう。しかしパウロは、無罪となることではなく、確実にローマに行ける事を選択したのです。


2) 皇帝に上訴してローマへ (11, 12)


もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。」そこで、フェストゥスは陪審の人々と協議してから、「皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように」と答えた。


 人間の思惑を超えて神様の計画は進んでゆきます。それは人々の行動とは別のところで進められてゆくのではなく、パウロのように神様の意思が行われることを求めて行動する人々を通して進められてゆくのです。常に神様の意思を行うという意志を持ち続けることが、神様の計画を担うことにつながります。神様の意思を求めて歩むことが私達に期待されていることです。先週からアナウンスしているように、今日の午後聖餐式の後でいつものようにハドルを行いますが、今日は、これからのユアチャーチにとって極めて重要な話し合いをします。私たちは去年20週年をお祝いしましたが、リーダーたちはここ数ヶ月、ユアチャーチがこれからの10年、20年をどのように歩んでゆくのか、ということを祈り、話し合ってきました。居心地の良い、こじんまりとした、温かいサークルというだけで満足していても良いなら、現状をメンテナンスしているだけでいいでしょう。それを楽しみ続けるのもいいでしょう。しかし神様がパウロにローマ行きを求められたように、私たちにも、ここに安住することではなく、新しいステージに踏み出すことを求めていると思うのです。私たちは皆、神様に選ばれてここにいます。ユアチャーチを通してなされる神様の働きの一部を担うためです。今日のハドルでお話することが、リーダーたちに神様が語られた、次の、新しい一歩です。多くのみなさんに夢を共有してほしいのです。カヴェナントメンバーはもちろん、まだメンバーではなくても、興味のある方は是非参加してください。


メッセージのポイント
イエスを主と信じる信仰は、ユダヤ教社会の中で生まれました。それはユダヤ教側から見れば分派、異端であったということです。パウロはいわれのない告発には抗議しましたが。分派であることは、はっきりと認めた上で、人々に希望を語っています。私たちは依然として少数派ですが、この社会にイエス・キリストによる希望を伝えることが出来ます。それが私たちの地上でのミッションなのです。


話し合いのために
1) 私たちは神様からどのように生きることを期待されていますか?
2) フェリクスとその妻はなぜパウロから話を聞きたいと思ったのでしょう?