<メッセージノート>

2014/7/27 使徒言行録 27:1-28:10
囚人パウロ、船長のように航海を導く

A. 危険な出港

1) 優先された船主の都合(27:1-12)

わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき、パウロと他の数名の囚人は、皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスという者に引き渡された。わたしたちは、アジア州沿岸の各地に寄港することになっている、アドラミティオン港の船に乗って出港した。テサロニケ出身のマケドニア人アリスタルコも一緒であった。翌日シドンに着いたが、ユリウスはパウロを親切に扱い、友人たちのところへ行ってもてなしを受けることを許してくれた。そこから船出したが、向かい風のためキプロス島の陰を航行し、キリキア州とパンフィリア州の沖を過ぎて、リキア州のミラに着いた。ここで百人隊長は、イタリアに行くアレクサンドリアの船を見つけて、わたしたちをそれに乗り込ませた。幾日もの間、船足ははかどらず、ようやくクニドス港に近づいた。ところが、風に行く手を阻まれたので、サルモネ岬を回ってクレタ島の陰を航行し、ようやく島の岸に沿って進み、ラサヤの町に近い「良い港」と呼ばれる所に着いた。かなりの時がたって、既に断食日も過ぎていたので、航海はもう危険であった。それで、パウロは人々に忠告した。「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります。」しかし、百人隊長は、パウロの言ったことよりも、船長や船主の方を信用した。この港は冬を越すのに適していなかった。それで、大多数の者の意見により、ここから船出し、できるならばクレタ島で南西と北西に面しているフェニクス港に行き、そこで冬を過ごすことになった。



2) 遭難 (13-20)

ときに、南風が静かに吹いて来たので、人々は望みどおりに事が運ぶと考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んだ。しかし、間もなく「エウラキロン」と呼ばれる暴風が、島の方から吹き降ろして来た。船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができなかったので、わたしたちは流されるにまかせた。やがて、カウダという小島の陰に来たので、やっとのことで小舟をしっかりと引き寄せることができた。小舟を船に引き上げてから、船体には綱を巻きつけ、シルティスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて海錨を降ろし、流されるにまかせた。しかし、ひどい暴風に悩まされたので、翌日には人々は積み荷を海に捨て始め、三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまった。幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた。


B. マルタ島に漂着する

1) パウロ、実質的に船長となる (21-44)


人々は長い間、食事をとっていなかった。そのとき、パウロは彼らの中に立って言った。「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」
十四日目の夜になったとき、わたしたちはアドリア海を漂流していた。真夜中ごろ船員たちは、どこかの陸地に近づいているように感じた。そこで、水の深さを測ってみると、二十オルギィアあることが分かった。もう少し進んでまた測ってみると、十五オルギィアであった。船が暗礁に乗り上げることを恐れて、船員たちは船尾から錨を四つ投げ込み、夜の明けるのを待ちわびた。ところが、船員たちは船から逃げ出そうとし、船首から錨を降ろす振りをして小舟を海に降ろしたので、パウロは百人隊長と兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」と言った。そこで、兵士たちは綱を断ち切って、小舟を流れるにまかせた。夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づいて食事をした。船にいたわたしたちは、全部で二百七十六人であった。十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした。朝になって、どこの陸地であるか分からなかったが、砂浜のある入り江を見つけたので、できることなら、そこへ船を乗り入れようということになった。そこで、錨を切り離して海に捨て、同時に舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んだ。ところが、深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした。兵士たちは、囚人たちが泳いで逃げないように、殺そうと計ったが、百人隊長はパウロを助けたいと思ったので、この計画を思いとどまらせた。そして、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した。このようにして、全員が無事に上陸した。



2) パウロは単にラッキーだったのか?(28:1-10)


わたしたちが助かったとき、この島がマルタと呼ばれていることが分かった。島の住民は大変親切にしてくれた。降る雨と寒さをしのぐためにたき火をたいて、わたしたち一同をもてなしてくれたのである。パウロが一束の枯れ枝を集めて火にくべると、一匹の蝮が熱気のために出て来て、その手に絡みついた。住民は彼の手にぶら下がっているこの生き物を見て、互いに言った。「この人はきっと人殺しにちがいない。海では助かったが、『正義の女神』はこの人を生かしておかないのだ。」ところが、パウロはその生き物を火の中に振り落とし、何の害も受けなかった。体がはれ上がるか、あるいは急に倒れて死ぬだろうと、彼らはパウロの様子をうかがっていた。しかし、いつまでたっても何も起こらないのを見て、考えを変え、「この人は神様だ」と言った。さて、この場所の近くに、島の長官でプブリウスという人の所有地があった。彼はわたしたちを歓迎して、三日間、手厚くもてなしてくれた。ときに、プブリウスの父親が熱病と下痢で床についていたので、パウロはその家に行って祈り、手を置いていやした。このことがあったので、島のほかの病人たちもやって来て、いやしてもらった。それで、彼らはわたしたちに深く敬意を表し、船出のときには、わたしたちに必要な物を持って来てくれた。



メッセージのポイント

パウロのローマへの旅は命がけのものになりました。その困難な航海の中で、護送されている囚人に過ぎなかったパウロを、神は実質的なリーダーとして立て、一人の命も失わさせずに困難を乗り切らせます。たとえ生きている時代や状況が違っていても、あなたもパウロ同様に「神の人」です。

話し合いのために
1) なぜ船主、船長らは出港を急ぎ、パウロはそれに反対したのですか?
2) パウロがマムシに噛まれても無事だったのを見て、人々はパウロを何と思いましたか?


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<メッセージ全文>

2014/7/27 使徒言行録 27:1-28:10
囚人パウロ、船長のように航海を導く

A. 危険な出港

1) 優先された船主の都合(27:1-12)

わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき、パウロと他の数名の囚人は、皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスという者に引き渡された。わたしたちは、アジア州沿岸の各地に寄港することになっている、アドラミティオン港の船に乗って出港した。テサロニケ出身のマケドニア人アリスタルコも一緒であった。翌日シドンに着いたが、ユリウスはパウロを親切に扱い、友人たちのところへ行ってもてなしを受けることを許してくれた。そこから船出したが、向かい風のためキプロス島の陰を航行し、キリキア州とパンフィリア州の沖を過ぎて、リキア州のミラに着いた。ここで百人隊長は、イタリアに行くアレクサンドリアの船を見つけて、わたしたちをそれに乗り込ませた。幾日もの間、船足ははかどらず、ようやくクニドス港に近づいた。ところが、風に行く手を阻まれたので、サルモネ岬を回ってクレタ島の陰を航行し、ようやく島の岸に沿って進み、ラサヤの町に近い「良い港」と呼ばれる所に着いた。かなりの時がたって、既に断食日も過ぎていたので、航海はもう危険であった。それで、パウロは人々に忠告した。「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります。」しかし、百人隊長は、パウロの言ったことよりも、船長や船主の方を信用した。この港は冬を越すのに適していなかった。それで、大多数の者の意見により、ここから船出し、できるならばクレタ島で南西と北西に面しているフェニクス港に行き、そこで冬を過ごすことになった。


 エルサレムで拘束され、カイサリアで収監されて2年。皇帝への上訴によってついにパウロはローマに向かうことになりました。カイサリアから直接ローマに向かう船がなく、アジア州沿岸の港に寄港しながら北上する船に乗せられました。囚人といっても、パウロは凶悪犯でも政治犯でもなく、逃げ出す心配もなかったので、護送する責任者、百人隊長ユリウスはパウロを寛大に扱いました。それで最初に寄港したシドンではそこに住む友人を訪ねることも出来たのです。リキア州の港ミラでイタリア方面に向かう船に乗り換えてローマに向かうことになりました。この後、旅行は命の危険を伴う大変なものとなりますが、神様はこのユリウスの意思を用いてもパウロを守ります。ミラを出たイタリア行きの船は、風に悩まされながらクニドス港沖まで来ますが、風向きでこれ以上の北上を諦め、逆に南下してクレタ島の南側を通ることにして「良い港」に到着します。しかしここからイタリア方面に向かうにはすでに危険な季節になっていました。このことは、航海の専門家でもないパウロが知っているほどの常識でした。しかもパウロが見るところ、天候だけでなく積み荷や乗客の数が船の大きさ、性能に比べて多すぎることが気がかりなので、100人隊長にここで留まることを忠告します。パウロはここでとどまるべきだと直感したのです。しかし船長、船主を始め大多数の意見は、「良い港」が冬を過ごすのに「良くない」のでフェニックス港まで足を伸ばすべきだということでした。意思決定権のある100人隊長はそれに従いました。それは決して無理な判断ではありません。荒海に向けて何日も航海を始めようというのではなく、クレタ島の島影を風の影響を受けず80キロだけ進み、冬を過ごすのにより快適な港フェニックスまで数時間だけ航海を続けようという提案です。確率で言えばパウロの心配が的中する危険はほとんどなかったのです。しかし彼らはフェニックスに着くことは出来ませんでした。暴風雨に巻き込まれてアドリア海を漂流することになるのです。


2) 遭難 (13-20)

ときに、南風が静かに吹いて来たので、人々は望みどおりに事が運ぶと考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んだ。しかし、間もなく「エウラキロン」と呼ばれる暴風が、島の方から吹き降ろして来た。船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができなかったので、わたしたちは流されるにまかせた。やがて、カウダという小島の陰に来たので、やっとのことで小舟をしっかりと引き寄せることができた。小舟を船に引き上げてから、船体には綱を巻きつけ、シルティスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて海錨を降ろし、流されるにまかせた。しかし、ひどい暴風に悩まされたので、翌日には人々は積み荷を海に捨て始め、三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまった。幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた。


 物事は望み通りに運ぶかに見えて、急変することがあるのです。専門家たちは豊富な経験から最善を選んだと確信して出港しました。しかしパウロの直感の方が的中しました。神様が彼の心に与えた直感だったのでしょう。パウロ以外の誰もが考えていなかった悪い方向に事態は向かいました。しかしこのことは、パウロとともにいた者達に、パウロが神の人であることを深く印象付けることとなりました。転覆を恐れて、積み荷ばかりか、船の装備までも捨てて出来るだけ軽くし、もう流れに任せることにしましたが、何日も暴風が続いたのでパウロとその仲間以外の船に乗っていた者達の全てはもう助かる望みを捨てていたのです。


B. マルタ島に漂着する

1) パウロ、実質的に船長となる (21-44)


人々は長い間、食事をとっていなかった。そのとき、パウロは彼らの中に立って言った。「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」
十四日目の夜になったとき、わたしたちはアドリア海を漂流していた。真夜中ごろ船員たちは、どこかの陸地に近づいているように感じた。そこで、水の深さを測ってみると、二十オルギィアあることが分かった。もう少し進んでまた測ってみると、十五オルギィアであった。船が暗礁に乗り上げることを恐れて、船員たちは船尾から錨を四つ投げ込み、夜の明けるのを待ちわびた。ところが、船員たちは船から逃げ出そうとし、船首から錨を降ろす振りをして小舟を海に降ろしたので、パウロは百人隊長と兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」と言った。そこで、兵士たちは綱を断ち切って、小舟を流れるにまかせた。夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づいて食事をした。船にいたわたしたちは、全部で二百七十六人であった。十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした。朝になって、どこの陸地であるか分からなかったが、砂浜のある入り江を見つけたので、できることなら、そこへ船を乗り入れようということになった。そこで、錨を切り離して海に捨て、同時に舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んだ。ところが、深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした。兵士たちは、囚人たちが泳いで逃げないように、殺そうと計ったが、百人隊長はパウロを助けたいと思ったので、この計画を思いとどまらせた。そして、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した。このようにして、全員が無事に上陸した。


 ほとんどの人が望みを失う時、立ち上がって人々を励まし、導くことが出来るのは、100人隊長のような権力者でも、船長のような経験者、技術者でもなく、囚人であり何の権力もなく、航海の知識も持っていなかったパウロのような人です。パウロには何があったのでしょうか?それは、神様への信頼であり、神様との近さです。天使を通してパウロに伝えられた神様の言葉を私たち向けにアレンジして言うなら「〇〇、恐れるな。あなたには神の備えた未来の計画があります。神は、あなたと共にいるすべての者を、あなたに任せてくださっています」ということです。だから私たちはこう言えるのです。「皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。」
 私たちの人生は、自分が船長でもない船に乗っているように思い通りにはならない航海のようなものです。自分の過失でもなく危ない目にも遭います。自分ではなく、自分の身近な人に起こる場合もあります。その時、本当に力になれるのは神を信頼している人です。それはパウロの出来事だけでなく、以前にメッセージで聞いたヨナの物語でもわかることです。皆さんは、いざというときに頼りになれる人です。それを忘れないで下さい。それはあなたがイエスと共に歩んでいるからです。
 時々、思いがけないことに遭遇して、「私は神様を信じているのになぜこんなことが起こるのだろう」という人がいます。神様を信じていれば他の人が時々直面するような困難を避けられると期待しているのでしょうか?しかしそれを期待するのは的外れなことです。


2) パウロは単にラッキーだったのか?(28:1-10)


わたしたちが助かったとき、この島がマルタと呼ばれていることが分かった。島の住民は大変親切にしてくれた。降る雨と寒さをしのぐためにたき火をたいて、わたしたち一同をもてなしてくれたのである。パウロが一束の枯れ枝を集めて火にくべると、一匹の蝮が熱気のために出て来て、その手に絡みついた。住民は彼の手にぶら下がっているこの生き物を見て、互いに言った。「この人はきっと人殺しにちがいない。海では助かったが、『正義の女神』はこの人を生かしておかないのだ。」ところが、パウロはその生き物を火の中に振り落とし、何の害も受けなかった。体がはれ上がるか、あるいは急に倒れて死ぬだろうと、彼らはパウロの様子をうかがっていた。しかし、いつまでたっても何も起こらないのを見て、考えを変え、「この人は神様だ」と言った。さて、この場所の近くに、島の長官でプブリウスという人の所有地があった。彼はわたしたちを歓迎して、三日間、手厚くもてなしてくれた。ときに、プブリウスの父親が熱病と下痢で床についていたので、パウロはその家に行って祈り、手を置いていやした。このことがあったので、島のほかの病人たちもやって来て、いやしてもらった。それで、彼らはわたしたちに深く敬意を表し、船出のときには、わたしたちに必要な物を持って来てくれた。


 パウロたちがたどり着いたのはマルタ島でした。命からがら辿り着いたパウロにもう一つの命の危険がすぐにやって来ました。島の人々が貞経してくれた薪にあたっていた時に、パウロは熱気のために出てきたマムシにその手を噛まれてしまいました。住人たちはその様子を見て、パウロは人殺しのような極悪人で、海では助かったが、正義の女神が赦さず蝮によって殺されると思ったのです。
 しかし、蝮の毒はパウロに全く害を与えることはありませんでした。神様が瞬間的に蝮の毒を消したのか、癒やしたのか、たまたま突然変異で毒のない蝮だったのか?それは神様にしかわかりませんし、その違いはあまり意味はありません。しかし、この出来事と後から、パウロが島の病人を癒やしたことから、彼が「神の権威と力を帯びた者」であることは誰の目から見ても明らかになったのです。こうして、海の上では、実質的に船長のように航海を導いたパウロは、マルタ島に上陸しても、その権威がその人によるものではなく上からのものであることを明らかにさせたのです。神様は信じる私たちの上に困難が起こらないようにするのではなく、神様の権威によって困難を乗り越えさせてくださる方です。そのことによって、私たちの周りの人々が神様を知るためです。あなたの何も困らない人生を見ても、人は自分とは関係のないラッキーな人としか見られないので、その人の慰めや励ましにはならないでしょう。しかしあなたが様々な試練をパウロのように信仰によって乗り越えてゆく時に、人はあなたに慰めを受け、あなたの信じる神様に救いを求めるようになります。あなたはそのような「神の人」として、この世界に遣わされ、置かれているところで輝いているのです。


メッセージのポイント

パウロのローマへの旅は命がけのものになりました。その困難な航海の中で、護送されている囚人に過ぎなかったパウロを、神は実質的なリーダーとして立て、一人の命も失わさせずに困難を乗り切らせます。たとえ生きている時代や状況が違っていても、あなたもパウロ同様に「神の人」です。

話し合いのために
1) なぜ船主、船長らは出港を急ぎ、パウロはそれに反対したのですか?
2) パウロがマムシに噛まれても無事だったのを見て、人々はパウロを何と思いましたか?