<メッセージノート>

2014/08/24 コロサイの信徒への手紙 1:1-8
良い知らせが聞こえる良い耳

1) 手紙の書き出し (1-3)

神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと兄弟テモテから、コロサイにいる聖なる者たち、キリストに結ばれている忠実な兄弟たちへ。わたしたちの父である神からの恵みと平和が、あなたがたにあるように。わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父である神に感謝しています。



2) 実を結び成長する“福音” (4-6)


あなたがたがキリスト・イエスにおいて持っている信仰と、すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について、聞いたからです。それは、あなたがたのために天に蓄えられている希望に基づくものであり、あなたがたは既にこの希望を、福音という真理の言葉を通して聞きました。あなたがたにまで伝えられたこの福音は、世界中至るところでそうであるように、あなたがたのところでも、神の恵みを聞いて真に悟った日から、実を結んで成長しています。


3) “霊”に基づくわたしたちの愛 (7,8) 

あなたがたは、この福音を、わたしたちと共に仕えている仲間、愛するエパフラスから学びました。彼は、あなたがたのためにキリストに忠実に仕える者であり、また、“霊”に基づくあなたがたの愛を知らせてくれた人です。


メッセージのポイント

 信仰と愛は、自分の力で獲得したり強くしたり出来るものではありません。それはイエス・キリストの十字架を根拠とする良い知らせを受け入れる事によってもたらされる希望の中に生じ、私たちに与えられるものです。十字架に基づく希望だけが本当の愛を実現するのです。

話し合いのために
1) パウロは本当の希望をどのようなものだと考えていますか?
2) 私たちはどうしたらもっと愛することができるようになりますか?


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<メッセージ全文>

2014/08/24 コロサイの信徒への手紙 1:1-8
良い知らせが聞こえる良い耳

 今日からコロサイの信徒への手紙と呼ばれる新約聖書の中の手紙について7回のシリーズでお話します。宗教の経典はそれぞれにユニークですが、聖書のユニークなところは、様々な時代、文化、地域に属する人々によって書かれた様々な形式の文書が集められたものだという点です。その中には、この書のように各地に生まれた教会に宛てた手紙もあり、そこに生きる人々への具体的な教えが含まれています。しかも不思議なことに、その教えが今を生きる私たちにとっても大きな意味を持っているので、聖書は2000年後の今でも世界中で読み続けられているのです。差出人のパウロは、イエスの教えの最も重要な継承者の一人です。コロサイは現在のトルコの南西の海岸から60キロ位離れた都市でした。2000年ほど前の、しかもトルコの町に住む人々に向けられて書かれた手紙が、皆さんにとってどのような意味を持っているのかということお話します。最初に1-3節を読みましょう。 


1) 手紙の書き出し (1-3)

神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと兄弟テモテから、コロサイにいる聖なる者たち、キリストに結ばれている忠実な兄弟たちへ。わたしたちの父である神からの恵みと平和が、あなたがたにあるように。わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父である神に感謝しています。

 手紙の書き出しは重要です。最近ではe-mailは出しても手紙を書いて出すことが少なくなりましたが、皆さんはいかがですか?事務的な手紙ではなく思いを伝える手紙です。その典型はラブレターだと思いますが、最後にラブレターを書いたのはいつの事だったでしょうか?遠い過去の記憶かもしれませんが思い出してみてください。便箋に自筆で書いているときはもちろん、封を閉じて切手を貼る時も、ポストに投函する時も、いや、それ以前に封筒や便箋、切手、ペンを選ぶ時からすでに、あらゆるプロセスで「私の思いよ、届け!」という思いが心にあふれてきたのではありませんか?特に書き出しには、最新の注意を払ったはずです。悩んで、なかなか先に進めないのです。この点では今は便利で、「効果的なラブレターの書き出し」とかでググればいろいろ出てきますが、それをそのままコピペしてバレたらTHE ENDですから注意して下さい。それよりもこのパウロの書き出しの方が使えます。この書き出しのエッセンスは「神からの恵みと平和が、あなたがたにあるように」「あなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父である神に感謝しています。」

 「あなたの幸せを願います。あなたの心が平和でありますように。」それは私たちの共通の願いでしょう。それが自分の特別に大切な人であれば、そう願わずにいられません。考えていただきたいのですが、あなたは誰にそれを願うのでしょうか?誰があなたの大切な人の幸せを守るのでしょうか?だれがその方の心に平和をもたらすのでしょうか?誰も自分の努力だけで幸せや心の平和を保つことは出来ません。誰かを幸せにする、安心させるということにも限界があります。「あなたを生涯守ります」と勇ましく宣言しても、自分のほうがはるかに早く生涯を終えるかもしれないのです。だからパウロは「神からの恵みと平和」と言い、「神に祈り、感謝しています」というのです。

 これが愛する人に一番に伝えるべきことだろうと、パウロは教えてくれるのです。「愛しているよ」というのは簡単です(それすらしない人もいますが)。パウロにいわせれば、愛しているとは、その人の幸せと平和を願い、それを神に祈り感謝することから始まり、その願いに基づいて行動するということです。愛は好きだという感情でも、いつでも一緒にいたいという願いでもありません。それはむしろあなたの欲望に属することです。あなたは大切な人がいるはずです。恋人とは限りません。配偶者、家族、友人、同僚も大切な人々です。それらの人々に、あなたが今できることは何でしょう?遠くに離れていれば、手紙でその思いを伝えることが出来ます。近くにいれば、行って、その人に幸せ、平和をもたらすことをしてあげられます。しかしそれらがかなわなくても、その人に神の恵みと平和があるように願い、神に祈り、感謝することがあなたにはできるのです。


2) 実を結び成長する“福音” (4-6)


あなたがたがキリスト・イエスにおいて持っている信仰と、すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について、聞いたからです。それは、あなたがたのために天に蓄えられている希望に基づくものであり、あなたがたは既にこの希望を、福音という真理の言葉を通して聞きました。あなたがたにまで伝えられたこの福音は、世界中至るところでそうであるように、あなたがたのところでも、神の恵みを聞いて真に悟った日から、実を結んで成長しています。

 愛は、天に蓄えられている希望に基づいている、とパウロは言いますが、それは先ほどお話した、「愛しているとは、その人の幸せと平和を願い、それを神に祈り感謝することから始まる」ということをを、別の角度から言い表したものです。何があっても消えない確かな希望は、天、つまり神様のうちに存在するというのです。

 ここに福音という言葉が二回出てきます。英語のゴスペルのほうが耳慣れているかもしれません。でもゴスペルは元々音楽の種類ではなく、good news (良い知らせ)という意味の言葉です。「天に蓄えられている希望」がありますという良い知らせです。この希望こそが確かな愛の根拠なのです。あなたにとって何が幸せなのでしょうか?仕事で成功することでしょうか?財産を築くことでしょうか?結婚することでしょうか?子供に恵まれることでしょうか?どれもうれしいことですが、それらを持っているのに不幸な人はいくらでもいます。人を幸せに出来るのは、愛し、愛されているという「関係」です。それなら周りもうらやむ素敵な恋愛で結ばれたはずの夫婦が離婚してしまうのは何故なのでしょうか?それは始めからそうだったのか、変わってしまったのかはわかりませんが、その関係は自分の願望に基づく愛であって、何があっても変わらない、天に蓄えられている希望に基づいている愛ではなかったからです。どうしたら確かな愛で愛し合えるのでしょうか?それは福音を聞くことから始まります。福音は、確かな愛が手に入ります、というだけでなくその方法まで含まれています。それは、イエスキリストに従って生きるということなのです。
 
 この部分の最後に、「この福音が実を結んで成長する」とあることを見逃さないで下さい。イエスの愛に基づく愛は、イエスに聞き続けるなら、あなたのうちにとどまらず、あなたの周りの人間関係をもっと良いもの、強いものとし、さらに増え広がってゆくというのです。福音を聞くことによって神とあなたの関係が始まります。そして聞き続けることによって、あなたとあなたの周りの人々との関係は 実を結び成長するのです。


3) “霊”に基づくわたしたちの愛 (7,8) 

あなたがたは、この福音を、わたしたちと共に仕えている仲間、愛するエパフラスから学びました。彼は、あなたがたのためにキリストに忠実に仕える者であり、また、“霊”に基づくあなたがたの愛を知らせてくれた人です。

 当時はアジアと言われた現在のトルコにイエスの教えを広めたのは主にパウロでしたが、コロサイで教会を組織したのは、パウロからそれを教えられたエパフラスという人でした。パウロはコロサイの人々と会ったことはなかったのです。しかし、彼らは良い知らせを聞いていました。パウロはイエスに、エパフロスはパウロに、人々はエパフロスに良い知らせを聞いたのです。あなたも誰かから良い知らせを聞いて、それを確かめるためにここにいるのです。

 福耳という言葉を聞いたことがありますか?耳たぶの下の部分がふっくらと長く大きい耳のことで、この耳を持つ人は財力権力を持つと言われてきました。でも本当の福耳とは福音が聞こえる耳です。それは実際の耳の形ではなく、本当に良い知らせを聞き逃さない心の耳です。この耳を持つ人の愛は“霊”に基づくものです。霊というと不気味な連想をするかもしれませんが、“人”にではなく“神”に基づくと考えて下さい。神を信じていようがいまいが、大切な人に幸せになって持たいたいという気持ちは誰でも持っているでしょう。しかし、お話してきたように、私たちの愛には限界があるのです。あなたの心の中に泉があってそこから愛が流れ出しているとします。それを惜しみなく与えようとするのが、その人に対する愛でしょう。しかし私たちの心の泉は、簡単に乏しくなったり枯れたりします。どうやって愛し続けることが出来ると保証できるのですか?それはあなた自身が、まず決して枯れることのない泉を発見することです。聖書のいう福音とは、イエス・キリストという、枯れることのない愛の泉があなたにも与えられているという知らせなのです。それを自分への良い知らせと取るのか、別にいいやと思うかは、あなたの選択次第です。あなたが本当の福耳を持っていることを願うばかりです。


メッセージのポイント

 信仰と愛は、自分の力で獲得したり強くしたり出来るものではありません。それはイエス・キリストの十字架を根拠とする良い知らせを受け入れる事によってもたらされる希望の中に生じ、私たちに与えられるものです。十字架に基づく希望だけが本当の愛を実現するのです。

話し合いのために
1) パウロは本当の希望をどのようなものだと考えていますか?
2) 私たちはどうしたらもっと愛することができるようになりますか?