<メッセージノート>

2014/11/2 コロサイの信徒への手紙 4:2-18  シリーズ最終回
祈りは私たちを結ぶ絆です


A. 最後に伝えておきたかった大切なこと


1) 祈りについて(2-4)


2 目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。
3 同時にわたしたちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。このために、わたしは牢につながれています。
4 わたしがしかるべく語って、この計画を明らかにできるように祈ってください。



2) 振る舞いについて (5-9)


5 時をよく用い、外部の人に対して賢くふるまいなさい。
6 いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。
7 わたしの様子については、ティキコがすべてを話すことでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟、忠実に仕える者、仲間の僕です。
8 彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼によって心が励まされるためなのです。
9 また、あなたがたの一人、忠実な愛する兄弟オネシモを一緒に行かせます。彼らは、こちらの事情をすべて知らせるでしょう。


B. 結びの挨拶でわかること


1) ユダヤ教の枠を越えられなかった者たちとの決別 (10, 11)


10 わたしと一緒に捕らわれの身となっているアリスタルコが、そしてバルナバのいとこマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もしそちらに行ったら迎えるようにとの指示を、あなたがたは受けているはずです。
11 ユストと呼ばれるイエスも、よろしくと言っています。割礼を受けた者では、この三人だけが神の国のために共に働く者であり、わたしにとって慰めとなった人々です。



2) 労苦を共にする者の存在 (12-18)


12 あなたがたの一人、キリスト・イエスの僕エパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼は、あなたがたが完全な者となり、神の御心をすべて確信しているようにと、いつもあなたがたのために熱心に祈っています。
13 わたしは証言しますが、彼はあなたがたのため、またラオディキアとヒエラポリスの人々のために、非常に労苦しています。
14 愛する医者ルカとデマスも、あなたがたによろしくと言っています。
15 ラオディキアの兄弟たち、および、ニンファと彼女の家にある教会の人々によろしく伝えてください。
16 この手紙があなたがたのところで読まれたら、ラオディキアの教会でも読まれるように、取り計らってください。また、ラオディキアから回って来る手紙を、あなたがたも読んでください。
17 アルキポに、「主に結ばれた者としてゆだねられた務めに意を用い、それをよく果たすように」と伝えてください。
18 わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。わたしが捕らわれの身であることを、心に留めてください。恵みがあなたがたと共にあるように。


メッセージのポイント
 イエスに従う者らしい振る舞いというものがあるとすれば、それは必ず祈りを土台とするものであるはずです。祈りは自分(たち)のための祈りであり、誰かのための祈りでもあります。私たちの人間関係は祈りによって結ばれているのです。あなたは祈りによって結ばれているティームのメンバーですか?


話し合いのために
1) あなたは誰のために祈っていますか?
2) パウロがこの手紙で伝えたかったことをいくつか上げて見ましょう。

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<メッセージ全文>

2014/11/2 コロサイの信徒への手紙 4:2-18  シリーズ最終回
祈りは私たちを結ぶ絆です


A. 最後に伝えておきたかった大切なこと


1) 祈りについて(2-4)


2 目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。
3 同時にわたしたちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。このために、わたしは牢につながれています。
4 わたしがしかるべく語って、この計画を明らかにできるように祈ってください。

 パウロは「あなた方のために祈っています」と書き出したこの手紙を、「あなた方も祈りなさい」という勧めで締めくくろうとしています。今日はこの「祈る」ということの意味を考えてゆきましょう。どのような信仰を持つ人も、信仰を持たない人でも、大抵の人は祈った経験があると思います。皆さんの中に生涯一度も祈ったことがないという人はいますか?もしそうなら、その人は完璧な無神論者で自分に絶対の自信を持っている立派な人と言えるでしょう。しかし殆どの人はそうではありません。不安、不満、自分の力では得られない願いがあるから祈るのです。祈りは神様への注文のように考えられています。日本ではいろいろな神様がいて、その分野に強い神様のところに行き、自分の願いを注文するのです。聖書の神を信じる人は、祈りをそのようなものとは考えてはいません。もちろん、切実な願いを祈ることも多いのです。しかしそれが祈りの全てではありません。2節にあるように感謝を祈ります。「ありがとうございます」と伝えるのです。「悲しいです、うれしいです、不安です」とも祈ります。神様は私たちが祈るときに「どういたしまして」「心配はいらないよ」「あなたの信頼を裏切りません」と心に語りかけてくれます。つまり、聖書の教える祈りは神様とのコミュニケーションなのです。一方通行ではコミュニケーションとは言いません。人間関係がコミュニケーション不足で不和になるように、神様との関係でもコミュニケーション不足が関係を壊します。コミュニケーションの基本は相手を知ることです。本当に信頼できる相手なのか?本当に存在する方なのか、確信がなければ本気で祈ることは出来ません。ぜひ聖書を通し、あるいはすでに信じている人を通して神様のことをもっとよく知って下さい。皆さんには、特別な用がなくても声を聞きたくて電話できる相手がいますか?神様はそのような方です。注文やクレームを受けるだけのコールセンターではありません。あなたの声をよく聞いてくださるだけではなく、心に語りかけてくださるのです。もうひとつの祈りの素晴らしさは、祈り合える、私のために祈って下さいと祈りのリクエストが出来るということです。すぐ近くにいなくても、直接その必要を満たしてあげられなくても、誰かのために祈ることが出来ます。この祈りに支えられて人は困難を乗り越えることができるのです。祈りは神様と人との関係だけではないのです。神様は祈りを通して人と人を結び合わせる方です。その実例を次の部分で知ることが出来ます。


2) 振る舞いについて (5-9)


5 時をよく用い、外部の人に対して賢くふるまいなさい。
6 いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。
7 わたしの様子については、ティキコがすべてを話すことでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟、忠実に仕える者、仲間の僕です。
8 彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼によって心が励まされるためなのです。
9 また、あなたがたの一人、忠実な愛する兄弟オネシモを一緒に行かせます。彼らは、こちらの事情をすべて知らせるでしょう。

 聖書を正しい振る舞いの教科書のようには考えないで下さい。そう出来ない自分に失望するだけです。ターザンを読んでもダイエットに成功しないのと同じ理由です。だから祈るのです、人々と少しでも良い関係を保てるように。パウロはここで、良い振る舞いや言葉を取って付けるようなことを勧めているわけではありません。祈りによって内面から現れる態度を身につけるしかないのです。だからひたすら祈りましょうというのです。ここでいわれている賢さとはIQ(intelligence quotient、知能指数)ではなくEQ(emotional intelligence quotient、感性の豊かの指数)です。そこから人を快くさせる言葉が生まれるのです。塩で味付けられた言葉とは「上から目線ではないが、権威のある信頼できる言葉」です。「感情的に怒るのではなく、愛情を持って叱る」言葉です。
 パウロが実際にそのような振る舞いをする人であったことが7節以下でよくわかります。ティキコはパウロの弟子のような立場の人ですが、パウロは彼のことを、自分のではなくイエスの弟子として「主に結ばれた、愛する兄弟、忠実に仕える者、仲間の僕」と紹介します。さらにオネシモについては「あなたがたの一人、忠実な愛する兄弟オネシモ」と言っていますが、オネシモはこのコロサイの教会のメンバーとなったフィレモンから逃れた逃亡奴隷でした。パウロは当時の奴隷制度を否定しようとはしませんでしたが、オネシモと、フィレモン両方の友となって、奴隷と所有者の関係を内面から兄弟のような関係に変えたのです。その人の振る舞いは、よくも悪くも周りの人々に影響を与えます。もしあなたが良い影響を与える人になりたいなら、まず神様との関係を良くすることを考えましょう。そうするとやはり出発点は祈りということになるのです。


B. 結びの挨拶でわかること


1) ユダヤ教の枠を越えられなかった者たちとの決別 (10, 11)


10 わたしと一緒に捕らわれの身となっているアリスタルコが、そしてバルナバのいとこマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もしそちらに行ったら迎えるようにとの指示を、あなたがたは受けているはずです。
11 ユストと呼ばれるイエスも、よろしくと言っています。割礼を受けた者では、この三人だけが神の国のために共に働く者であり、わたしにとって慰めとなった人々です。

 この手紙を書いているパウロはその生涯の前半を熱心なユダヤ教徒として、彼らからすれば異端的な新興宗教を攻撃することに捧げていた人です。ところがイエスとの出会いによってイエスに従う者となった後半の人生は、イエスの教えを小アジア、ヨーロッパにまで広めるという正反対の生き方をした人です。ユダヤ教徒から見ればひどい裏切り者ですから、命を狙われ続けました。彼と同時代の弟子たちもまた殆どはユダヤ教の背景を持った人々でしたが、彼らの多くはパウロのようにイエスの教えに徹底的に従うことは出来なかったようです。ユダヤ教イエス派といったスタンスに留まりたかったので、イエスに従いきることが出来なかったのです。パウロの変化は表面的に見れば、伝統的宗教から新興宗教に乗り換えたように見えます。しかしパウロ自身は全くそのようには思っていませんでした。彼の願いはイエスに出会う前も後も、ただ神様に従いたいという願いで一貫していました。パウロはイエスとの出会いで、自分の生き方の間違いに気付きました。気をつけて下さい。ユダヤ教の間違いではありません。ユダヤ教が間違っているから正しいキリスト教を作ろう、そんな高慢な態度ではなかったのです。真の神に出会う前の彼は、正しい宗教を守るためにその枠に収まらない人を攻撃したり、自分と同じ価値観を持つように説得したりすることが正しいと考えていました。しかし、イエスと出会って、他人をどうこうするのではなく、自分が最も信頼できる神、イエスに従って誠実に生きるということの大切さに気付いたのです。パウロの変化を見た人々の多くは彼に賛成できませんでしたが、彼の生き方を見て、自分もイエスに従いたいと思った人もいました。人はあなたに説得されてイエスを信じるのではありません。あなたの神と人に対する誠実さによって、自分もイエスに従いたいと思うのです。しかし従わせることが目的ではありません。神と人に対して誠実に生きることが、神様が私たちに与えてくださった人生の究極の目標なのです。


2) 労苦を共にする者の存在 (12-18)


12 あなたがたの一人、キリスト・イエスの僕エパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼は、あなたがたが完全な者となり、神の御心をすべて確信しているようにと、いつもあなたがたのために熱心に祈っています。
13 わたしは証言しますが、彼はあなたがたのため、またラオディキアとヒエラポリスの人々のために、非常に労苦しています。
14 愛する医者ルカとデマスも、あなたがたによろしくと言っています。
15 ラオディキアの兄弟たち、および、ニンファと彼女の家にある教会の人々によろしく伝えてください。
16 この手紙があなたがたのところで読まれたら、ラオディキアの教会でも読まれるように、取り計らってください。また、ラオディキアから回って来る手紙を、あなたがたも読んでください。
17 アルキポに、「主に結ばれた者としてゆだねられた務めに意を用い、それをよく果たすように」と伝えてください。
18 わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。わたしが捕らわれの身であることを、心に留めてください。恵みがあなたがたと共にあるように。


 パウロはこの最後の部分でもまた祈りの力を信じている者らしく書いています。「彼の周辺にいた人々がコロサイに人々のために祈っている」と伝えているのです。実は祈ってもらわなければならなかったのはむしろパウロやその周りの人々の方でした。パウロ自身は牢の中にいましたが、彼はその労苦を共にする者の存在に支えられていたのです。直接会える人は少なくても、信頼できる多くの人々とつながっていました。教会はキリストの体と表現されますが、祈りはその体の中に張り巡らされている神経によって伝えられる情報のように働きます。祈りのネットワークはあらゆる障壁を超えて広がります。イエス・キリストが十字架に付けられ、弟子たちが各地に散らされた出来事からまだ半世紀ほどしか経っていないこの時期に、牢に繋がれているパウロと、地中海沿岸の各地に住む、それぞれの置かれた状況の中で、自分たちのため、また他の人々のために祈る多くの人々がつながっていたのです。今の世界は当時よりも通信や交通の発達によってもっと狭くなっています。地球の反対側に住んでいても、無料で顔を見ながら話ができる時代です。一日か二日あれば世界にどこにでも行ける手段を持っています。それなのに、すぐ近くにいるのに心と心は繋がっていないということが多いのです。それが原因となり問題が起こります、時として家庭の中でさえ悲しい出来事が起こるのです。私たちがイエス・キリストを紹介するのは、この神経のような働きを人々の間に、世界中に張り巡らしてミスコミュニケーションをなくしてゆくためです。家族の中でも、仕事仲間でも、親しい友達でも、皆がそれぞれに、困難、悲しみ、不安を持っているのです。インターネットは便利です。世界中がケーブルでつながれていて情報が行き交います。インターネットの最大の特徴は中心がないということです。それは自由な情報のやりとりにとって欠かせないことです。しかしそれは同時に、行き交う情報の正しさを誰も保証してくれないということでもあります。盗み見られたり、改ざんされたり、地域的にブロックされたりするということも起こります。犯罪行為にも用いられます。万能ではありません。祈りのネットは、安全です。全てのプロセスが神様の支配のもとにあるからです。どうか、遠くても近くても祈りによって結ばれている人間関係を築いて下さい。そこから計り知れない恵みを得ることが出来ます。


メッセージのポイント
 イエスに従う者らしい振る舞いというものがあるとすれば、それは必ず祈りを土台とするものであるはずです。祈りは自分(たち)のための祈りであり、誰かのための祈りでもあります。私たちの人間関係は祈りによって結ばれているのです。あなたは祈りによって結ばれているティームのメンバーですか?


話し合いのために
1) あなたは誰のために祈っていますか?
2) パウロがこの手紙で伝えたかったことをいくつか上げて見ましょう。