<メッセージノート>

2014/12/7 アドヴェント第二日曜日 (ルカによる福音書1:26-38)
天使とマリアの会話


A. わからない

1) 天使 「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。 (26-28)


26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」



2) マリア 「・・・・・・・・・・・」(29)


29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。



B. ありえない

1) 天使 「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む」(30-33)

 
30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」



2) マリア 「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」(34)

 
34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」


C. お言葉どおり、この身に成りますように

1) 天使「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。神にできないことは何一つない。」(35-37)


35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。
37 神にできないことは何一つない。」



2) マリア「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(38)


18 そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」
19 天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。
20 あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」
21 民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。
22 ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。
23 やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。
24 その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。
25 「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」



メッセージのポイント
誰がマリアのようにこのような状況を受け入れることができるでしょうか? マリアの心は聖霊に整えられていました。だからあり得ない、あっては困る事態を受け止めることができました。それでも福音書の描くマリアの態度は、神様の意思を完全に理解していたものとは思えません。彼女もまた、最終的には十字架と復活を通してイエスが神であることを悟ったのです。

話し合いのために
1) マリアはなぜののような事態を受け入れることができたのですか?
2) 神様が現された「ありえないこと」を受け入れた(否定した)経験をシェアしてください?

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<メッセージ全文>

2014/12/7 アドヴェント第二日曜日 (ルカによる福音書1:26-38)
天使とマリアの会話

 イエスの誕生は、私たちには思いもよらない形で始まりました。誰も神様がこのような形でご自身を表されるとは想像できませんでした。神が人となるためには、これ以外の方法はありませんでした。突然空から降りてきたのでは、どんなにその姿が人間のようであっても人間ではありません。人間となったとはいえません。反対に夫婦の間に普通に生まれたなら、どんなに自分で私は神だと言っても、人であって神ではありません。被造物である人は創造者である神にはなれないのです。私たちがイエスを「まことの神であり、まことの人である」と告白するのは、普通の人であるマリアが聖霊によって身ごもり、イエスを生んだからです。全ての人にとっての良い知らせであるイエスの誕生は、マリアにはひどく厄介な人生の始まりでした。まず全体を通して読んでみましょう。

A. わからない

1) 天使 「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。 (26-28)


26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」


 マリアはもうすぐいいなずけのヨセフと結婚しようとしていました。神様はやがて起こる自分の体の変化に驚かないように天使を遣わして、イエスの誕生を伝えようとしたのです。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」後世の私たちが考えればその通りですが、天使が現れるということ自体が異常事態です。自分は夢を見ているのか、おかしくなってしまったのか?おめでとうも、めぐまれたも、主が共にいるも、マリアにとっては素直に受け入れられる言葉ではありません。むしろ、この言葉は、自分ではコントロールすることのできない面倒なことが起こる予感がしました。


2) マリア 「・・・・・・・・・・・」(29)


29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。


 天使はマリアに、考え込む時間をどのくらい与えたのでしょうか?ガブリエルには良いカウンセラーの才能があったようです。実際に何秒たったかわかりませんが、マリアが本題であるイエスを身ごもるという話を冷静に受け止めることができる心の準備をさせました。せっかちな天使には、この役はできません。天使の登場は、それが現実であるなら、神様が自分の人生に特別な介入をされることを意味します。自分には何が起こるのだろうか?まだここでは、期待ではなく、恐れや不安が彼女の心を支配しています。そして、多分、短すぎもせず、長すぎもしない絶妙のタイミングで天使は口を開きました。30-33節です。


B. ありえない

1) 天使 「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む」(30-33)

 
30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」

 これが神様が天使に託したマリアへのメッセージです。ガブリエルは、バプテスマのヨハネの誕生をその父ザカリアに告げた時と同じように「恐れることはない」と言って話を始めます。天使は、神からの恵みについて告げます。「イエス」はヘブル語のヨシュアで、「ヤハウェは救い」「救う者」と言う意味です。一般的な名前ですが、わざわざそう名付けることを命じられたのは、イエスがどのような方かを意味する名前だからです。永遠の支配者として今も生きて働いていてくださるイエスを知っている私たちにとっては納得の内容です。しかし、それはマリアにとってはとんでもなく厄介な内容でした。自分はヨセフと結婚しようとしているのに、ヨセフと結ばれる前に男の子を宿すということは、普通なら当然あってはならないことであり、事情を説明したところで信じてもらえないのは明らかで、下手をすれば姦淫の結果として石打ちにされるかもしれないのですから。しかしガブリエルはマリアの心を落ち着かせることのできた良いカウンセラーです。マリアはその内容を理解します。混乱していません。34節です。


2) マリア 「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」(34)

 
34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」

 自分に降りかかったひどくややこしい状況にも関わらずパニックに陥ることもなく、かといって、恵みとして素直も受け取れるでもなく、率直にこう答えたのです。「ありえません、起こるはずがありません」 それに対する天使の答えはこうです。35-37節。


C. お言葉どおり、この身に成りますように

1) 天使「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。神にできないことは何一つない。」(35-37)


35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。
37 神にできないことは何一つない。」

 マリアは天使のこの言葉に納得しました。「神様の霊が訪れて、神様の力があなたを包む、そうして人間の理屈を超えて誕生する子供だから、ただの子供ではなく聖なる者、神の子と呼ばれる。」懐妊の時に初めて聖霊が働き始めるのではなく、この出来事の中で、すでに聖霊は特別な働きを始めています。マリアの心を整えています。そうでなければ最後の38節のようには答えられなかったでしょう。もう一つ「神にできないことは何一つない」についてですが、これをカードの切り札のように、神様の不思議の万能の答えのようには考えないでください。わからないことをすべて「神にできないことは何一つない」で解決するのは、思考停止というものです。「神にできないことは何一つない」というのは「あなたにはわからない、いま納得することができない事態に置かれても、神様を信頼しましょう」ということなのです。マリアは天使の告げた言葉を神様からのものと認め、神様への信頼を言い表します。38節です。


2) マリア「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(38)


38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

 誰がマリアのように、こう答えてこのような状況を受け入れることができるでしょうか? マリアの心は聖霊に整えられていました。だからあり得ない、あっては困る事態を受け止めることができました。それでも福音書の描くマリアの態度をみればは、神様の意思を完全に理解し、従うことができていたわけではないことがわかります。彼女もまた、最終的には十字架と復活を通してイエスが神であることを悟ったのです。神様は、その一方的な選びによってマリアに重い役割を委ねました。マリア、あるいは来週お話しする予定の夫ヨセフほど特別なものではないにしても、私たちには皆、神様からの使命が与えられています。皆さんの置かれている状況も問題がないわけではないでしょう。なぜこんな私に、神様はさらなる重荷を与えようとするのかと思うかもしれません。しかしみなさんはマリアやヨセフが置かれているほどの問題にさらされているわけではありません。ですから、聖霊に満たされることを求めて、マリアのように「わたしは主のしいもべです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と言えるようになりたいと願いましょう。私たちが生かされているのは、なすべきことが与えられているからです。生まれたのも選びなら、生かされているのも選びです。神様の深く大きな意思は簡単には理解できず、納得もできません。しかし私たちに命を与え、今も地上を歩ませてくださっている神様に、私たちがつながる手段は理解でも、納得でもなく、信頼なのだということをマリアの答えは教えてくれます。皆さんが人生を終わりまで神様の祝福に満ちたものとして歩み通したいのなら、ただ、聖霊に満たされることを求め続け、「わたしは主のしもべです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と祈り続けることです。私たちにそうできる特権を与えるために神様は特別な方法でイエスとなって世界で最初のクリスマスに来てくださいました。今年のクリスマスが、まだイエスを知らない私たちの大切な人々のイエスと出会う機会となるように、イエスからその心が遠く離れてしまった人々の心に再びイエスの存在がかけがえのないものとなるように、期待して祈り、クリスマスを待ち望みましょう。

メッセージのポイント
誰がマリアのようにこのような状況を受け入れることができるでしょうか? マリアの心は聖霊に整えられていました。だからあり得ない、あっては困る事態を受け止めることができました。それでも福音書の描くマリアの態度は、神様の意思を完全に理解していたものとは思えません。彼女もまた、最終的には十字架と復活を通してイエスが神であることを悟ったのです。

話し合いのために
1) マリアはなぜののような事態を受け入れることができたのですか?
2) 神様が現された「ありえないこと」を受け入れた(否定した)経験をシェアしてください?