<メッセージノート>

2015/3/22  テサロニケの信徒への手紙1 3:6-13
信・愛・喜・祈 アンディ永原


A. 私たちの喜び (6-9)


1) 信仰と愛を見て喜ぶ (6)

ところで、テモテがそちらからわたしたちのもとに今帰って来て、あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました。また、あなたがたがいつも好意をもってわたしたちを覚えていてくれること、更に、わたしたちがあなたがたにぜひ会いたいと望んでいるように、あなたがたもわたしたちにしきりに会いたがっていることを知らせてくれました。


2) 生きがいといえるほどの喜び (7-9)

7 それで、兄弟たち、わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました。
8 あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。
9 わたしたちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか。


B. 私たちの祈り (10-13)


1) 信仰がもっと強くなるように (10, 11)

10 顔を合わせて、あなたがたの信仰に必要なものを補いたいと、夜も昼も切に祈っています。
11 どうか、わたしたちの父である神御自身とわたしたちの主イエスとが、わたしたちにそちらへ行く道を開いてくださいますように。


2) 愛が溢れ広がるように (12, 13)

32 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。33 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、34 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。35 そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』36 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」37 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」。


メッセージのポイント
パウロは自分自身の苦難の中にあっても、同じように苦難の中でテサロニケの人々に、愛という目に見える形で現される信仰が育っていることが嬉しくてたまりません。しかし愛、信仰には終点はありません。だからパウロは祈るのです。神様は、私たちに具体的なゴールを与えてはいません。そうではなく成長し続けることを期待しておられるのです。だから私たちも互いに祈り合いましょう。

話し合いのために
1) パウロは何について喜んでいるのですか?
2) 信仰はどのように成長するのでしょうか?

子供達のために
人が表す優しい心、親切、神様に信頼を見ると、私たちもうれしくなります。けれども同じ人が自分をがっかりさせるようなことをしたり言ったりするのを聞くこともあります。大人でもそうですが、子供にとってはもっと多く経験することでしょう。みんなが互いに、信仰、愛において成長できるように祈ることを勧めましょう。

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<メッセージ全文>

2015/3/22  テサロニケの信徒への手紙1 3:6-13
信・愛・喜・祈 アンディ永原


A. 私たちの喜び (6-9)


1) 信仰と愛を見て喜ぶ (6)

ところで、テモテがそちらからわたしたちのもとに今帰って来て、あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました。また、あなたがたがいつも好意をもってわたしたちを覚えていてくれること、更に、わたしたちがあなたがたにぜひ会いたいと望んでいるように、あなたがたもわたしたちにしきりに会いたがっていることを知らせてくれました。

 テモテはパウロに頼まれてテサロニケの人々の様子を見に行って帰ってきた直後に、この手紙をしたためています。会いたいと思っているのは自分だけでなく、テサロニケの人々も自分に会いたいと思っていることをテモテから聞かされ、とても喜んでいます。しかしパウロが最も喜んでいるのは、テサロニケで自分が去った後、様々な困難に直面しながら、彼らの神様を信頼し人を愛するという熱意が冷めていなかったことです。どんなに通信手段が発達しても私たちはパウロの気持ちを理解できるでしょう。10時間の飛行で会えるとしても、様々な理由でそれがかなわないことを私たちは知っています。私たちに会いたくても健康上の理由で飛行機に乗れないので残念に思っている人々がいます。子供たちがまだ学生だった頃は、国際電話にまだお金がかかっていた頃で、今のように声を聞くことも少なかったのですが、彼らが信仰と愛を分かち合うことの出来る人々の中に入られたことは、私たち夫婦にとって大きな喜びであり、慰めでした。ユアチャーチの素晴らしいところの一つは、世界中に、また日本の各地に私たちにとってのテサロニケの人々がいることです。再会するのは天国でということになる人もいるかもしれませんが、それでも互いのうちにはたらく愛と信仰を知って喜ぶことが出来るのです。それはいつでもうれしい知らせです。将来どこかに移り住むことがあっても、私たちはこの喜びを共に持ち続けることが出来るのです。


2) 生きがいといえるほどの喜び (7-9)

7 それで、兄弟たち、わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました。
8 あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。
9 わたしたちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか。

 パウロにとって、信仰と愛に生きるテサロニケの人々は喜び以上のものであったことがこの部分でわかります。それは、パウロ自身がその困難によって絶望してしまうことなく励ます力であったということです。それが並大抵の力ではなかったことが8節から覗えます。これは普通の表現ではありません。「あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。」 ‘あなたがた’が主にあって堅く立っているので、‘わたしたち’は本当に生きている。そのように思い合えるのが、イエス・キリストをベースとした人間関係、キリストの体の部分同士の関係です。わたしたちはイエス・キリストへの深い信頼があるので、置かれたところで愛することが出来るのです。そして私たちは、互いの信頼、愛を見るときに、その喜びが、神様への感謝としてわきあがることを知っていますが、パウロもこの時、この感謝の気持でいっぱいだったのです。
 皆さんの中で、今までお話してきた「誰かの信仰と愛が自分を喜ばせ、強くさせ、神様への感謝があふれる」ということがどうもわからない、あるいはもっとそうでありたいと思う人がいらっしゃると思います。そのような人だけではなく、誰にも今までのままでいいと満足していてもらいたくありません。もっと神様を信頼する、もっと人を愛する喜びを味わいたいと願ってほしいと思います。そこで、後半はもっと喜べる、もっと感謝できる秘訣をお話したいと思います。秘訣といってもそれはとてもシンプルです。それは祈ることなのです。では残りの部分10-13を読みます。


B. 私たちの祈り (10-13)

1) 信仰がもっと強くなるように (10, 11)

10 顔を合わせて、あなたがたの信仰に必要なものを補いたいと、夜も昼も切に祈っています。
11 どうか、わたしたちの父である神御自身とわたしたちの主イエスとが、わたしたちにそちらへ行く道を開いてくださいますように。

 この祈りのポイントは2つあります。人々の中に信仰が強められるようにという願いの込められた祈りと、愛が溢れ広がるようにという祈りです。まず、信仰が強められるように祈るということから取り上げます。10節に注目して下さい。良い知らせを聞いで喜んで感謝しているのに、パウロは夜も昼も切に祈り続けています。それでなお、直接会いたいという願いを持ち続けているのです。しかしここではもはや、ただ懐かしく寂しいから顔を見たいというセンチメンタルな動機からではない、パウロの真の動機が紹介されています。テサロニケの人々の信仰を更に強いものとしたいということが動機です。私たちは二つのレベルでできることがあります。一つは顔を合わせることの出来る人々とともに話したり祈ったりすることによって、お互いの信仰を強めることが出来る。もう一つは、遠くはなれていても互いの信仰が強くされるように祈るということです。その人の信仰はもう十分強いので祈らなくて良いという人は誰もいません。牧師やリーダーの信仰が強くされることもぜひ祈って下さい。昼でも夜でも‘切に’祈って下さい。この事の積み重ねが私たちのうちにもっと大きな喜びと感謝をもたらしてくれれうことでしょう。


2) 愛が溢れ広がるように (12, 13)

32 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。33 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、34 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。35 そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』36 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」37 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」。

 もう一つの祈りは、その人々から愛が溢れ広がるようにという祈りです。お互いに対する愛だけではなく‘すべての人’への愛が、その人から豊かに満ち溢れるようにして下さい、と祈るのです。ここで注意したいのは「わたしたちがあなたがたを愛しているように」というパウロの呼びかけです。あなたが誰かの為に祈るときに、あなた自身がその人を愛しているか?ということが問われているということです。自分と関係ないところで、愛が出現しますように、というような無責任な祈りではないのです。自分とその人が結ばれている愛の関係が、その人の周りにも広がりますようにという祈りです。そうすると私たちが求められているのは、いつもその人々を心に留めて、10節にあったように「切に」祈ること、祈りだけではなく、その人々の必要に誠実に応えていることでもあることがわかります。それは時にはとても重荷に感じてしまうことです。そんな時は一時静かなところに避難してもよいのです。イエスも弟子たちにそう勧めました。けれども私たちの生きる意味の中心が「愛すること」であることは、神様がすべての人に与えられた真理です。今年も多くの人がカヴェナントにサインしてメンバーとなりました。このサインの意味は「愛することに忠実」に歩みます、ということです。それは義務というより、自分自身のことだけを一喜一憂しているのではなく、喜ぶ人とともに喜び、泣く人とともに泣く事のできる、本当に豊かな生活が出来るという特権です。時にはゆっくりになってもいい、休んでもいい、でも生きている限り、信仰において愛において1メートルでも、1センチでも前に進んでゆきましょう。


メッセージのポイント
パウロは自分自身の苦難の中にあっても、同じように苦難の中でテサロニケの人々に、愛という目に見える形で現される信仰が育っていることが嬉しくてたまりません。しかし愛、信仰には終点はありません。だからパウロは祈るのです。神様は、私たちに具体的なゴールを与えてはいません。そうではなく成長し続けることを期待しておられるのです。だから私たちも互いに祈り合いましょう。

話し合いのために
1) パウロは何について喜んでいるのですか?
2) 信仰はどのように成長するのでしょうか?

子供達のために
人が表す優しい心、親切、神様に信頼を見ると、私たちもうれしくなります。けれども同じ人が自分をがっかりさせるようなことをしたり言ったりするのを聞くこともあります。大人でもそうですが、子供にとってはもっと多く経験することでしょう。みんなが互いに、信仰、愛において成長できるように祈ることを勧めましょう。