<メッセージノート>

2015/7/12 ルカ11:37-12:12
神様に知られている恐ろしさと恵み 池田真理


A. 偽善に対する主の怒り

1. 死んでいるのと同じ(11:37-44)

11:37 イエスはこのように話しておられたとき、ファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれた。38 ところがその人は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て、不審に思った。39 主は言われた。「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。40 愚かな者たち、外側を造られた神は、内側もお造りになったではないか。41 ただ、器の中にある物を人に施せ。そうすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる。42 それにしても、あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。薄荷や芸香やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もおろそかにしてはならないが。43 あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好むからだ。44 あなたたちは不幸だ。人目につかない墓のようなものである。その上を歩く人は気づかない。」


2. 他人も殺している (11:45-54)

45 そこで、律法の専門家の一人が、「先生、そんなことをおっしゃれば、わたしたちをも侮辱することになります」と言った。46 イエスは言われた。「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。47 あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。48 こうして、あなたたちは先祖の仕業の証人となり、それに賛成している。先祖は殺し、あなたたちは墓を建てているからである。49 だから、神の知恵もこう言っている。『わたしは預言者や使徒たちを遣わすが、人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。』50 こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる。51 それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。そうだ。言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。52 あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」53 イエスがそこを出て行かれると、律法学者やファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、54 何か言葉じりをとらえようとねらっていた。


3. 私たちも偽善に陥る (12:1-3)

12:1 とかくするうちに、数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。2 覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。3 だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」


B. 私たちの救い

1. 神様に知られている恵み (12:4-7, ローマ 5:16b)

12:1 とかくするうちに、数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。2 覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。3 だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」
4 「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。5 だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。6 五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。7 それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」

ローマ5:16b 裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。


2. 聖霊に生かされる (12:8-12, ローマ 8:11)


8 「言っておくが、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い表す。9 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の天使たちの前で知らないと言われる。10 人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されない。11 会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。12 言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」

ローマ8:11 もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。


メッセージのポイント
イエス様は神様を畏れない偽善者たちを容赦なく非難しました。外面や形式だけとりつくろっていても、神様は内面を見通されます。だから、神様に知られているということは偽善者にとっては恐ろしいことです。でも、神様の前に自分の罪を隠すことなく助けを求めるなら、神様は私たちを憐れみ、聖霊によって新しい命を生きるようにしてくださいます。だから、神様を畏れる者にとって、神様に知られているということは恵みになります。。

話し合いのために
1) 偽善の何が問題なのでしょうか?
2) 12:10はどういう意味でしょうか?

子供達のために
聖書を読むとしたら、全体は長いので12:4-7にしぼってみてください。神様は私たちのすべてを知っている、お見通しだ、ということは、怖いことでしょうか?嬉しいことでしょうか?多分、大人も子供も、自分に正直であれば、怖くないはずがありません。怖くない方が問題です。でも、だから神様はイエス様としてこの世界に来て下さいました。そして私たちひとりひとりと友達になってくださる方です。神様は私たちが間違いや失敗をすることよりも、それを隠そうとすることを悲しまれます。神様と、何でも打ち明けられる親友になってください。

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<メッセージ全文>

2015/7/12 ルカ11:37-12:12
神様に知られている恐ろしさと恵み 池田真理

先週、聖書は神様の言葉ですが、人間の手を通してまとめられているため、間違いや矛盾もあると聞きました。今日これから読む箇所も、別の意味でそのことを教えてくれます。聖書は、人間に対する神様の命令をまとめた単調なルールブックではなく、神様と人間の間のドラマチックな物語でもあるということです。電子機器の取り扱い説明書や、学校の校則のように、全部が同じ調子で、ただ物事が羅列してあるわけではありません。時に、感情があふれ出して物語が急展開するところもあれば、一言一言、丁寧に読み手に語りかけるところもあります。今日読む前半のルカによる福音書11章37-54節のイエス様は、言いたいことを一気に全部言っているような印象を受けます。それは、イエス様の感情を表しているとも言えますし、このイエス様の言葉をまとめたルカの感情を表しているとも言えます。偽善者たちに対する、怒りといらだちの感情です。読んでいきましょう。


A. 偽善に対する主の怒り

1. 死んでいるのと同じ(11:37-44)

11:37 イエスはこのように話しておられたとき、ファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれた。38 ところがその人は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て、不審に思った。39 主は言われた。「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。40 愚かな者たち、外側を造られた神は、内側もお造りになったではないか。41 ただ、器の中にある物を人に施せ。そうすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる。42 それにしても、あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。薄荷や芸香やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もおろそかにしてはならないが。43 あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好むからだ。44 あなたたちは不幸だ。人目につかない墓のようなものである。その上を歩く人は気づかない。」

イエス様は何回「あなたたちは不幸だ」と言っているでしょうか?3回です。40節では「愚かな者たち」とも言っています。相手に口を挟む隙を与えない勢いで、次々と非難の言葉を浴びせています。非難している内容は、食器のこと、捧げ物のこと、挨拶のことなどいろいろですが、すべてに共通しているのはそれが偽善だということです。規則や形式にとらわれて、中身を失っている状態です。宗教的な規則を守り、信仰深くて立派な人のふりをしていますが、実質は神様を愛しているのではなく、自分を愛しているだけです。「内側は強欲と悪意に満ちている」のです。イエス様は、そういう偽善者は「人目につかない墓のようなもの」だと言われています。つまり、神様の目には死んでいるのと同じだということです。人の目には多くの人に尊敬され、目立っているように見えても、神様から見ればみじめな姿だということです。イエス様にここまで徹底的に非難されたファリサイ派の人は、プライドを傷つけられ、驚きと怒りで口をパクパクしていたかもしれません。かわりにその場に居合わせた律法の専門家が抗議します。


2. 他人も殺している (11:45-54)

45 そこで、律法の専門家の一人が、「先生、そんなことをおっしゃれば、わたしたちをも侮辱することになります」と言った。46 イエスは言われた。「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。47 あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。48 こうして、あなたたちは先祖の仕業の証人となり、それに賛成している。先祖は殺し、あなたたちは墓を建てているからである。49 だから、神の知恵もこう言っている。『わたしは預言者や使徒たちを遣わすが、人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。』50 こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる。51 それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。そうだ。言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。52 あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」53 イエスがそこを出て行かれると、律法学者やファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、54 何か言葉じりをとらえようとねらっていた。

「あなたたちも不幸だ」と、イエス様はまた3回繰り返しています。それも、偽善者は自分たちが死んでいるだけでなく、今度は他人まで殺していると非難しています。偽善者は、自分たちに都合のいい基準で、自分たちが神であるかのように他の人を裁き、神様から遠ざけているからです。自分には甘く、他人には厳しいのです。自分が神の代理であるかのように考えているので、本当に神様が送られた預言者や使徒を信じることができません。そして自分の地位を守るために邪魔になるので、彼らを排除してしまいます。イエス様はこういう偽善者たちの決定的な間違いを、決して見過ごしませんでした。そして彼らに言うだけ言って、イエス様はその場から出て行かれました。いつも私たちが親しんでいる愛の神様のイメージと矛盾するように感じるかもしれません。でも、偽善というのは、神様が最も嫌われるものです。なぜなら、神様を神様として恐れず、神様を軽んじている態度だからです。次にイエス様は、弟子たちにもこの偽善に陥らないように注意しなさいと話し始められました。


3. 私たちも偽善に陥る (12:1-3)

12:1 とかくするうちに、数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。2 覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。3 だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」

神様には何も隠せない、神様は全てお見通しだと言われて、皆さんはどう感じるでしょうか?神様は善と悪を正しく見分けられる方です。他人と比べて多いか少ないかではなく、あるかないかで裁く方です。その方の前に立つ時何を感じるか、実はそれが私たちと神様の関係を決定付けます。神様に自分の全てを知られていると本気で受け止めるなら、怖い、恥ずかしいと思うのが正常です。ひとかけらの悪もない人は存在しないからです。それでも怖いと思わないのは、神様の前でも自分をごまかせると思っているからです。それか、ごまかせる程度の神様しかいないと思っているか、そもそも神様なんていないと思っているかです。それが神様を神様として恐れない態度です。自分ではそれに問題を感じないとしても、神様から見れば、外側ばかり見栄えを良くして内側の悪を隠している偽善に他なりません。この偽善というものは、これまで読んできたとおり、自分が死んでいることに気が付かないばかりか、他人を殺すことにもなります。そして神様は偽善者に対して怒りをあらわにします。39節が他と少し違うのにお気付きでしょうか?イエス様を指すのに、39節だけ「イエスは言われた」ではなく「主は言われた」と言われています。ルカは、単にイエス様の言葉を記録する以上に、私たち読み手に対して「これは主の怒りであり、主の裁きである」と語りかけているように思います。恐れるべき方を恐れなければ、私たちもファリサイ派の人たちや律法学者たちと同じように、この主の怒りを受けることになります。「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。」この厳しい裁きに耐えられる人はいません。だから、私たちにはイエス様の十字架が必要です。十字架を通して、神様は私たちを憐れみ、恐れを感謝に変えてくださいます。続きを読んでいきましょう。


B. 私たちの救い

1. 神様に知られている恵み (12:4-7, ローマ 5:16b)

12:4 「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。5 だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。6 五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。7 それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」

イエス様の話のトーンが急に変わりました。今読んだ6節の「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。」というのと、さっき読んだ2節の「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。」は基本的に同じことです。神様には全て知られている、ということです。それなのに、さっきは裁きで、今は恵みの言葉になっています。この違いはどこから来るのかというと、今読んだところの最初のイエス様の呼びかけに答えがあります。「友人であるあなたがたに言っておく」とイエス様は言っています。イエス様の友人であるならば、神様に何も隠されていないということは恐ろしいことではなく、恵みになります。私たちは、一見他人とうまくやっていたとしても、自分の内面を見るならば、結局は自分中心で他人を傷つけるようなものであふれています。イエス様との歩みを長く続けていても、依然として変わらない傲慢さ、虚栄心があります。それでも、イエス様はそんな私たちを友と呼んでくださっています。神様は私たちと友人となるために、十字架で苦しまれました。それはただただ神様の恵みです。パウロも言っています。


ローマ5:16b 裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。

十字架によって、裁きがあるべきところに赦しがもたらされました。友になるはずがなかった私たちと神様が、神様の一方的な招きによって友にされました。雀の一羽も、髪の毛の一本も、神様には覚えられています。神様と自分の間の隔たりを感じれば感じるほど、それがどれだけ驚くべきことか分かります。私たちは恵みの大きさに驚きながら、ただそれを受け取るだけです。イエス様は「恐れるな」と言ってくださっています。残りを読みます。


2. 聖霊に生かされる (12:8-12, ローマ 8:11)

8 また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。
9 援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、あなたがたがわたしたちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。
10 実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。
11 ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。
12 そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。

神様は私たちが簡単に一度受けた恵みから迷い出ることを分かっています。本当に恐れるべき方を忘れて、また恐れる必要のないものを恐れてしまうことを知っています。だから私たちに聖霊を与えてくださいました。私たちは自分が弱いままで醜いままだと思うかもしれませんが、十字架の恵みに触れて、確かにもう聖霊によって導かれています。自分の力に頼れなくても、聖霊様には頼れることを知らなければなりません。最後にもう一つパウロの言葉を紹介して終わりにしたいと思います。


ローマ8:11 もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。


メッセージのポイント
イエス様は神様を畏れない偽善者たちを容赦なく非難しました。外面や形式だけとりつくろっていても、神様は内面を見通されます。だから、神様に知られているということは偽善者にとっては恐ろしいことです。でも、神様の前に自分の罪を隠すことなく助けを求めるなら、神様は私たちを憐れみ、聖霊によって新しい命を生きるようにしてくださいます。だから、神様を畏れる者にとって、神様に知られているということは恵みになります。。

話し合いのために
1) 偽善の何が問題なのでしょうか?
2) 12:10はどういう意味でしょうか?

子供達のために
聖書を読むとしたら、全体は長いので12:4-7にしぼってみてください。神様は私たちのすべてを知っている、お見通しだ、ということは、怖いことでしょうか?嬉しいことでしょうか?多分、大人も子供も、自分に正直であれば、怖くないはずがありません。怖くない方が問題です。でも、だから神様はイエス様としてこの世界に来て下さいました。そして私たちひとりひとりと友達になってくださる方です。神様は私たちが間違いや失敗をすることよりも、それを隠そうとすることを悲しまれます。神様と、何でも打ち明けられる親友になってください。