<メッセージノート>

2015/10/18 (テモテへの手紙1 3:1-13)

牧師やリーダーに求められていること

永原アンディ


A. 牧師に求められていること (1-7)


1) 人格 (1-3,6)


1 この言葉は真実です。「監督の職を求める人がいれば、その人は良い仕事を望んでいる。」 2 だから、監督は、非のうちどころがなく、一人の妻の夫であり、節制し、分別があり、礼儀正しく、客を親切にもてなし、よく教えることができなければなりません。 3 また、酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、金銭に執着せず、

6 監督は、信仰に入って間もない人ではいけません。それでは高慢になって悪魔と同じ裁きを受けかねないからです。


2) 家庭 (4,5)

4 自分の家庭をよく治め、常に品位を保って子供たちを従順な者に育てている人でなければなりません。 5 自分の家庭を治めることを知らない者に、どうして神の教会の世話ができるでしょうか。


3) 良い評判 (7)

7 更に、監督は、教会以外の人々からも良い評判を得ている人でなければなりません。そうでなければ、中傷され、悪魔の罠に陥りかねないからです。


B. リーダーたちに求められていること (8-13)

8 同じように、奉仕者たちも品位のある人でなければなりません。二枚舌を使わず、大酒を飲まず、恥ずべき利益をむさぼらず、9 清い良心の中に信仰の秘められた真理を持っている人でなければなりません。10 この人々もまず審査を受けるべきです。その上で、非難される点がなければ、奉仕者の務めに就かせなさい。11 婦人の奉仕者たちも同じように品位のある人でなければなりません。中傷せず、節制し、あらゆる点で忠実な人でなければなりません。12 奉仕者は一人の妻の夫で、子供たちと自分の家庭をよく治める人でなければなりません。13 というのも、奉仕者の仕事を立派に果たした人々は、良い地位を得、キリスト・イエスへの信仰によって大きな確信を得るようになるからです。


C. あなたに求められているのは?


メッセージのポイント
当時の教会がどの様な組織であったのか、監督、奉仕者がどの様なはたらきをになっていたのか、正確にはわかりませんが、目に見える教会という人々の集まりの中で、神様に対して人々の様々な世話をする役割をになっていました。私たちはそれぞれが置かれているところで牧師であり、ここに書かれていることを求められていますが、特に監督として立てられている者が職責を果たすことができるように祈ることを忘れないで下さい。

話し合いのために
1) ユアチャーチの牧師のために何を祈りますか?今日それらのことを祈りましょう
2) 自分自身が求められているのはどのようなことでしょう?

子供達のために
家族の中心にイエスがおられること、両親のために祈ることを勧めて下さい。両親はイエスのことを子供たちに伝える責任を負っています。両親が神様の喜ばれることを出来るように祈りましょう。家族のみんながイエスを喜んで生活していけるよう祈りましょう。

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<メッセージ全文>

2015/10/18 (テモテへの手紙1 3:1-13)

牧師やリーダーに求められていること

永原アンディ


 ユアチャーチでは毎月最後の日曜日の午後、聖餐式の後にメンバーのミーティング、ハドルを行なっています。メンバーシップに興味がある人は誰でも参加できます。ユアチャーチには秘密はありません。このハドルの準備のために、その前の週の日曜日の午後はリーダーのミーティングを行なっています。この人たちは私を含めてユアチャーチに集う方々に仕えるために働いています。と言っても、ユアチャーチを自分の教会だと考えている人は皆、お客様ではありません。いつもお話していますが、皆さんはそれぞれ置かれているところで牧師の働きをしているのです。牧師やリーダーは、皆さんがここで真心からの礼拝をささげ、霊的な燃料を満タンにして、それぞれが活躍するところに出てゆくことが出来るように働いています。人のお世話をする人には特別な資質が求められます。神様の名において行われることなのですから、その責任は重いのです。時々、教会指導者の不祥事がニュースになります。被害者に対してはもちろん神様に対しても、他の人々に対しても申し訳のたたないことです。本当は指導者になってはいけない人がなってしまうということが起こるのです。本物か偽物か、違いは明確です。その人が「自分の国の実現」のためにその職に就いているのか、それとも「神の国の実現」のために労しているかの違いです。初めは正しい動機を持っていても、悪魔のささやきに負けてしまう人も起こります。誰かが「自分の国の実現」つまり自己実現のために指導者となることを防ぐための最も基本的な条件が今日のテキストの前半に記されています。それはその人自身の人格、家庭に対する責任、社会に対する責任の3つの観点から作られたリストです。

A. 牧師に求められていること (1-7)

1) 人格 (1-3,6)


1 この言葉は真実です。「監督の職を求める人がいれば、その人は良い仕事を望んでいる。」 2 だから、監督は、非のうちどころがなく、一人の妻の夫であり、節制し、分別があり、礼儀正しく、客を親切にもてなし、よく教えることができなければなりません。 3 また、酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、金銭に執着せず、

6 監督は、信仰に入って間もない人ではいけません。それでは高慢になって悪魔と同じ裁きを受けかねないからです。

 このリストは当時のギリシャ文化の指導者の資質についての要件とあまり変わらないもので、ユニークなものではなく常識的な要求であることが知られています。このような警告がなされなければならなかったのは、霊的な指導者は非常識でも構わないという風潮があったからです。例えば当時には、霊と肉を分けて考え、社会制度を肉の領域と考え、霊的な人は肉の領域の制度に縛られる必要はないとする異端的な考えの影響がありました。この「宗教的リーダーは人間的倫理を超えているから常識にとらわれる必要がない」という考えは「自分の国」を実現しようとする指導者に都合のいいものなので、現代でも常識を軽んじる指導者が起こるのです。
 6節にあるように高慢になる人を指導者にすることはできません。しかし高慢になる危険は信仰に入って間もない人にだけ起こるわけではありません。普通は年をとるに連れて丸くなるのが普通ですが、年をとってからとんがり始める人もいるのです。自分でも祈り、人々からも祈り続けられていなければ、誰も監督に相応しい徳性を保つことはできません。どうか祈り続けて下さい。


2) 家庭 (4,5)

4 自分の家庭をよく治め、常に品位を保って子供たちを従順な者に育てている人でなければなりません。 5 自分の家庭を治めることを知らない者に、どうして神の教会の世話ができるでしょうか。

 子供たちが小さかった頃、子供を育てることは私にとって、教会の働きより優先順位の上にありました。このパウロの警告を知っていたからです。なぜ子供たちを優先するのか理解してくれない人もいました。社会全体が、男は妻、子供よりも仕事優先が当然の時代でしたから当然でしょう。実は今でも統計を見ると日本は、男性が家事に関わる時間は諸外国の半分くらいです。しかし、ユアチャーチの初期のメンバーのほとんどは、パウロがこのことを教会のリーダーにより強く求めていることをよく理解してくれました。多くの知り合いの牧師が、子供たちがイエスに従って歩んでいないことを悲しんでいる中で、私は大変恵まれています。イエスに従う者として、それぞれ自分の人生を歩いていてくれるからです。それは神様と神様を愛する皆さんのおかげです。私はやがてユアチャーチの牧師ではなくなりますが、次の牧師にもそのような理解と応援を是非お願いします。


3) 良い評判 (7)

7 更に、監督は、教会以外の人々からも良い評判を得ている人でなければなりません。そうでなければ、中傷され、悪魔の罠に陥りかねないからです。

 ここにはイエスからパウロに伝えられ、パウロが私たちに伝えようとしている教会のあり方が暗示されています。それは決して社会から孤立していない、社会に良い影響を与えるものとしての教会です。その取り組み方は一つ一つの教会によって違います。与えられているヴィジョン、集められている人々によってそれぞれが個性的なミニストリーを担うのです。教会の監督が、社会との繋がりに消極的であったり、ただ人を自分の国の構成員として集めたいだけの人であれば、教会は社会とは関わりのないものになってしまいます。それは独善に陥るということです。独善的になった宗教がどのようなものか、私たちはその恐ろしさをよく知っています。教会の指導者であろうと思うなら、教会の中のことだけに詳しいが、社会の動向には関心がなく、どんな政治が行われていようと、どんな社会問題があろうと関係なく「心の救い」「回心」だけにフォーカスするというあり方はイエスの求める教会ではありません。私たちは誰の願いでもなくイエスが願う教会として歩んでゆきたいのです。 


B. リーダーたちに求められていること (8-13)

8 同じように、奉仕者たちも品位のある人でなければなりません。二枚舌を使わず、大酒を飲まず、恥ずべき利益をむさぼらず、9 清い良心の中に信仰の秘められた真理を持っている人でなければなりません。10 この人々もまず審査を受けるべきです。その上で、非難される点がなければ、奉仕者の務めに就かせなさい。11 婦人の奉仕者たちも同じように品位のある人でなければなりません。中傷せず、節制し、あらゆる点で忠実な人でなければなりません。12 奉仕者は一人の妻の夫で、子供たちと自分の家庭をよく治める人でなければなりません。13 というのも、奉仕者の仕事を立派に果たした人々は、良い地位を得、キリスト・イエスへの信仰によって大きな確信を得るようになるからです。

 ここで奉仕者と呼ばれている人々に求められているリストは、監督のためのリストと多くの点で重なっています。違いは、監督に求められている「よく教えることが出来ること」という項目がなく、監督のためのリストにはない「忠実であること」が加えられていること、そして社会に対する責任についての項目が省略されていることくらいです。忠実という言葉はこちらにしか出ていませんが、監督にとって主イエスに対する忠実、その体である教会に忠実でなければならないことは言うまでもありません。私たちは皆主イエスに対する忠実を求められています。この点に関しても、「自分の国の実現」のためにその職に就いている偽の監督なら「私に忠実でなければならない」といいますがそれは偽りです。
 ほぼ同じリストだということは、奉仕者にも、監督と同じ高潔さ、徳を求められているということでしょう。メッセージをする必要も、教会を代表して社会に関わりを持つ必要もありませんが、それ以外のこと全てが監督と同様な資質を求められています。そして、その資質は自分の力で保つことができないものだということを繰り返してきました。だから私たちは共に礼拝を捧げ、交わりの中で祈り合い、助け合い、戒め合って成長してゆくのです。


C. あなたに求められているのは?

 私たちのコンセプトでは、教会は自分の家のように出て行くところであり帰ってくるところであって、行くところではありません。皆さん自身が、神様の愛の働きを日常生活の中で行なって行くために、エネルギーを補給し、不具合を調整し出て行くガソリンスタンドのようでものです。ガソリンスタンドをドライブの目的地にする人はいません。同じように、イエスに従って歩んでいる人は教会には行きません。ここから出ていくためにここにいるのです。ですから私たちリーダーは日曜日に心をこめて皆さんのお世話をします。それは皆さんが月曜から土曜にかけて、良いコンディションで人々をお世話するためです。今日お話ししてきたリーダーに問われる、自分の人格についての責任、家庭に対する責任、社会に対する責任は月曜から土曜までの皆さんに問われている責任でもあります。今日お話ししてきたのは皆さんがユアチャーチのリーダーをチェックするためではなく、自分自身をチェックするためなのです。このチェックをクリアするために大切なことを二つお話して終わりにしますので、是非心に留めてお帰り下さい。一つは、この場所で提供されるサービスを出来るだけ受け取って帰っていただきたいということです。最近はセルフサービスのスタンドばかりでフルサービスのスタンドを知らない人もいるかもしれませんが、ユアチャーチはフルサービスの教会ですから必要な物を全て補給して一週間のドライブに出発して下さい。もう一つのことは、このサービスの質が向上できるように牧師やスタッフのためにも祈ってほしいということです。この2つのことが神様があなたにさせようとしている愛の働きを力強いものにするのです。


メッセージのポイント
当時の教会がどの様な組織であったのか、監督、奉仕者がどの様なはたらきをになっていたのか、正確にはわかりませんが、目に見える教会という人々の集まりの中で、神様に対して人々の様々な世話をする役割をになっていました。私たちはそれぞれが置かれているところで牧師であり、ここに書かれていることを求められていますが、特に監督として立てられている者が職責を果たすことができるように祈ることを忘れないで下さい。

話し合いのために
1) ユアチャーチの牧師のために何を祈りますか?今日それらのことを祈りましょう
2) 自分自身が求められているのはどのようなことでしょう?

子供達のために
家族の中心にイエスがおられること、両親のために祈ることを勧めて下さい。両親はイエスのことを子供たちに伝える責任を負っています。両親が神様の喜ばれることを出来るように祈りましょう。家族のみんながイエスを喜んで生活していけるよう祈りましょう。