<メッセージノート>

2015/11/2
憎しみの連鎖を断ち切るイエスの言葉  永原アンディ


わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。(ヨハネ14:27)

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5:9)

1. 憎しみは連鎖する (ハバクク書1:3)

どうして、あなたはわたしに災いを見させ労苦に目を留めさせられるのか。暴虐と不法がわたしの前にあり争いが起こり、いさかいが持ち上がっている。(ハバクク書1:3)


2. 憎しみの起源、連鎖のはじまり (創世記4, ハバクク1:6-11, 2:9-13)

さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。(創世記 4:1-8)

彼らは来て、皆、暴虐を行う。どの顔も前方に向き砂を集めるようにとりこを集める。彼らは王たちを嘲り支配者たちを嘲笑う。どんな砦をも嘲笑って土を積み上げ、それを攻め取る。彼らは風のように来て、過ぎ去る。しかし、彼らは罪に定められる。自分の力を神としたからだ。 (ハバクク1:9-11)

災いだ、自分の家に災いを招くまで不当な利益をむさぼり災いの手から逃れるために高い所に巣を構える者よ。お前は、自分の家に対して恥ずべきことを謀り多くの民の滅びを招き、自分をも傷つけた。まことに石は石垣から叫び梁は建物からそれに答えている。災いだ、流血によって都を築き不正によって町を建てる者よ。見よ、これは万軍の主から出たことではないか。諸国の民は力を費やしても火で焼かれるのみ。諸民族はむなしい業のために疲れ果てる (ハバクク書2:9-13)



3. 私たちの希望 - 憎しみに勝てるのは憎しみではなく愛 (1テサ 5:15)

だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。 (Iテサロニケ5:15)



4. 私たちの意志 - イエスに従うとは、この連鎖に連ならず、むしろ断ち切ること (ルカ6:27-31)


「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。 (ルカ6:27-31)


5. 私たちの姿勢/行動 - どう愛したら良いのか? (ルカ6:35,36)


しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」 (ルカ6:35,36)

行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。 (マタイ 10:7,8)



メッセージのポイント
憎しみの連鎖は人間の歴史の初めからありました。しかし、イエスが世界に来られるまで、憎しみの連鎖を断ち切る方法は誰も知りませんでした。イエスはその方法を示されましたが、今のところ多くの人々はそれを受け入れてはいません。だからこそイエスに従う人々の役割は大きいのです。私たちはイエスに従う者として憎しみの温床を平和の苗床に変えることが出来るのです。

話し合いのために
1)どうしたら憎しみの連鎖を断ち切ることが出来るでしょうか?
2)実際にどのように愛することができるのでしょうか?

子供達のために
世界中で起こっているテロで多くの子どもたちが犠牲となっています。なぜそのような悲劇が続くのでしょう?これが、人間の歴史の初めから続く連鎖であることを伝えてください。子供たちは、報復(仕返し)が平和をもたらすことはないことを体験として知っています。どうしたら平和をもたらすことが出来るか話しあいましょう。イスラムの子供たちの教育を支援するマーティンとサヤカの働きを紹介してもいいでしょう。

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<メッセージ全文>

2015/11/2
憎しみの連鎖を断ち切るイエスの言葉  永原アンディ


わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。(ヨハネ14:27)

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5:9)

1. 憎しみは連鎖する (ハバクク書1:3)

どうして、あなたはわたしに災いを見させ労苦に目を留めさせられるのか。暴虐と不法がわたしの前にあり争いが起こり、いさかいが持ち上がっている。(ハバクク書1:3)

 11月13日パリで起きた出来事を知って皆さんはどのような思いを持ったでしょうか?命を奪われた人々やその家族への憐れみ、このような事が起こり続けることへの悲しみ、テロリストへの憎しみ、神様に対する怒り。様々な思いをいだき世界中が喪に服しました。
 120人以上になってしまった同時多発テロに巻き込まれたパリの犠牲者とその家族の方々には本当に気の毒に思います。しかし同時に、日常的に毎日多くの人々が犠牲になっている中東諸国の諸都市のことも忘れてはいけません。「パリでそんなことが起こるなんて」とという気持ちもよくわかります。でも、そんなことが起こっていい場所なんてどこにもないはずです。
 パリでの出来事は突発的なものではありません。その前日の12日、ベイルート(レバノン)では43人の死者と200人の負傷者を出しています。中東ではパリで起こったようなことが日常的に起きています。世界中で同じようなことがいつ起こってもおかしくない状態がずっと続いているのです。各国の指導者たちはテロとの徹底的な対決が必要といいます。それは圧倒的な資金と技術をバックに報復するという意味です。しかしその方法が上手くはいかないことは9/11以来、誰の目にも明らかです。憎しみを憎しみで返すなら、さらに大きな憎しみを受けることになります。
 憎しみの連鎖はどこから来たのでしょう? 輝く瞳を持った屈託のない子供たちがなぜテロリストになるのでしょう? なぜ私たちはこれを断ち切ることが出来ないのでしょうか? 本当に断ち切る方法はないのでしょうか? 今日、これらのことを聖書の言葉から一緒に考えてゆきましょう。


2. 憎しみの起源、連鎖のはじまり (創世記4, ハバクク1:6-11, 2:9-13)

さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。(創世記 4:1-8)


 これは世界で最初の殺人事件です。カインは神様が自分の捧げ物を喜ばず、弟アベルの捧げ物を喜んだ神様を恨みました。そして、神さまに喜ばれた弟を憎しみのあまり殺してしまいます。私たちは、ここに憎しみの起源を見ることが出来ます。カインは自分が正しいという自信があったなら、神様に対して不服を申し立てればよかったのです。しかし、彼は自分が正しくないことを知っていたので、その怒りを弟に向けたのです。この前の部分、3章には、この事件に先立って私たちにとってさらに大きな影響を与えた事件が記されています。それは有名なアダムとエヴァの神様に対する背反の事件です。罪の始まりです。ここでいう罪とは単に命令違反ということではありません。神様を信頼して生きるのか、自分を信頼して、つまり自己中心的に生きるかの二者択一で後者を選択したということです。この罪の性質が、早くも息子カインの心に憎しみを生み、世界初の殺人事件が起こったのです。そして殺人犯カインが今度は自分が恨まれ殺されると恐れます (4:14)。 兄弟は最初の人、アダムとエヴァの子供ですから、私たちは皆カインの性質を持った者です。激しく恨み、報復する性質です。兄弟の争いでさえ殺人が起こるのです。それは関係が遠くなればなるほどさらに遠慮がなくなり、自分の怒りや憎しみは、正義であるとさえ思えてきますが本質は同じです。今週よく目にするトリコロールも他の旗同様、全く罪のないことを表しているとはいえません。トリコロールはアルジェリアやべトナムでは、人々に恐怖や嫌悪を起こさせるものでした。中国や韓国で日の丸が焼かれたりすると憤りを憶えるかもしれませんが、それは日の丸も支配者、侵略者のシンボルであったことに起因しています。どの旗も無垢ではありえません。誰も、どの国も罪のないものはいないからです。ハバクク1:9-11を読みます。

彼らは来て、皆、暴虐を行う。どの顔も前方に向き砂を集めるようにとりこを集める。彼らは王たちを嘲り支配者たちを嘲笑う。どんな砦をも嘲笑って土を積み上げ、それを攻め取る。彼らは風のように来て、過ぎ去る。しかし、彼らは罪に定められる。自分の力を神としたからだ。 (ハバクク1:9-11)

この預言は、今世界中に恐怖と憎しみをまき散らしているテロリストたちにも当てはまります。そして預言の通りに彼らの時は過ぎ去るでしょう。一方で 2:9-13は攻撃を受けた都市を持つ国とその権力者をも責めています。読んでみましょう。

災いだ、自分の家に災いを招くまで不当な利益をむさぼり災いの手から逃れるために高い所に巣を構える者よ。お前は、自分の家に対して恥ずべきことを謀り多くの民の滅びを招き、自分をも傷つけた。まことに石は石垣から叫び梁は建物からそれに答えている。災いだ、流血によって都を築き不正によって町を建てる者よ。見よ、これは万軍の主から出たことではないか。諸国の民は力を費やしても火で焼かれるのみ。諸民族はむなしい業のために疲れ果てる (ハバクク書2:9-13)

現在富んでいる国々の富の多くは、彼らの植民地とされた国々の資源や労働力によって築かれたものです。手に入れた利権を手放したくないのは個人でも国家でも同じです。持っていない者に我慢を強いることをしがちです。どこで起こる災い、流血であれ国家、権力者に何の問題もなかったとはいえないのです。
このような情況の中で、私たちには何も出来ないのでしょうか?絶望するしかないのでしょうか?



3. 私たちの希望 - 憎しみに勝てるのは憎しみではなく愛 (1テサ 5:15)

だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。 (Iテサロニケ5:15)


 来週からアドヴェント、クリスマスを待ち望む4週が始まります。ユアチャーチでは例年、3週にわたってクリスマスを待ち望む意味についてメッセージがなされ、4週目にはイエスの降誕の意味についてのメッセージがなされます。来週のファーストアドベントのメッセージは私の担当なので、ハバクク書からお話しようと決めたのです。それは、ベイルートやパリの事件が起こる以前のことで、特にあちこちで起こるテロを意識してのことではなかったのですが、事件が起こってみると、ハバクク書は出来事について多くの示唆を与えてくれていることに気付きました。心がウキウキしてもいいクリスマス前になんでこんなことが起こるのかと思ってしまいますが、実は世界がこうであるからこそイエスが待ち遠しいのです。2000年前に来たのに世界が変わらないと文句を言ってはいけません。イエスは確かに来られました。しかし、それはひとりひとりの心の扉の前までなのです。そこから先は、私たちが気付いて、心を開いてお迎えしなければ、その人の中に来られたとはいえないのです。イエスの心を知らない人は大勢います。自分をキリスト教徒だと考えているかどうかが問題なのではありません。 その中にはイエスの心を知らず悲しませている者も多くいるのですイエスの心を知っている人とは、イエスのように考え、行い、生きる人のことです。最初に紹介した二つのイエスの言葉を読むと、イエスの平和は今までの世には存在しなかったものであり、それはイエスの心を知った者達によって現されることがわかります。イエスが従う人々に対して命じたことは「愛する」ということです。それは自分自身を与えることによって、相手の必要を満たすということです。イエスはこのことを教え、イエスに従う者が光で闇を照らすように、愛で憎しみを消していくことを期待して天に帰られました。公民権運動の指導者キング牧師はこう言っています

Darkness cannot drive out darkness; Only light can do that.
Hate cannot drive out hate; Only love can do that.
闇は闇では追い払えない それが出来るのは光だけ
憎しみは憎しみで屈服させることはできない それが出来るのは愛だけ。
- Martin Luther King, Jr.(マーティン・ルーサー・キング)

キング牧師が未来に大きな希望を抱いていたように私たちにも平和の希望があります。その実現の鍵は私たちの意思です。


4. 私たちの意志 - イエスに従うとは、この連鎖に連ならず、むしろ断ち切ること (ルカ6:27-31)


「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。 (ルカ6:27-31)

 ほとんど不可能と思われるような言葉です。しかしイエスはそのように歩かれました。そしてその結果、人々に尊敬されるどころか、憎まれ十字架にかけられてしまいます。一人のパキスタンの少女が「憎しみは新しい憎しみを生み出すだけです。」と言っていました。子供でも知っていることです。多くの人が知っていても出来ないとあきらめています。その通りです。自分の力でイエスのように歩ける人は一人もいません。だからイエスは私に従ってきなさいと言われます。
 イエスに従う者となることによって、罪は赦されると聖書は保証しています。しかし、私たちの罪の性質は、罪が赦されたからといって決して無くなるわけではありません。そうであるなら、敵意を向けるべきなのは特定の民族や宗教や国家なのではなく、人間であれば例外なく誰もが持っている、私たち一人一人の中にある罪の性質です。イエスは互いに愛し合いなさいと言われます。誰であれ神様の大切な被造物である全ての人間は敵対して争う相手ありません。むしろ手をつないで励まし合い罪の性質と戦わなければならない友としなければならないのです。その第一歩はイエスに従って生きる者となるという決心です。そしてその意志を持ち続けることです。そのことが憎しみの連鎖を断ち切ります。
 イエスは私たちが何度も失敗してイエスを悲しませることも承知の上です。あきらめずに従い続けましょう。



5. 私たちの姿勢/行動 - どう愛したら良いのか? (ルカ6:35,36)


しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」 (ルカ6:35,36)


 最後に私たちが主イエスキリストに従いその意志をどの様に行動として表してゆけるかを考えて来週からのアドヴェントを迎えたいと思います。
 まず心に留めておきたいことは、今回起こったような物事を、一面的に見るのではなく背景やコンテキストを知った上で考えるということです。そうすれば、誤解によってせっかく離れたはずの憎しみの連鎖に戻ってしまうことを防ぐことになります。
 自分のこととしては、イエスに従うことによってこのチェーンには繋がらないことは前の部分でお話しました。しかし、すでに生まれてしまった根強い憎悪をどのように処理すればよいのでしょうか。私たちの手には余ることなのでしょうか? それは可能です。憎しみの温床となるものを一つ一つ取り除いていくことができるのです。貧困の中にいる人々、差別されている人々、教育を受けられない子供たち、暴力にさらされている人々に手を差し伸べることです。もし私たちがしなければ、テロリストたちは喜んで代わってくれます。彼らは子供たちをどう教育するのでしょう。彼らの学校はすでに存在しています。そこでは敵の中で自爆して死ぬための訓練をおこなわれ、そうすれば天国で祝福されると教え込まれるのです。私たちはまだささやかですが、すでに必要な人々に手を差し伸べています。インドネシアの子供たちの健康と教育のためにマーティンとサヤカの働きを応援していてます。ワールドビジョンの提供する困難な生活を強いられている子供たちの応援をしている方も多いと思います。参加してない方がいるならぜひ力を貸してください。しかし、私たちが心に留めなければならないのは遠い国の人達ばかりではありません。この国でも貧富の格差は大きくなってきました子供の6人に1人は貧困状態にあります。手を差し伸べられるところはこの国にもあるのです。そして実は皆さんの一番近くにいる人達も飢え渇いているかもしれません。実際の食べ物の必要ではないかもしれませんが、孤独や無理解、関係が壊れてしまったことでの、心の飢え乾きを持った人は皆さんの周りにもいるはずです。あなたがイエスに頂いた無限の愛を渡してあげてください。最後にマタイによる福音書の10章7,8節に記されているイエスの言葉を紹介して終わります。

行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。 (マタイ 10:7,8)



メッセージのポイント
憎しみの連鎖は人間の歴史の初めからありました。しかし、イエスが世界に来られるまで、憎しみの連鎖を断ち切る方法は誰も知りませんでした。イエスはその方法を示されましたが、今のところ多くの人々はそれを受け入れてはいません。だからこそイエスに従う人々の役割は大きいのです。私たちはイエスに従う者として憎しみの温床を平和の苗床に変えることが出来るのです。

話し合いのために
1)どうしたら憎しみの連鎖を断ち切ることが出来るでしょうか?
2)実際にどのように愛することができるのでしょうか?

子供達のために
世界中で起こっているテロで多くの子どもたちが犠牲となっています。なぜそのような悲劇が続くのでしょう?これが、人間の歴史の初めから続く連鎖であることを伝えてください。子供たちは、報復(仕返し)が平和をもたらすことはないことを体験として知っています。どうしたら平和をもたらすことが出来るか話しあいましょう。イスラムの子供たちの教育を支援するマーティンとサヤカの働きを紹介してもいいでしょう。