<メッセージノート>

2015/12/13 アドヴェント第三日曜日 ルカ1:26-56
マリアと共に歌おう
池田真理

A. 全てを理解できなくても神様を信頼する

1) 神様はある村の少女に特別な役割を与えられた (26-34)

26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」



2) 「私は主のはしためです」 (35-38)

35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。37 神にできないことは何一つない。」38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。



B. 同じ信仰を持つ人と共に喜ぶ

1) 共に神様の働きを見る (39-45)


39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。40 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。41 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。43 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。44 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」



2) 主をたたえて喜ぶ (46-56)

そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
 今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
 その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
 主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
 権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
 飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。
 その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、
 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
 アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。



メッセージのポイント
神様の子を産むという役割は、歴史上マリアにだけ与えられた特別な役割です。非常識で受け入れがたい役割ですが、マリアの心を神様が聖霊によって導かれたので、マリアは戸惑いつつも受け入れました。神様は同時にエリサベトにも働きかけ、マリアとエリサベトが共に励ましあい、主を信頼できるように準備されていました。私たちも、聖霊によって導かれて、主が共にいてくださることを共に喜びましょう。

話し合いのために
1) マリアはなぜ天使の言葉を受け入れられたのですか?
2) マリアはなぜエリサベトに会いに行ったのでしょうか

子供達のために
マリアに与えられた役割と、それを受け入れたマリアの心を一緒に話し合ってみてください。マリアが自分の役割を受け入れたのは、マリアが素晴らしい信仰の持ち主で特別だったからというわけではありません。マリアにも恐れと不安がありました。でも、ふだんから、「私は主のはしため(僕)です」という気持ち、神様に仕えたいという願いを持っていました。それは聖霊の働きによります。私たちも聖霊の助けなしには、神様を信じることはできません。みんなの中に、神様に仕えたい、神様を信じて従っていきたいという気持ちがあるとしたら、みんなにも聖霊が働いています。マリアとエリサベトのように、みんなもお互いを励ましあって、一緒に神様のことを喜びましょう。

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<メッセージ全文>

2015/12/13 アドヴェント第三日曜日 ルカ1:26-56
マリアと共に歌おう
池田真理

 アドベント三週目の日曜日です。今日はイエス様の母マリアのお話です。少しずつ読んでいきまし

A. 全てを理解できなくても神様を信頼する

1) 神様はある村の少女に特別な役割を与えられた (26-34)

26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」

 26節の最初に「6か月目に」とありますが、これは前の箇所の続きで、エリサベトがヨハネを妊娠して6か月目にという意味です。(英語でははっきりそう言われています。)先週読んだところにも天使ガブリエルは登場しました。先週はザカリアにヨハネの誕生を予告しましたが、今度はマリアにイエス様の誕生を予告しています。マリアはナザレという町にいて、ヨセフという人と結婚する予定だったとあります。町と言っても、ナザレはエルサレムからも離れていて、政治や宗教の中心地から離れたのどかな小さな町でした。村と言ってもいいかもしれません。旧約聖書にも一度もナザレの名前は出てきません。今でこそイエス様が育った町としてナザレの名前は有名ですが、当時は目立たない田舎の町でした。そして、マリアは恐らく十代半ばの少女でした。昔は日本でもそうだったように、寿命も短く、結婚する年齢も今よりずっと若かったからです。そんな目立たない小さな町で、恐らくそれまでは何も社会的に注目されることのなかった一人の少女の元に、本当に唐突に天使が現れました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」突然そう言われて、おめでとうもなにも、戸惑わない人はいません。そしてさらに天使は非常識なことを告げました。あなたは男の子を産む、その子は昔から預言されていた王である、と。マリアにとってこれは、戸惑う以上にとても困ることです。結婚前の自分が妊娠するということはありえないし、あってはいけないことだからです。「どうしてそんなことがあるでしょうか。わたしは男の人を知りません。」マリアは率直に天使に言いました。天使の答えはこの後読んでいくことにして、今はこのマリアに天使が現れ、神様の計画が動き出したこの瞬間に心を留めたいと思います。
 神様は、この世界を創られ、私たちを創られました。私は聖書を読む前、神様はこの世界を創って、あとは私たちがどうなってもいいのだろうか、と考えたことがあります。そして、もしそうだとしたら、私は生きていてもいなくてもいいんじゃないかとも思いました。私がいなくなれば悲しむ人はいるかもしれませんが、私自身がなぜ何のために生きるのか、その時は分からなかったからです。目的がないまま、どこに向かっているのか分からないままでは、何をしてもしっくりきません。でも聖書は、私が想像していなかった答えをくれました。それは、私の命は私のものではなく、私は生きているというより生かされているということです。その証拠が、神様がこの世界に来られたということ、イエス様です。神様はイエス様という人の姿となって、人間の歴史に入って来られました。神様は世界を創っただけではなく、そのあと自らもこの世界に来られました。そして、自分が創られた人間と同じ姿にまでなりました。私たちが分かるように、私たちと親しく話すことができるように、私たちに合わせてくださったということです。こんなことは、イエス様の誕生前はありませんでした。またイエス様以降もありません。歴史上一度だけ、なぜ二千年前だったのかは分かりませんが、神様はこの世界に来られました。目に見えない、時間も超えている神様が、私たちの目に見える姿で、具体的な歴史の中に入って来られました。それは神様にとっても天使にとっても大きな喜びの時です。ついに、多くの人々が何千年も待ち続けた神様の答えが与えられる時です。マリアには、この歴史上一度だけの出来事に関わる大役が与えられました。もしかしたら、ガブリエルも喜びで興奮していたのかもしれません。ガブリエルが最初に発した「おめでとう Greetings」という言葉は嬉しい時に使う挨拶の言葉で、もともとは「喜ぶ」という動詞です。ガブリエルはマリアが戸惑うことを分かっていながらも、まず「喜びなさい!Rejoice!」と言わずにいられないほど興奮していたのかもしれません。それはガブリエルに聞かないと分かりませんが…。
 ガブリエルがマリアにもたらした知らせは、私たち全てにとっての喜びとなる知らせでした。私たちにこの世界で幸せに生きていってほしいと願われている神様の意志が、ついに実現するという知らせです。ただマリアにとっては、まだ驚きと戸惑いの知らせです。続きを読んでいきましょう。


2) 「私は主のはしためです」 (35-38)

35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。37 神にできないことは何一つない。」38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

 天使ガブリエルはこの非常識な出来事について、マリアは神様の力によって妊娠するのだと告げました。そして、マリアの親戚のエリサベトが妊娠していることも知らせました。恐らくマリアはエリサベトに長く子供がいなかったということを知っていたでしょう。そして天使からそのエリサベトのことを言われて少し安心もしたかもしれません。最後には天使の知らせを受け入れました。でも、マリアの戸惑いが完全になくなっていたかというと、そうではないと思います。この後これに続く箇所で、マリアは急いでエリサベトに会いに行きます。そしてマリアが喜びに満ちて神様を讃えるのはそのさらに後のことです。マリアがここで天使に答えたのは、ただ「私は主のはしためです」つまり、私は主に仕えるしもべです、ということです。そして、だから「主がおっしゃることならば、どうぞその言葉の通りになりますように」と天使に答えました。最初に天使は「おめでとう、喜びなさい」と言いましたが、マリアはそれに対して決してすぐに「ありがとうございます」と言って喜んでいるわけではないということです。これから自分の身に起こると知らされたことが喜んでいいことなのかどうか、まだ分からなかったのだと思います。でも、マリアにはそんな不安があっても揺らがない思いがありました。それが「私は主のしもべだ」という思い、私は主に仕えたいという願いです。これは誰も自分の力で持てる願いではありません。聖霊様が働いて、マリアの心に、そして私たちの心に与えられる願いです。神様は私たちそれぞれに働きかけて、その願いを与えられます。そして、不思議な方法でその願いを強め、私たちの中で揺らがないものとしてくださいます。だからマリアも、自分の身に起こることが全部理解できなくて不安でも、大丈夫、神様に従おう、と思えました。もし私たちがそんなふうに揺らがない思いを持てないとしたら、持てるように神様に願いましょう。神様は聖霊を注いで、私たちの心を新しく強くしてくださいます。また、神様は私たちに聖霊様を与えると同時に、励ましあう仲間も与えてくださっています。マリアにもエリサベトが与えられました。続きを読んでいきます。


B. 同じ信仰を持つ人と共に喜ぶ
1) 共に神様の働きを見る (39-45)

39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。40 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。41 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。43 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。44 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」


 マリアがエリサベトに会いに出かけたユダの町というのは、正確な位置は分かりませんがエルサレムの近くです。ナザレから歩いて行こうとすれば数日はかかる道のりです。マリアはその道のりを急いで行きました。天使が教えてくれたエリサベトの妊娠を確かめて、自分に起ころうとしていることも確かめたかったのだと思います。それはマリアに対する神様の憐れみ深い配慮だったと言えます。マリアが特別な役割を担うにあたって、神様は励ましあえる仲間を与えられました。エリサベトはマリアの訪問を大喜びで迎えました。エリサベトは「聖霊に満たされて大声で言った」とあります。エリサベトは聖霊様に導かれて、自分の身に起こっていることが神様の力によるものだと信じていました。そして、同じ神様の力が、目の前の年若い親戚のマリアにも働いているのだと分かりました。エリサベトは、神様によってマリアに起こっていることを、100%信じて100%喜びました。それは、神様を信頼しているとはいえ、まだ不安と戸惑いのあったマリアにとっては大きな励ましだったでしょう。共に同じ神様を信頼する人たちの存在は、私たちにとっても大きな励ましです。お互いの中で働いている神様を確認し合って、私たちは共に喜び、共に神様を讃えることができます。それは神様の恵みで、聖霊様が一人一人と共にいる証拠です。エリサベトがマリアを祝福したように、私たちも「主は私と共におられ、あなたと共におられます」と互いに祝福できます。そうお互いに言えることは、本当に素晴らしいことです。マリアも、エリサベトに祝福されて、ついに天使の「喜びなさい」という呼びかけに答えることができました。マリアの歌です。


2) 主をたたえて喜ぶ (46-56)

そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
 今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
 その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
 主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
 権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
 飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。
 その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、
 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
 アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。


 繰り返しになりますが、マリアに与えられた役割は、歴史上マリアにしか与えられなかった特別重要な役割です。でも、このマリアの歌は私たちの歌でもあります。神様は、二千年前に自らひとりの人間となられるという、非常識なことをなさいました。それは、マリアが歌っているように、「思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返す」ためです。神様は、私たちを創られてあとは勝手に生きなさいとはおっしゃっていません。私たち一人ひとりに関心を持ち、それぞれの状況の中で働いて、共にいると教えてくださる方です。「身分の低い、この主のしもべにも目を留めてくださっている」方です。どんなことがあっても「私は主のしもべです、あなたに仕えます」と願う心が、私たちには与えてられています。そして、主の素晴らしさを分かち合って共に歩む仲間も与えらえています。この願いと喜びが、今日皆さんの心にあるように、強められるように、神様にむかって歌いましょう。


メッセージのポイント
神様の子を産むという役割は、歴史上マリアにだけ与えられた特別な役割です。非常識で受け入れがたい役割ですが、マリアの心を神様が聖霊によって導かれたので、マリアは戸惑いつつも受け入れました。神様は同時にエリサベトにも働きかけ、マリアとエリサベトが共に励ましあい、主を信頼できるように準備されていました。私たちも、聖霊によって導かれて、主が共にいてくださることを共に喜びましょう。

話し合いのために
1) マリアはなぜ天使の言葉を受け入れられたのですか?
2) マリアはなぜエリサベトに会いに行ったのでしょうか

子供達のために
マリアに与えられた役割と、それを受け入れたマリアの心を一緒に話し合ってみてください。マリアが自分の役割を受け入れたのは、マリアが素晴らしい信仰の持ち主で特別だったからというわけではありません。マリアにも恐れと不安がありました。でも、ふだんから、「私は主のはしため(僕)です」という気持ち、神様に仕えたいという願いを持っていました。それは聖霊の働きによります。私たちも聖霊の助けなしには、神様を信じることはできません。みんなの中に、神様に仕えたい、神様を信じて従っていきたいという気持ちがあるとしたら、みんなにも聖霊が働いています。マリアとエリサベトのように、みんなもお互いを励ましあって、一緒に神様のことを喜びましょう。