<メッセージノート>

2016/1/24
お金の使い方
(ルカによる福音書16:1-15)

池田真理


A. 賢い管理人にならなければならないのか?(1-9)

1 イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。2 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』3 管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。4 そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』5 そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。6 『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』7 また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』8 主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。9 そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。



B. 見失ってはいけない最終目的

1. 本当に価値あるものを見分ける(10-12)

10 ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。11 だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。12 また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。


2. お金か神様かどちらかしかない(13-15)

13 どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」14 金に執着するファリサイ派の人々が、この一部始終を聞いて、イエスをあざ笑った。15 そこで、イエスは言われた。「あなたたちは人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ。


メッセージのポイント
お金は、私たちが生きている限り必要なものですが、一番大切なものではありません。そのことを忘れずにお金と付き合うなら、お金によって他人を助け、神様を喜ばせることができます。私たちは、個人としても教会としても、本当に価値あるもののためにお金を使いましょう。

話し合いのために
1) お金で友達を作るとはどういうことですか?
2) お金の使い方で具体的に疑問に思っていることはありますか?どう解決できるでしょうか?(個人として、教会として)

子供達のために
このたとえ話はわかりにくいので、読むとしたら13節だけでいいと思います。子供達はお金をどう思っているでしょうか?どう使っているでしょうか?お金は賢く使えば、神様を喜ばせ人を助けることができるということを教えてください。

<MP3 音声>

<ビデオ> 画面をクリックすると再生が始まります

<メッセージ全文>

2016/1/24
お金の使い方
(ルカによる福音書16:1-15)

池田真理


 クリスマスや年始でしばらくルカによる福音書のシリーズから離れていましたが、今日から戻ります。去年最後に読んだルカシリーズの箇所は、放蕩息子のたとえ話でした。それは誰が読んでもわかりやすくて感動的な箇所ですが、その直後の今日の箇所は一転、読んだ人全てが首をかしげる箇所です。聖書を読んでいて時々飛ばしてしまいたくなる箇所の一つだと思います。でも多分、だから聖書は面白いのだと思います。タイトルにつけた通り、「お金の使い方」についてです。これが「お金の増やし方」とか「お金が貯まる方法」とかなら、色んな投資講座や本になりそうですが、そうはいかないのが聖書です。私たちの大切なお金を、神様はどうしようとしているのでしょうか?ちょっと怖い気もしますが、1-9節から読んでいきましょう。


A. 賢い管理人にならなければならないのか?(1-9)

1 イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。2 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』3 管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。4 そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』5 そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。6 『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』7 また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』8 主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。9 そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。


 たくさん疑問が湧いてくると思います。この管理人は、主人の財産を無駄遣いした上に、借金を目減りさせて主人の損失を更に多くしています。それなのに、主人はこの管理人をほめたと言われています。さらに、私たちが一番戸惑うのは9節じゃないでしょうか。イエス様はまず「不正にまみれた富で友達を作りなさい」と言われています。この日本語の「不正にまみれた富 (dirty wealth)」と訳されている言葉は、英語では単に「この世の富」と訳されていますが、英語の方が原語に近いと言えます。「不正にまみれた」というのは元々の言葉からすると少し強すぎて、不正な手段で手に入れた富という印象を受けますが、そういう意味はありません。そうではなく、英語で訳されているように、単純にこの世の富、言い換えれば、自分の財産やお金のことを指しています。だから、不正な富で友達を作りなさい、というのは、誰かを騙してもいいから友達を作りなさいという意味ではなく、お金を使って友達を作りなさいという意味です。
 でも、まだまだ疑問は解決されていません。お金で友達を作りなさいとはどういうことでしょうか?そして更に戸惑うのは、続くイエス様の言葉です。「そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。 永遠の住まいに迎えられるとは、肉体が滅びても神様と共に永遠に生き続けるということですが、そのためにお金で友達を作りなさいと言われているということです。それはつまり、管理人が「管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ」と言ってしたことを、私たちもしなければいけないということでしょうか?だとしたら、私たちは自分の身を滅ぼさないために、他人に恩を売って借りを作って、生きていかなければいけません。そんな損得を中心にした人間関係を終わらせるために、イエス様は来てくださったはずです。では、私たちはどこで解釈を間違えているのでしょうか?
 鍵となるのは8節です。まず後半に注目すると、「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている」と言われています。イエス様がこの金持ちと管理人のたとえ話を通して描こうとしているのは「この世の子ら」のことだということです。つまり、私たちがイエス様に従って生きたいと願うなら、この金持ちと管理人のたとえ話は良い例ではなく悪い例なのです。でも、これがこの世界の現実だということでもあります。この世界の富はあらゆる利害関係によって分配されています。そして、そのやり方は神様も驚くほど抜け目ないほどだということです。それはお金のやり取りがあるところならどこでも、個人の間でも、企業、国の間でも同じです。その時々の利害関係に応じて、敵になったり味方になったりします。このたとえ話の中で、管理人は主人から見捨てられそうになると、ころっと主人を裏切っています。自分が損をしないで生き残るためには、それがお金のやり取りの当たり前のやり方で、必要な賢さだからです。そんな管理人を、主人は喜びます。この主人はこの世の富の主人、それは神様に逆らって、人間が滅びることを喜ぶあの主人、悪魔です。
 それでは、イエス様は私たちに何を言おうとされているのでしょうか?それは、この賢い管理人のようにならないことです。お金を、利害関係によってではなく、友達を得るために、永遠の命を得るために使うことです。イエス様は、「お金で友達を作りなさい、そうすれば、お金がなくなった時に」と言われていますが、賢い管理人の頭に、お金がなくなる想定はありません。でも私たちは、お金がなくなるまでお金を友達のために使いなさいと言われているということです。お金に価値があるとすれば、他人のために使うことです。その理由は、続きにあります。


B. 見失ってはいけない最終目的

1. 本当に価値あるものを見分ける(10-12)

10 ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。11 だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。12 また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。


 神様は、私たちが生きるためにお金が必要であることを知っています。この世界に生きている限り、私たちは生活するためにお金を求め続けなければいけません。他人のためにお金を使うと言っても、そんな余裕があるのはお金持ちだけで、私たちの多くは自分と家族が生きていくだけで精一杯だと感じているかもしれません。でも、今読んだイエス様の言葉は私たちすべてに向けられています。「この世の富について忠実でなければ、誰があなたに本当に価値あるあるものを任せるだろうか。」お金は私たちにとって必要なものですが、本当に価値あるものではありません。私たちは、神様が与えてくださるもっと大きなものを遠くに見ながら、この現実を生きていかなければいけません。賢い管理人がたくさんいて、他人の財産を横領したり、もうけのために不公平に分けたりしていますが、私たちには違うやり方があります。「神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものはすべて加えて与えられる。」これはマタイ6:33の言葉ですが、同じ文脈がルカにもあります。12:29-34です。


29 あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。30 それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。31 ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。32 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。33 自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。34 あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」

 実際の生活が苦しければ、不安になるのは当然です。また商売で大きな損失を被るのも辛いことです。それでも、それらのことは小さいことだと言えるでしょうか?そして神様はもっと大きなことを自分に任せようとしているのだと信じられるでしょうか?それが本当に価値あるものを見分け、擦り切れることのない財布を持つということです。
 最後に、13-15節です。


2. お金か神様かどちらかしかない(13-15)

13 どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」14 金に執着するファリサイ派の人々が、この一部始終を聞いて、イエスをあざ笑った。15 そこで、イエスは言われた。「あなたたちは人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ。

 何を一番大切にするかということは、言い換えれば、何に仕え、何を愛するかということでもあります。私たちが神様を一番大切にするなら、神様に仕え、神様を愛することが最終目的です。お金もその目的のために使います。私たちは賢い管理人ではなく、愚かな浪費家と言えるかもしれません。お金を貯めて増やすどころか、どんどん神様のために他人のために使うからです。それはお金中心に、利害関係中心に動いている社会では、受け入れられないやり方かもしれません。ファリサイ派の人がイエス様を嘲笑ったように。でも、神様を愛するなら、お金も自分のためではなく神様のためにあります。具体的にそれがどういうお金の使い方になるのかは、私たちそれぞれの状況によって違います。それぞれが自分と神様の関係の中で決めることです。また、教会にとっては、教会の存続が最終目的にならないように注意する必要があります。それでは賢い管理人と同じになってしまうからです。教会の運営が安定するのも大切ですが、それよりも大切な最終目的を見失わないように、神様の働きのために大胆にお金を使わなければいけません。

 今日は、お金の使い方というとても具体的なトピックでしたが、それはイエス様がこの現実の世界を生きる私たちにとってお金が大きな影響力を持っていることを知っていたからです。お金持ちに対する批判は、聖書の中でよく出てきます。再来週お話しする次の箇所もそうです。それはイエス様の時代の人々にとっても、それが問題であったからとも言えます。友達のためにお金を使いましょう。そして、神様が用意してくださっている永遠の住まいを楽しみにしましょう。


メッセージのポイント
お金は、私たちが生きている限り必要なものですが、一番大切なものではありません。そのことを忘れずにお金と付き合うなら、お金によって他人を助け、神様を喜ばせることができます。私たちは、個人としても教会としても、本当に価値あるもののためにお金を使いましょう。

話し合いのために
1) お金で友達を作るとはどういうことですか?
2) お金の使い方で具体的に疑問に思っていることはありますか?どう解決できるでしょうか?(個人として、教会として)

子供達のために
このたとえ話はわかりにくいので、読むとしたら13節だけでいいと思います。子供達はお金をどう思っているでしょうか?どう使っているでしょうか?お金は賢く使えば、神様を喜ばせ人を助けることができるということを教えてください。