<メッセージノート>

2016/5/15 メッセージノート ルカによる福音書 18:18-34
手放すべきもの

池田真理



1. 手放すべきもの

a. 自分のものだと思い込んでいる (18-23)

18 ある議員がイエスに、「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねた。19 イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。20 『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」21 すると議員は、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。22 これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」23 しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。



b. 財産 (24-25)

24 イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。25 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」


c. 愛する人々さえも (26-30)

26 これを聞いた人々が、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言うと、27 イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。28 するとペトロが、「このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました」と言った。29 イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、30 この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」


2. 一番大切なもの (26-27, 31-34)


8イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。
9この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。
10だから、わたしは、選ばれた人々のために、あらゆることを耐え忍んでいます。彼らもキリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得るためです。
11次の言葉は真実です。
わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。



メッセージのポイント
自分の命さえも私たちのために手放したイエス様を知って、私たちは何が一番大切かを知りました。神様を愛し、人々を愛して生きるということです。そのために、私たちはそれぞれが与えられている役割の中で自分のものを手放すことが求められています。大事なもの(人)ほど手放すのは難しく、時には決して手放したくないと思われますが、神様はそんな私たちの頑固な思いまでも変えてくださるでしょう。

話し合いのために
1) あなたには手放せないものがありますか?それが奪われたら神様を恨んでしまうもの(人)がありますか?
2) 愛する人々でさえ捨てるとはどういうことですか?

子供達のために
子供達にとって、一番大切なもの(人)をそれぞれ聞いてみてください。神様がそれ(その人)を奪ってしまったらどう感じるでしょうか。怒ったり悲しんだりすると思います。この金持ちと一緒です。でも、神様を一番に愛するということは、たとえそういう自分にとって一番大切なものや人が奪われても、神様を信頼し続けるということです。それは大人でもとても難しいことです。それでも、私たちは一生かけて少しずつ全ては神様のもので、命さえも自分のものではないんだということを知らなければいけません。どんな時でも神様を一番大切にする厳しさを教えてください。反対に、神様はいじわるだと感じているとしたら、それはもしかしたら間違っていないかもしれないので、それでも神様は良い方なのだという方に導いてください。

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<メッセージ全文>

2016/5/15 メッセージノート ルカによる福音書 18:18-34
手放すべきもの

池田真理


 今日読むお話には、ある金持ちの議員というのが出てきます。彼は立派な人で、真剣に良い人になろうと努力していました。でも何かが足りない気がしていたので、その頃人々が素晴らしい先生としてうわさしていたイエス様に、自分に何が足りないのか聞くことにしました。イエス様は彼に会うなり、彼に足りていないものをすぐ見抜いてしまいました。それが、今日のメッセージでお話したいことです。私たちは、神様を一番大事にするなら、手放さなければいけないものがある、ということです。18-23節を読んでいきましょう。

1. 手放すべきもの

a. 自分のものだと思い込んでいる (18-23)

18 ある議員がイエスに、「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねた。19 イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。20 『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」21 すると議員は、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。22 これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」23 しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。


 イエス様は、この人に欠けているのは自分の財産を他の人のために使おうと思わず、独り占めしているところにある、と言っています。それを聞いてこの人はショックを受けました。この人は、自分は小さい頃からモーセの掟を守ってきたという自負がありました。だから、自分はそれなりに良い人間だと思っていたのでしょう。でもイエス様は、彼がそれまで考えたこともなかった彼の欠点を鋭く見抜いてしまいました。彼が大変な金持ちだったというのが、彼が親から相続したのか、自分で頑張って稼いだのかは分かりません。でもどちらにせよ、彼は財産は自分のもので、他人にそれをあげてしまうなんてことは考えたこともなかったようです。
 実はイエス様は、この人が最初に「善い先生」とイエス様に呼びかけた時に既に、この人の大きな問題に気づいていました。イエス様は、永遠の命を得るためにはどうすればいいのかという彼の質問にすぐには答えていません。かわりに「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。」と言って、まず彼の態度を注意しています。そして、神様がモーセに与えた十戒の一部、「姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え」という掟を繰り返します。イエス様は、なぜここで「神様を愛しなさい」という十戒の一番重要な掟を言わなかったのでしょうか?それは、それがこの人に欠けている問題だったからです。この人は殺すな、盗むなという教えを守り、人間関係は良好に保っていましたが、一番大切な神様との関係を忘れていました。イエス様は、この人がイエス様に「善い先生」と呼びかけて質問した時に、この人が神様を本気で求めていないことに気がついていました。
 でも同時に、この人はこの人なりに真剣でした。だから、イエス様は、この人が具体的にできることを一つ示しました。持ち物を全部売り払って、貧しい人に分けてやりなさい、と。それは、どうすれば永遠の命を得られますかというこの人の質問に答えると同時に、この人が自分の問題に気がつくためのヒントでもあります。何よりもまず神様を愛しなさい、それは自分のものだと思い込んでいるものを手放すところから始まるのだということです。
 私たちにも、この金持ちと同じように神様を愛したいと願いながら、自分のものだと思い込んでいて手放したくないものがたくさんあります。あって当たり前だと思っているもの、それはそれが奪われそうになって初めて気がつくことも多いのだと思います。
 続きを読んでいきましょう。


b. 財産 (24-25)

24 イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。25 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」

 日本にも世界にも貧困の問題はあります。世界に貧富の差がなくならない原因は簡単です。富を持っている人が自分の富を手放さないからです。おそらく人間の歴史が始まった最初から、貧富の差というのは広がり続けています。このイエス様の時代にもすでに無視できないものになっていました。より多くの富を求める人間の貪欲さには際限がありません。
 この教会には、色々な国の出身の人がいます。貧しい国から来た人たちは、日本と自分の国を比べて不公平だと感じると思います。物質的な豊かさで言えば、日本は世界で一握りの非常に豊かな国です。私たちは、裕福な国に生まれたなら、世界の貧困に無関心でいることはできません。富んでいる国は貧しい国を助ける義務があります。
 でも、どこの国にも貧富の差はあります。日本国内でも貧困は問題になっていますし、貧しい国それぞれの国内でも貧富の差は広がっています。どの国に生まれるか、どんな経済状態の家に生まれるか、誰も自分で選んだ人はいません。それは全て神様がそれぞれに与えられたものです。そして、私たちはみんながみんなマザーテレサのようにスラムに住んで活動しなければいけないわけではありません。神様が私たち一人ひとりに与えられる人生、役割は違います。この教会に集まっている皆さんは、日本人でもそうでなくても、大富豪はいないと思います。それぞれが自分と家族の生活のために毎日頑張っています。それでも、神様を愛するなら、自分のものを手放して困っている人を助けられるためにできることはあるはずです。与えるものがあるなら与え続けることが、神様を愛する人の責任です。神様から多くを与えられた人もいれば、少なく与えられた人もいます。自分がどれだけ多くのものを与えられているかということも、神様が教えてくださらなければ私たちはとても鈍感です。そして、多く与えられた人の責任は重いのです。多く与えられた人は多くを手放すことを期待されています。それは世界の現状が示す通り、人間には非常に難しいことです。神様が私たちを変えてくださらなければできることではありません。それは財産だけではありません。続きを読んでいきます。


c. 愛する人々さえも (26-30)

26 これを聞いた人々が、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言うと、27 イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。28 するとペトロが、「このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました」と言った。29 イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、30 この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」

 イエス様は、イエス様に従うために手放すべきものは財産だけでなく、大切な家族までも捨てなければいけない時があると言われています。イエス様がこういう言い方をされるのは今回が初めてではありません。以前読んだ時にもお話ししましたが、これはこの福音書が書かれた当時の状況を反映しています。当時はイエス様を信じることで家族に猛反対されたり、命の危険にさらされることもありました。家族に理解されなくてもイエス様に従おうと決心した人たちにとって、このイエス様の言葉は慰めでした。今はもうそんな状況ではないので、信仰のために家族を捨てるというと狂信的な感じがしますが、私たちは誰よりもまず神様を愛するように招かれているという点では同じです。どんなに大切な子供や配偶者や友人だとしても、その人たちは私たちのものではなく、神様のものです。それを忘れれば、私たちは自分を神様にして自分の都合中心で相手を傷つけたり、他の誰かを神様のように勘違いして期待しすぎて失望することになります。だから、その人のことを真に愛そうとするなら神様をまず愛さなければいけません。どんなに大切な人でも、神様より大切になってしまったら本当にその人のことを大切にしていることにはなりません。だから、神様を愛するということは大切な人たちを神様の手に委ねるということでもあります。神様は誰のこともいい加減にしたりしません。突然の悲しい別れや、理解できない裏切りや衝突があっても、全てを神様に委ねることができることを忘れないでください。神様は必ず導いてくださいます。
 
今日は私たちが手放すべきものについてお話ししてきましたが、最後に、私たちが絶対に手放してはいけないもの、他の何を捨てても惜しくないものについてお話ししたいと思います。もうこれまでにもお話ししてきましたが、それは神様との関係です。31-34節です。


2. 一番大切なもの (26-27, 31-34)


8イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。
9この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。
10だから、わたしは、選ばれた人々のために、あらゆることを耐え忍んでいます。彼らもキリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得るためです。
11次の言葉は真実です。
わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。


 イエス様が十字架に架けられて苦しんで死ぬ運命にあるということは、この時の弟子たちには理解できていませんでした。少しさかのぼって28節では、ペテロは自分たちは全てを捨ててイエス様に従ってきたと言っていますが、イエス様が十字架に架けられた時、彼らはみんなイエス様を見捨ててしまいました。彼らが力強くイエス様のことを愛して人々にも伝えられるようになったのは、イエス様の十字架と復活の後です。イエス様が自分のために苦しまれ、命を捧げられたのだと分かってからです。イエス様の十字架と復活がなければ、誰も自分を捨てて神様を愛することはできません。
 実はこの31-33節は、9:21-22ととてもよく似ています。そこはイエス様が初めて弟子たちに自分が死ぬことを予告したところです。そしてそこで続いて言われたことが「私について来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って私に従いなさい」です。この言葉は、今日は最初に読みました。金持ちに対してイエス様が言った、自分の持ち物を捨てて私に従いなさいという言葉です。9章でも今日の箇所でも、イエス様の死の予告と弟子たちへの「自分を捨てて従いなさい」という教えはセットだということです。それは、私たちが自分を捨てるのと、イエス様がご自分を私たちのために捨てられたことは、決して切り離すことはできないからです。
 私たちが大切なものを手放せるのは、それよりも大事なものがあると分かった時です。イエス様の愛に満たされて、私たちは必要なものは一つだけだと知りました。だから私たちは、古い自分に死に、新しい命を生きることができます。古い自分に死ねないのは、新しい命の素晴らしさがまだ完全には分からないからです。私たちは、一生かけて、自分のものだと思い込んでいたものを手放していく作業を続けます。それは、自分の命さえも自分のものではないと知りながら、最終的に本当にこの体を神様に返す時まで続きます。自分を捨てる、自分に死んでいくことは、私たちは決して自分の力ではできません。でも、今日読んだ27節を思い出してください。「人間にはできないことも、神にはできる。」自分のものと思い込んでいるもの、大切なもの、大切な人を手放すことは、とても難しいです。でも、私たちのために自分を捨てられた方は、私たちを変えることができます。


メッセージのポイント
自分の命さえも私たちのために手放したイエス様を知って、私たちは何が一番大切かを知りました。神様を愛し、人々を愛して生きるということです。そのために、私たちはそれぞれが与えられている役割の中で自分のものを手放すことが求められています。大事なもの(人)ほど手放すのは難しく、時には決して手放したくないと思われますが、神様はそんな私たちの頑固な思いまでも変えてくださるでしょう。

話し合いのために
1) あなたには手放せないものがありますか?それが奪われたら神様を恨んでしまうもの(人)がありますか?
2) 愛する人々でさえ捨てるとはどういうことですか?

子供達のために
子供達にとって、一番大切なもの(人)をそれぞれ聞いてみてください。神様がそれ(その人)を奪ってしまったらどう感じるでしょうか。怒ったり悲しんだりすると思います。この金持ちと一緒です。でも、神様を一番に愛するということは、たとえそういう自分にとって一番大切なものや人が奪われても、神様を信頼し続けるということです。それは大人でもとても難しいことです。それでも、私たちは一生かけて少しずつ全ては神様のもので、命さえも自分のものではないんだということを知らなければいけません。どんな時でも神様を一番大切にする厳しさを教えてください。反対に、神様はいじわるだと感じているとしたら、それはもしかしたら間違っていないかもしれないので、それでも神様は良い方なのだという方に導いてください。