*2000年1月第2週メッセージノート*
あなたの心に必要なY2K対策
(レビ記25章1-22)

A. 対策1:物についての意識の転換

1.神様からの預かり物(1-2)
2.生きるために、生かすために(3-7)

B. 対策2:人に対する意識の転換(8-10)

1.人間関係も預けられたもの
2.権力者であっても誰かと神様の間に立ち入ることはできない

C. 対策3:休むこと、休ませること(創世記2章1-3)

1.安息は余暇ではない
2.礼拝は仕事?レジャー?

D. 対策4:神様に対する新しい信頼(18-22)

1.もっと求める
2.もっとゆだねる

*メッセージのポイント*
 旧約聖書の時代のユダヤ人がヨベルの年に神様が主権者であることを深く心にとめたように、私たちの生きていることの根拠がどこにあるのか見つめ直す年として2000年を過ごすなら、その恵みの真価がもっとはっきりわかり、この世の流れの変化に翻弄されない歩み方ができるようになります。

*ミニチャーチのためのヒント*
1)メッセージを聞いて自分にはどんな意識改革が必要だと思いましたか?
2)思い煩うことからゆだねることへ、どのように変わってゆけるでしょう?

ディボーションノート―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―
 ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

1月15日(土)レビ記 25:1〜4/創世記 2:1〜3
 ツアー旅行の日本人はせっかく休暇でハワイに行っても、到着したその日からホテルで一休みする間も惜しんで空港から直接、観光ツアーに出発して行きます。その後も分刻みのスケジュールで、ビーチでボーとしている暇はないのだそうです。ゆったりスケジュールのツアーを計画しても不評だということです。余暇の過ごし方が伝統的に苦手な民族なのでしょうね。そして心身ともに疲れて帰ってくる人も多いようです。
 土地を休ませなければコンスタントに収穫を期待することがでないように私たちにも休みが必要なのです。成果を期待するなら土地であれ、機械であれ、人間であれ休ませることが必要です。それが「主のための休み」と言われるのは、安息が造られた全てのものを活かすために、創造者‐神様が定めたものだからです。

1月16日(日)レビ記 25:5〜7/ルカによる福音書 12:22〜34
 誰でも思い通りに物事が進んでいると、つい自分の努力や才能の結果だと考えてしまいがちです。あなたが努力をしなくても、働かなくても物事は進んで行くのだと認めることは難しいことですが、決して自分の価値を低く見積もることではないと思います。実際自分がいなくても全てのことはまわって行きます。それにもかかわらず、神様は私たち一人一人を愛していてくださいます。神様の愛は
無条件の愛、あなたがどうだから愛するのではなく、あなたがただ
あなたなので愛してくださいます。このような神様の無条件の愛に満たされて、またわたしたちも思い煩うことなく、愛することができるのです。今年は去年よりもっと、多く、深く愛し合いましょう。

1月17日(月)レビ記 25:8〜10/ルカによる福音書 4:16〜22
 アメリカで貧しい人たちに自分の家庭を開放している牧師の働きとそこでイエス様を信じて癒されつつある人々を紹介するビデオを見ました。その家の小さな子供達が、元は浮浪者や薬物常用者であった人たちと一緒に食卓を囲む姿もありました。子供達にはそれがごく自然のこととして育っているようでした。もちろん、そのような特別な主の働きはコーリング(召命)がなければできるものではありません。しかし、その場所ではイザヤ書にあることが実現されているのを知りました。貧しい人たちに福音が語られ、捕らわれている人たち、虐げられている人たちが解放されているのです。福音を伝えるために、方法は違うとしても私にも何かできるのだろうか、主は私に何をして欲しいと望んでおられるのかと考えさせられました。2000年が、全てが解放されるヨベルの年(主の恵みの
年)として本当に実現するために、一人一人が実践できることを祈り求めてみませんか。

1月18日(火)レビ記 25:11〜12/詩編 89:1〜15
 先週のディボーションノートにヨベルの年はわたしたちの救われた時と同じで、全てイエス様が代価を支払って下さると書きました。それがゴールでしょうか?もちろん一番重要ですが、主との歩みがこの地上で最も素晴らしいことなのです。聖霊がわたしたちの内に来て下さり、色々なことを教え、導き、癒し、そして守って下さいます。その中で変わらぬ愛、真の平安と喜びを知るのです。私
自身、何回か「あなたは本当に神様を愛しているんですね」と人に言われたことがあります。そういった言葉に値する私かどうか分かりませんが、私は本当に主を愛しているし、主の愛も強く感じるのです。それなのにまだ色々な面で主にゆだねることができなかったり、ひどい時は忘れていて、ヒーヒー言いながら自分の力でどうにかしようとしてしまいます。愛することと神様の「まこと」つまり
主の約束を信頼することは別なのです。英語の聖書に「まこと」とはFaithfulness(誠実さ)とありました。このヨベルの年、また新たに主を信頼し、従い、そしてゆだねることを喜びとして覚えていきたいと思います。

1月19日(水)レビ記 25:13〜17/コリントの信徒への手紙二 8:1〜7
 「土地をはじめ全てのものは神様のものであり、わたしたちは管理者にすぎない」ということをヨベルの年の制度はわたしたちに教えてくれます。私の資格も神様のものであり、今は私に管理がゆるされています。私はその資挌ために、仕事中に「先生」と呼ばれることがあります。この言葉は大変危険で、呼ばれただけで自分が偉くなったような錯覚に陥り、優越感に浸ってしまいます。もし私が
神様との関係を回復していなければ、仕事の環境の中で優越感に浸り人を見下し、傲慢な人間になっていたと思います。「全ては自分の能力や努力ではなく神様が与えてくれた。与えられたものは神様のものだから、それは神様が喜ぶように使う。」このような思いに立ち返る事ができるのは素晴らしい恵みです。弱い面を兼ね備えている私はいつも神様に守られています。

1月20日(木)レビ記 25:18〜22/ルカによる福音書 12:13〜21
 「あなた達は私の掟を行い、私の法を忠実に守りなさい。そうすればこの国で平穏に暮らすことができる。(レビ25:18)」ここでは安息の年について書かれています。これは「主のための安息」であるとレビ記25:4にあります。蒔かなくても充分に食べ、暮らすことができるなんて私達にとってとても楽なことに思えるかもしれません。けれど現実の生活で、神様が養って下さること、神様が全てを支配しておられることを信じて、自分でしようとするその手を休めることはそんなに簡単ではありません。私達は何か目に見えることを一生懸命にしているとそれだけで安心できるからです。安息の年には神様をただ信頼することだけを求められているのです。たとえ、自分で何もしなくても、恐れずに信頼すること。目に見えることやしなければならないことに煩わされずに、気持ちを神様に
集中させることも求められています。いつもよりもっと神様に心を注ぎ、神様の腕の中にいることを深く味わい、神様が私に求めておられることを受け取りたいと思います。