*2000年7月23日メッセージノート* 
三重の力(使徒言行録4:1-22)

A. 神の言葉の力(1-4,ヘブライ4:12,13)


1) 内容ではなく言葉それ自体の力

2) 人を信仰に至らせる力

B. 十字架と復活の力(5-10)

1) 聖書の告げるメッセージの中心(コリント15:1-5)

2) 死から命に移す力(ローマ6:1-14)

C. 主の御名の力(11-22, 詩編118:19-25)

1) たった一つの道(ヨハネ14:6)

2) 主の名によって(3:6)

*メッセージのポイント*
 神様の力と言っても具体的にどのような力であるのか、わたしたちはあまり突き詰めて考える事はありませんが、神様はその力をご自身の言葉を通して、十字架と復活という出来事を通して、そして御名によって行動する人を通して現されます。この三重の力が信じる者の上にあることしって歩む人には恐れるものは何もないのです

* ミニチャーチのためのヒント*
1) あなたを通して神様の力は発揮されていますか?
2) あなたは神様のどういうところに力を感じますか?

*ディボーションノート*―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―
 ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。


7月24日(月) 使徒言行録 4:1-4 /ヘブライ4:12,13

 「神のことばは生きていて力がある」ということは、クリスチャンなら誰もが自分のこととして体験しているでしょう。私自身、大人になって初めて聖書を読んだとき、心にまっすぐに響くものがあり、これは一体何だろうと不思議に思ったことを覚えています。読めば読むほど、ここに書かれていることは真実だと確信を持ち、決心することができました。使徒を読むと、神のことばに触れられた人が何千という単位で神様を信じていきます。信じる過程には必ず神のことばが必要です。そして、二千年前に語られたこの同じ力ある神のことばが今も生きて働いているのです。自分の力や能力ではなく神のことば、神の力に信頼してイエス様のことを伝えることができるようになりたいと思います。

7月25日(火)使徒言行録 4:5-7 /ヨブ34:16-22

 この議会(The Sanhedrin)とは、ユダヤの宗教会議であり、最高裁判所のようなものでした。議会は祭司、モーセ律法の学者、長老といった70名のメンバーで構成されており、議長は大祭司でした。実際の政治はローマの支配下にありましたが、議会はユダヤの慣習や宗教と言った分野において別の権威を持っていました。ペテロとヨハネを議会に連れ出したのは、彼らを脅かすという目的がありました。ペテロとヨハネに「何の権威によってこんなことをしたのか」と尋問したとき、議会は2つの答えしかないと考えていたのです。それは、ローマの権威か、議会の権威かということです。彼らがイエスの名の権威を信じていなかったことは明らかです。しかし、ペテロとヨハネは議会を恐れていませんでした。なぜなら、彼らは神は公正であることを知っていましたし、神の目には、この地上で地位の高い者も何の地位もない者も同じであると知っていたからです。神の国における唯一の権威はイエスの名です。私たちが神様の権威に従うとき、どんな人が私たちに対抗しようと神はいつも私たちの見方です。

7月26日(水)使徒言行録 4:8-10/ルカ21:12-15

 想像してみましょう。大勢の偉い人達に囲まれて尋問が始まりました。ペトロはおそらく、どう答えて良いのかとっさには考えつかないほどの緊張や恐れを抱いていたことでしょう。けれど「聖霊に満たされて言った」のです、堂々とイエス様の権威を語ったのです。ここでペトロのしたことはただ一つ、聖霊に助けを求めたことです。もし、信仰を妨害するようなこの世の権威が私達を取り囲み、緊張や恐れでどうして良いか分からなくなったとき、私達は聖霊の力を信じ助けを求め、聖霊から与えられる知恵の言葉を語ることができるでしょうか?私にはまだそのような経験がなく、実際にその場面で何ができるか分かりません。けれどどんな状況でも聖霊に助けを求め、必要な言葉と知恵が授けられることを忘れずにいようと思います。そして、そのためには平凡な毎日の中で小さな練習を重ねていくことが不可欠だと思うのです。

7月27日(木)使徒言行録 4:11-12/詩編118:19-25

 ペトロとヨハネに対する大祭司達の尋問は「何の権威によって癒しをおこなったか」というもので、10節で彼らは「イエスの御名による。」と返答しています。質問に対する応えとしてはこれで十分だったのですが、彼らは更に11,12節を加えて述べました。この場の返答としては的確ではない、しかし全ての人に必要な救いの核心と真理について堂々と述べました。私達は多くの人が宗教に対する警戒心や嫌悪感を抱いていることを知っているため、たとえチャンスがあってもイエス様についての明言を避けることがあります。ペテロとヨハネの聞かれていなくてもイエス様の救いを話す、という態度を私達は見習わなければいけないと思います。

7月28日(金)使徒言行録 4:13-18/ Iコリント1:18-21

人はイエス様に立ち帰って初めて自分の本当の価値に気付きます。福音書に出てくるイエス様の弟子たちは今でこそ世界中の人にとってすごい有名人ですが、当時は無学な普通の人だったのです。それは読み書きができず公職についていない人ということです。つまりこの会議の議員とは普通であれば決して同じ議場にあって問答することのありえない人々でした。そんな人々が最高議会に呼び出されました。しかしそんな彼らにユダヤ教指導者のそうそうたるメンバーが一言も言い返せなかったのは、イエス様の名による奇跡が知れ渡っていたからです。このように私たちも自分の能力や知識にたよらずどんな人々のまえであってもいうべきことを言える権威を与えられているのです。相手がどのような人であっても、私たちの持っている確信を伝えましょう

7月29日(土) 使徒言行録 4:19-22/イザヤ26:7-11

どんなに自分より能力のある人や地位のある人に対してもその人に聞き従うことが神様に対する不従順となるなら、わたしたちは聖霊の促しに従って、毅然とした態度が求められます。あなたはどんな人の前でも態度を変えずに接っすることができるでしょうか?イエス様とともにいるなら誰に対しても尊大になる必要も、卑下する必要もありません。最悪なのは弱い者に対しては横柄な態度なのに力のある者にはこびて信念を変えてしまうことです。主の助けによって誰に対しても優しく、しかし福音を水増しするような要求には決して妥協しない者となりたいものです。