*2000年11月26日のメッセージとディボーションノート*

神の国シリーズ 1
パート6b : 仕えるライフスタイル (フィリピ2:3−8)

2.私たちは積極的に仕えるように召されている 
     (1ヨハネ3:16−18、ヤコブ2:15−16)

 a.神の家族における兄弟姉妹 (ガラテヤ6:10)
  1.私たちは互いを必要としている (エフェソ2:19、4:16、ガラテヤ6:2)
  2.全ての部分が重要である (1コリント12:25−26、ローマ12:13、ヘブル13:3)

 b.失われた人々 (ルカ19:10、マタイ18:10−14)
  1.よい知らせ (ルカ19:1−10、ヨハネ8:3−11)
  2.世の光 (ヨハネ8:12)

 c.貧しい人々 
  1.貧しい人々に対する神の心 (詩編68:10、140:12、箴言19:17、2コリント8:9)
  2.簡単な解決策はない 
     (ルカ10:30−37、フィリピ2:6−8、ローマ12:16、マタイ25:31−4)

6)
 d.私たちの敵 (マタイ5:43−48、ルカ27−36)

*メッセージのポイント*

私たちは神がご覧になる方法で他の人々を見なければなりません。それはつまり、神が全ての人についてどう感じておられるかを知る必要があるということです。神の心や考えは私たちの理解を超えるものですが、聖霊様の助けによって私たちはそれを知り、理解することができるのです。

*ミニチャーチのためのヒント*

 あなたは今までに、普通ならそうしない誰かに対して愛を表し仕えるために自分の考えや感情を脇に置かなければならなかった、そんな経験がありますか?

*ディボーションノート*
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―

ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

11/27(月)ガラテヤ 6:10, エペソ2:19, 4:16;ガラテヤ 6:2
 とても伝道熱心な夫婦の子供が教会を離れ、イエス様からも離れているという悲しいケースが結構多くあるようです。牧師の家庭でさえ同じ事が起こっています。神の家族である教会でも同じ事が起こります。教会は外側への働きを期待されていると思いますが、それは内側で愛が健全に働いている事が前提です。わたしたちの教会では 一にアップリーチ(神様に仕える)、二にインリーチ(互いに仕えあう)、三にアウトリーチ(世に仕える)という優先順位がはっきりと教えられていますが、バランスはどちらにも傾いてしまう恐れがあります。この優先順位を守らなければならないのは言うまでもありませんが、たとえ第二、第三順位であってもおろそかにされているならバランスの崩れた教会になってしまうでしょう。

11/28(火)1コリント12:25-26, ローマ12:13, ヘブライ13-3
 私たちは一体どのくらいの人の事を配慮することができるのでしょうか?いまのところ20人ほどの小さな教会であるユアチャーチでさえ、なかなか全ての人のことを思い、祈り、配慮するということができないのではないでしょうか?私はミニチャーチの牧師をしていますが、このミニチャーチの人数なら互いのニーズに応えることもできます。同時にあなたも「自分が必要とされている」ということを知ることもできます。あなたはユアチャーチがもっと強く活発に人々に仕えることのできる存在になることを臨んでいますか?そのために一番先にするべき事は、やはりミニチャーチを充実することだと思います。あなたがまだ自分のミニチャーチを見つけていないなら、適当なミニチャーチがないのならどうぞ祈り求めてください。私のミニチャーチがほしいとリーダーに訴えてください。

11/29(水)ルカ19:1-10, ヨハネ8:3-11
ルカに出てくるザアカイを現代に置き換えれば、状況が想像しやすいと思います。この時代の徴税人とは権限を利用し不正に私腹を肥やす現代の役人にあたるのでしょう。新聞にこのような人の記事が頻繁にのりますが、その度に私の心に憤りと諦めの感情が湧いてきます。もし彼らが市民によって糾弾されていたら、私は市民側に加わり批判をするでしょう。とうてい彼らをかばうとか受け入れるとかはできないと思います。しかしイエス様はどの時代においてもこのような嫌われ者にもすすんで近づき優しい言葉をかけ、受け入れます。イエス様の愛は全ての人に注がれていますが、とりわけこの世で嫌われている人、世間から見捨てられた人を尊重し友人となりその愛を示しています。私の中にイエス様の愛が根ざしているのならば、特定の対象に限定されない、どのような人も思いやれる大きな愛を示せるはずです。

11/30(木) 詩編68:10, 140:12; 箴言19:17, 2コリント.8:9
ここにあげられているみことばを読むと、いつの時も神様は貧しい人々の味方です。特に旧約の時代は貧しい人達がひどく虐げられていたのか、神様の助けに希望を持つ勧めの言葉が多くあります。もちろん、現代でも貧しい人達は沢山いますが、この21世紀を目前の日本は昔のような貧しさは無いと意っていいでしょう。そのかわり心の貧しさはひどくなる一方のように感じます。今の日本を見ていると、物のあまりなかった時より貧しいのかもしれません。沢山物を持っていると、次に欲しい物がなかなか手に入らないととてもつらく、それこそ自分だけそれを持っていないかわいそうな人に思えるかのように・・・この時代何がちょうど良いのかわかりにくくなってきているようですが、私達には導いてくれる主がいます。主をワーシップし、主に仕えるように造られているのに、違う方向に生きていると、お金や物を持っていようとなかろうと満たされないと気がつく人が一人でも増えるように祈ります。

12/1(金) ルカ10:30-37, ピリピ2:6-8, ローマ12:16, マタイ25:31-46
 小さな子どもたちでにぎわっていた近所の公園は、夏の間約2カ月ほど暑すぎて誰も行かなくなりました。その間にホームレスの人たちがそこに住みつくようになりました。夏が終わって再び公園で子どもたちを遊ばせようとしていた母親たちの間では、困ったものだと眉をひそめて話していました。何を隠そう私もその一人です。住む場所のない人たちについてはかわいそうだと思いますが、行政が何とかするべきだと考えていたのです。今日の聖句を読んで、自分は祭司やレビ人のようだなあと反省しました。恵まれない人たちに出会ったとき、ほとんどの人は見て見ぬ振りをして通りすぎる、かかわらないようにするという方が簡単なのではないでしょうか。しかし、イエス様は私たちによきサマリヤ人のようになることを教えています。頭ではもちろんわかりますが、実行することはなかなか難しいことです。まず神さまが私に何をして欲しいと望んでおられるのか祈ることから始めたいと思います。

11/2(土) マタイ 5:43-48, ルカ 6:27-36
 おそらくこれはイエス様が私たちに与えられた最も難しい戒めだと思います。敵を愛し、さらに自分が利用されるかもしれないとわかっていながら敵に与えるということは、この世の目で見れば理にかなわない愚かなことです。ほとんどのクリスチャンにとってもこの戒めを実行するのは難しいことです。なぜなら、私たちは不完全な人間で、この世からの影響を受けているからです。このことができるのは、ただ神の愛と恵みによるのです。神は私たちを愛するのと同じように私たちの敵としか思えない人たちのことも愛しています。それは、神さまが私たちを造られたのと同じように彼らも造られたからです。彼らの悪い性質はその人たちの内からではなく、世を支配するサタンの影響からくるものです。背後にいるものがあることを知り、彼らの魂を理解するためには、私たちは人間的な自分の考え方を脇に置かなくてはなりません。