*2001年2月4日メッセージとディボーションノート*
なぜ神様はあなたをユアチャーチに導いたのか?
使徒言行録10:44〜13:3

はじめに

ここに書かれている出来事は、主を信じる信仰がユダヤ人の中だけにとどまらず、すべての人に広がってゆくプロセスです。そしてそんな素晴らしい前進の中でも時として人間の狭い考えが神様の計画を邪魔してしまうことが起こることが警告されています。私たちYour Churchも、神様の祝福されたプロセスを前進していますが、知らず知らずのうちに神様の計画にブレーキをかけてしまうことのないように、ミニチャーチ、家族、夫婦、そして主の前に立つ一人の人として、神様の計画に耳を傾けましょう。神様を信じる人の辞書には「偶然」という言葉はありません。私たちが今ここに置かれている理由を知って、神様の計画に従う者になりましょう。

A  救いはすべての国民(くにたみ)に開かれる

1)事をはじめるのは「聖霊様」(使徒言行録10:44〜48) 
わたしたちの持つ常識は時として硬く厚い壁となって教会の前進を阻むが、聖霊さまの力はそれ以上に強い

2)妨害をはじめるのは人間様?(使徒言行録11:1〜18)
人間の最大の愚かさはそれになかなか気づかないことです。客観的に自分を見つめるとは、クリスチャンにとってはイエス様の目で自分を見つめるということです。

3)神様がユアチャーチを用いてなさろうとしておられる計画に必要とされているあなた
    
(使徒言行録11:19〜20)
ありのままで招かれているということと、働き人として召されているということのギャップをどう埋めたらいいのか?教会は赦され慰められ癒され成長する機会を与えられて主の働き人となるところです

B お手本=アンティオキア教会

1)主イエスを告げ知らせることによって出来た教会(使徒言行録11:21〜26)
私がここにいるのは第一に聖霊様の導きであり、神様が私にここでさせたいことがあるから

2)何で私はクリスチャンと呼ばれるのか?
ジーザスフリーク、キリスト命(熱心さをからかうあだ名としてアンティオキアで言われ始めた)

3)送り出す教会の支払う代価(使徒言行録11:27〜13:3)
教会の指導者を送り出せる教会、一人一人が役割を果たす教会、自分たちの群れを維持するためばかりでなく、宣教のために投資を惜しまない教会
 

メッセージのポイント

アンティオキアの教会はユアチャーチのよいお手本としてそこから学ぶ価値があります。あなた自身が主の体の一部であるユアチャーチにいることは偶然ではないのです。一生をこの体の一部として過ごす人もいるでしょう。人生の一部としてどこかに遣わされてゆく人も多いと思います。教会は人々を「お客さん」として囲い込むところではなく「働き人」として送り出すところなのです。

ミニチャーチのためのヒント

1)ユアチャーチは何のために存在しているのだと思いますか?

2)あなたはなぜユアチャーチに置かれているのですか?


*ディボーションノート*
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―

ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

2月5日(月) 使徒言行録10:44〜48 
 「神様を小さな箱の中に押し込めてはいけない」というフレーズがあります。神様は全知全能の方だともちろん頭ではわかっていますが、人間はつい自分の理解できる範囲内で神様を見ようとしてしまうのです。超自然的なこと、奇跡的なことを神様がして下さるとき、それは私たちの常識や理解をはるかに超えたものであることを認め、受け入れる必要があります。私たちの教会でも、また生活の中でも起こるのだと期待したいです。使徒の時代に現されたような力強い聖霊の働きが日本の地に起こるとき、多くの人たちが救われることでしょう。

2月6日(火) 使徒言行録11:1〜18
 ほとんどの人にとって、他の人が見るように自分自身の実際の姿を見ることはとてもむずかしいことです。本当のことを他の人から言われる時、そんな事はないと否定し、自分が信じていることが正しいのだとしがみついてしまう事が多いのです。特に当てはまるのは、過去には正しいと信じられていて、時間の流れとともに変化してしまった事柄です。時間の経過とともに起こる小さな変化には普段あまり気づきません。小さな変化も長年の間には大きくなりますが、私たちはそれに気づかず、思い違いをしたままになってしまうのです。神の国は常に変化していますが、私たちの目ではそれが見えないかもしれません。神の目を通して見ることと、聖霊に正しいことを教えていただくことが必要です。私たちに見えることや考えには限界があることを認める時、はじめてそうすることができるのです。

2月7日(水) 使徒言行録11:19〜30
私は時々このままではいけないと焦ったり、同時に私は今のまま主に受け入れられているんだと安心したりします。主の恵みはずーっと変わらず、私達をありのまま受け入れてくれます。この信じられないような大きい主の愛を十分に体験することが先決です。それは、主に出会って教会につながることで、私達は赦され、慰められ、癒されるのです。その後、私達はそのままでいてももちろん主の愛は変わりません。しかし、私達は成長するべきです。人間関係でも同じで、私達はずっと同じではいられないのです。それと、神様の大きな計画に必要とされていることも認識しましょう。私達が主にしていただいたこと、新しい命を得て、赦されたことを一人でも多くの人々とシェア出来るのは先に主の愛を知った者達だけなのです。いつでも主の促しに気付き、そして応えられるように成長することを願いましょう。

2月8日(木) 使徒言行録12:1〜19  
この箇所を読んだ感想は大きく分けて三つあります。
1)そんなことがあるはずはない。作り話に違いない。2)あの頃だから、またペテロという信仰のスーパースターだからあったのかもしれないが、今の自分には起こるはずがない。3)神様は昨日も今日も明日も変わることがない。神様が必要だと思えば私にも起こりうるできごとだ。
さてあなたはどう感じますか?「神様が全能の方である」ということを信じられることほど平安なことはありません。あなたが乗り越えられる悲しみや困難、危機は、あなたが主からの知恵や力で乗り越えて、信頼はさらに増し加わります。乗り越えられない問題に神様は直接介入して感謝の思いがさらに増し加わるのです。

2月9日(金) 使徒言行録12:20〜25  
自分を人に崇拝させる者の末路は悲惨です。最近のカルト宗教の教祖、ヒトラーなどの独裁者たち、ヘロデ王もまた人々の崇拝の声に酔いしれていましたが、悲惨な最期を迎えてしまいました。聖書はその理由を単純に「神に栄光を帰さなかったからである」と教えています。どんなに優れた技術を持っていたとしても「神の手」などと人に呼ばれたら要注意です。イエス様は地上では神様であることには固執せず、かえって仕える者として歩まれました。そして十字架の上で息を引き取られてから今にいたるまで、イエス様は神様ですと信じられ告白されているのです。それはイエス様が地上で徹底して「神に栄光を帰す」生き方のお手本を示されたからです。さてあなたにとっては「主に栄光を帰す」生き方とはどのようなものなのでしょうか?

2月10日(土) 使徒言行録13:1〜3
 私達の教会は今は一つの集まりですが、主の計画では指導的立場の人を送り出し、増えていくことを期待されています。送り出すことができるようになるためには教会に霊的、経済的、人材の面における力を備えておく必要があります。この準備は早めに始めて早すぎるということはないのです。まずユアーチャーチのメンバーそれぞれが教会がもっと力を得ることができるよう祈り求めることが大切です。一人一人が目標に向けて何をするか応えをを受取り実行したときに教会全体としての成長を遂げられるのだと考えます。そしてアンテオケの教会に起こったように私達の教会にも聖霊が誰をいつ送り出すか告げて下さいます。その時期が早くなることを心から期待します。