*2001年2月11日メッセージとディボーションノート*

あなたの職場で神様は活躍しておられますか?

使徒言行録13:4〜13:12

はじめに

神様の力や恵みが目に見える力が現れる事を信じない人がクリスチャンの中にも少なくありません。その一方ではっきりした信仰は持っていないのに超自然的な力を信じている人が多くいます。神様は単に「心の支え」以上の方である事をあなたは期待していますか?あなたが神様を信じているなら困った時だけたよりあとは自力でやってゆくというのでは、もったいないほど神さまは力ある方です。あなたの日常生活の中で神さまにもっと活躍していただきましょう。

A  原動力は聖霊様

1)信じる者の行動の導き(4)
2)信じる者を組み合わせて用いられる(5)
3)対抗する力を打ち砕く(7〜8)

B 愛を見える形で示すのが宣教です(13:9〜12)

1)体験を元にしたクリスチャンの行動
2)対決しなければならない時がある
3)主を信じる動機は様々でよい(12)

メッセージのポイント

救われるとは、解放されて自由になることです。目に見えない束縛からも、見える束縛からも解放する力を「福音」は持っています。
人がすぐに主を受け入れようとしなくても付き合い続けてください。そしてそのつど必要な解放を、聖霊の力に頼って与えてください。やがてその人も、本当の解放が誰によってもたらされるのか知るときが来るでしょう。

ミニチャーチのためのヒント

1)クリスチャンではない誰かのために直接祈ってあげたことがありますか?
2)あなたが経験した癒し、奇跡、力ある業についてシェアしてください


*ディボーションノート*
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―

ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

2/12(月) 使徒言行録13:4/1コリント9:19-23 

成功している宣教団体や宣教師とは、地域教会とチームを組んで働きをする人たちです。私の知っているあるアメリカの宣教団体で教会と関わりを持たず独自に宣教活動をしている団体があります。そこで誰かが救われると、その人が行くべき教会を探そうとしますが、結局行かずに終わってしまうことが多いのです。時には教会を探すこともせず、宣教師との個人的で気軽な関係だけを持ち、弟子訓練も受けない場合もあります。その宣教団体の過ちは、全ての過程において地域教会との密接な関係を持たないことにあります。パラチャーチ(教会に似た組織)も悪くはありませんが、神の国の力は同じ文化を共有する人々のいる地域教会であり、そこで聖霊を通して与えられる神の深い理解力とともに成長することができるのです。

2/13 (火) 使徒言行録13:5/マルコ16:14-20 

福音書を読むと、イエス様はたった一人に対してではなく複数の人たちに何かを教えたり、命じたりしました。イエス様が力と権威を授けた弟子たちは12人、その後も神さまの働きに遣わすために70人を定め、二人ずつ組み合わされて送り出されました。使徒の時代も、そのようなチームミニストリーであったことがわかります。神さまの働きは一人でするワンマンショーではないからです。不完全な私たちがお互いに支え合い、助け合うことをとおして神さまが私たちに与えて下さった賜物をよりよく用いていくことができるのです。ユアチャーチでは牧師一人がリーダーではなく、複数のリーダーがいます。また、メンバーの一人一人が組み合わされて神様の働きを効果的にできること(チームミニストリー)を目指しています。マルコの16章でイエス様が弟子たちに命じられていることは、私たちに対する言葉でもありますが、自分一人で頑張るのではなく、ともに歩み、仕える仲間がいることを感謝します。

2/14 (水) 使徒言行録13:6-7/19:11-20

多くの人が神様は信じていないけれど霊的なことに興味があるといいます。霊的な現象に関わる事に気軽に関わろうとします。「こっくりさん」や様々な占い、風水が話題になります。でも不思議な事にその力がどこから来るのかという事にはあまり関心を払わないのです。そういった現象やそれを行う人々がテレビなどにも登場し誰も危険な事,よくない事とは思ってはいないようです。政治家でもその政治的決断の前に占い師の意見を聞くという事が今でも行われているそうです。聖書はそれがどんなに偉大な事であっても神さまからの力によるものでないならそれはサタンからのものであり,結局災いをもたらす忌み嫌うべきものである、と警告しています。霊的な力に関しては、情報が氾濫していて、ともすると興味本位に流れがちで、本当に知るべき事ではない事のほうに重点が置かれてしまう事もあります。

2/15 (木) 使徒言行録13:8/マタイ16:21-27 

バルナバとサウロに反対して総督を信仰の道から遠ざけようとした魔術師エルマには明らかにサタンの力が及んでいると誰もが分かるでしょう。はっきりと主の働きを妨害しています。しかしマタイの16:23を読むとサタンは人間に認識されにくい形でもはたらいているのが分かります。ペテロがイエスを思いやって語ったととれる言葉にイエスはサタンを見出し「下がれ」と命じています。サタンは実に巧妙な方法で神の邪魔をしているのです。これは私達に対する警告でもあります。ペテロがされたと同じ様にサタンは私達の魂に潜み、神さまから目をそらし、他に焦点が当たるようはたらいているのです。私達が魔術師などという明確な形でなくても、主を最優先にしない時にはサタンにコントロールされていることに気が付かなければいけません。

2/16 (金) 使徒言行録13:9-11/9:1-9

これがいわゆるパワーエヴァンジェリズム(力の伝道)が最も攻撃的な形を取ったものなのでしょう。癒しや預言による伝道には大きな成果が伴いますが、伝道の99.9%は地道な日常生活の中での愛の表れによることを忘れてはいけないと思います。わたしはこのような力の伝道が素晴らしいものである事を信じていて反対する者ではありませんが、時として行き過ぎや,作為、心理的効果を霊的なことと勘違いしている場合もあるので気をつけなければならないと思います。すべての人がパワーエヴァンジェリストになる必要はないのです。それはある人に顕著に与えられる賜物であって,それが自分を通しておきないことにがっかりする必要はありません。しるし,不思議,奇跡の表れを期待していますが、それ以上にユアチャーチにいる「普通の人々」をとおして日々表されている愛は奇跡と同様に尊いものだと思います。霊的な力について教える事に関しては、情報が氾濫していて、ともすると興味本位に流れがちで、本当に知るべき事ではない事のほうに重点が置かれてしまう事もあります。 

2/17 (土) 使徒言行録13:12/ヤコブ5:13-18 

大好きでとても信頼でき、自分に一番良いことをしてくれる人がいたら、どうするでしょう?きっと、「いつもありがとう!」と伝えて、今抱えている悩みを相談し、願いをきいてもらうでしょう。そして、いつも側にいて話しを聞きたい、聞いてもらいたいと思い、緊急の時には助けを求めるでしょう。もちろん、この信頼できる方は神さまです。神さまとのコミュニケーションは祈りです。神さまは私達に一番良いことを一番良いタイミングで与えて下さいます。そのことにも信頼を置き、積極的に祈りましょう。そして「…互いのために祈りなさい。」ヤコブ5:16とあるように、自分のためだけでなく誰かのために祈り、神さまはその人一番良いことを一番良いタイミングでしてくださると信じましょう。私達のこの信仰に基づく祈りはいろいろな形できかれるのです。「正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。」ヤコブ5:16