*2001年2月18日メッセージとディボーションノート*

喜びはあなたを通して誰かに伝わっていますか? 

使徒言行録13:13〜52


感情や雰囲気は人を通して他の人々に伝わってゆきます。子供の情緒の安定にとって一番大切なのは両親の情緒の安定です。あなたは不安や恐れを伝える人になりたいですか?それとも平安と喜びを伝える人になりたいですか?私たちがいつでも喜びを伝える人になりたいなら、まずは枯れることのない平安・喜びの井戸を発見しなければなりません。一体それはどこにあるのでしょうか?(ヨハネ4:7-15)

A 救いの歴史の集大成 (13:13-41/エフェソ2:14-22)
パウロもステパノと同様にイエス様を紹介するために旧約聖書を紹介する事から始めましたそれは救い主イエス様をよく知るために大切な事だからです

1)神様は様々な形で私たちと関わってくださる
神様は歴史の初めから今に至るまで生きて働いている方。神様を信じていようといまいとその恵みは雨のように平等に降り注ぐものです。でもこちら側で傘を差したりどこかに隠れて恵みの雨を避ける事も許されていました。イエスキリストの出現によって、恵みを受け取るのか、拒むのか、私たちに最終的な決断が迫られている「終末」がはじまったのです。

2)神様の恵みは創造から終末まで一貫している
ステパノは悔い改めを激しく迫り殉教しましたが、ここでのパウロの聴衆は聞く耳を持っていたので同じことを聞いても神様の恵みのメッセージとして受け取る事ができました。
イエス様はわたしたちの心の中心であるばかりでなく歴史の中心、世界の中心なのです。このことを忘れるとわたしたちの信仰はとても内面的で、感情的なものとなり、社会性(人との関係)の乏しいインパクトのないものになってしまいます。伝道の動機も自己中心的なものに変わってしまうでしょう

B 恵みを伝えるために大切な事(13:42-47/ローマ10:14-21)
パウロ自身は厳格なユダヤ人の習慣の中にいた人でしたが、イエス・キリストの福音はユダヤ社会にとどまるものではない事を知っていました。だから彼にとっては、伝える相手はユダヤ人にとどまりませんでした。多くのユダヤ人クリスチャンは、異邦人伝道などという事は思いもよらない事だったのです

1) 先入観を持たずに伝える
私たちはいつのまにか神様の目ではなく自分の目で人を見て、伝える事をあきらめてはいないでしょうか?その人がどんな人かと自分で判断するのではなく、神様がその人をどう見、また憐れんでおられるのか注意深く受け止める必要があります。

2)失敗を恐れずに伝える
拒絶されたり、嫌われたりする事を恐れてチャンスを逃してはいないでしょうか?特に将来を共にしたいと思う人に対して、自分の喜びが確かなものでありこの喜びなしには生きてゆけないと確信しているのなら畏れずに伝えましょう

3)時を見分けて伝える
パウロは最初からユダヤ人には伝えないというつもりではありませんでした。聖霊の導きにしたがって、その時その時、心を開いた人に伝えていきました。人は波に乗ることはできますが、波を作ることはできません。神様のタイミングに乗ることが大切なのです。

C 恵みを伝える力 (13:48-52/エフェソ5:15-20)
神様は限りない恵みと喜びを供給してくださる方です。この素晴らしい水をしっかり送り届ける者になりたいなら次の三つのことを覚えてください

1) 理性における確信
イエス様がどんな方であるかを伝えるだけが伝道ではありませんが、イエス様が自分にとってどんな方であるか、どのようにイエスさまと付き合っているのか などかを人に伝えられなければ、この喜びを伝えるのは難しいでしょう。商品知識の無いセールスパーソンはよい成績をあげることができません。

2) 感情における喜び
どんなに豊富な商品知識を持っていたとしても、自分自身が本当にそのよさを信じていなければ、やはり成功することはできません。あなたの主にある喜びは知識の中に、義務感の中に埋もれてはいませんか?あなたの喜びが何かの理由で解き放たれていないなら、解放のミニストリーを受ける事もよいことです。

3)  導き手・聖霊に従う
わたしたちのスーパーヴァイザーは聖霊様です。聖霊に満たされることを期待するとはなにか自分の身に何か目新しい事が起こることを願うことではなく、わたしたちの内側に留まっていただいて「正しく導いていただく」ことを期待する事です。

メッセージのポイント
「イエス・キリストに従って歩む」という新しいライフスタイルがこの使徒言行録の時代に、すごいスピードでユダヤ社会から外へ広がってゆきました。それは今世界中をカバーしつつあります。私たちもまたこの働きに用いられているのです。それが見せかけでない平安と喜びを与えてくれる事を一人でも多くの人に伝えたいからです。あなたに伝えられた喜びは今も誰かに伝わっていますか?わたしたちの伝えたい動機や方法が間違っているならそれはなかなか伝わりません。でもそれは決して難しい事ではありません。聖霊の助けによって、神様についての知識を増やし、あなたの喜びをリフレッシュすることから始めてみましょう。

ミニチャーチのためのヒント
1)いろいろな出来事に左右されない平安が心にありますか?
2)今自分が誰かに伝えようとしているケースについてシェアしてみましょう


*ディボーションノート*
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―

ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

2/19(月) 使徒言行録13:13-15/ネヘミヤ8:8-12 
 クリスチャンになりたての頃、旧約聖書は難しそうで敬遠していました。ある日、小学生の子供に「旧約聖書の人物で誰が一番好き?」と聞かれました。答えることができず、仕方なく「あなたは誰が好きなの?」と聞き返したら「ダビデ王」とはっきりと答えてくれました。小学生に負けてはイカン!と思い旧約を読み始めました。その時助けとなったのは、聖書を読むときのアドバイスをしてくれた人の言葉でした。聖書を読む前に、「聖霊さま、理解することができるように助けてください。今日、神様が聖書を通して私に何を語ろうとしているのか示してください」と祈るのです。神様の恵みとあわれみ、イエス様の十字架上による救いを本当に理解するためには、旧約を知ることが必要です。聖書を読むたびに少しずつ神様のことがわかるようになり、喜びと感謝が増し加えられます。

2/20(火) 使徒言行録13:16-25/ルカ3:21,22 
 新約聖書が執筆された後、初期教会の学者たちは旧約聖書と新約聖書が一つの本としてまとめられるべきだとわかっていました。今日では、旧約はユダヤ人のため、新約はクリスチャンのためと感じている人がいますが、新約は旧約から生まれたものです。もしこの二つを切り放してしまうと、神さまがどんな方であるのか、この世で何をしようとしているのかについて間違った考えを持つことになってしまいます。使徒の時代、旧約しかありませんでしたが、彼らは新約に生きていました。ほとんどのユダヤ人が旧約をよく知っていたように、イエス様を個人的に知っていた人たちは旧約が単なる歴史ではなく、いかに生きているものか理解していました。旧約を学ぶにしたがって、パウロが語った旧約のメインポイントとイエス様ご自身の間に共通点を見いだしました。イエス様が旧約から生まれてきたことがわかったのでした。

2/21 (水) 使徒言行録13:26-35/エフェソ2:14-22
 
イエス様の十字架の原因はわたしたちの罪であり、目的は救いです。神様はその業の勝利を復活という形で世に示されました。それが私たちにどう関わるのかは、私たち一人一人がこの証言をどう受け取るかにかかっています。私自身はもうクリスチャンになって20年以上になるのに、時々「自分は神様の思いにかなって歩んでいないのではないか」と考え込んでしまいます。そんな時、旧約聖書の中に出てくる人々を思い出して少し安心するのです。そこには神様に対して真剣ではあっても失敗をしなかった人は一人もいません。弟子たちもそうでした。きっといつの時代のクリスチャンもそうだったのだと思います。だから失敗を恐れず歩みつづけたいと思います。「起き上がりこぼし」というおもちゃ知っていますか?重心が低いので倒しても倒しても起き上がる人形です。私たちも神様に寄り添うように重心をしっかりと低くしているなら、ぐらつく事はあってもいつも立ち上がれるのだと思います。

2/22(木) 使徒言行録13:36-41/ハバクク1:5-11
 
誰にでも人を信頼して裏切られたという経験があると思います。反対に不本意ながら人を裏切る結果になってしまった事もあるのではないでしょうか?人間には限界があります。精神の弱さ、肉体の弱さのため,利己心のために人の期待にこたえられないことがあるのです。聖書はたった一人、決して私たちを裏切らない方=イエス・キリストがおられることを教えています。でもイエス様を信じて生きるという事は,他人を信じないで孤独に生きるという事ではありません。そうではなく互いを赦しあいながらともに生きてゆく事なのだと思います。おおくのユダヤ人はせっかく真の神,同時に真の人であるイエスに希望をおくよう勧められたのに受け入れる事ができませんでした。わたしたちのジレンマは互いに信頼するには頼りない存在でありながら、信頼しあわなければ平和に生きてゆく事ができないという事です。イエス様の愛によって互いに赦しあえる存在として認め合う事のできる人間関係が与えられている事を感謝したいと思います

2/23 (金) 使徒言行録13:42-47/ローマ10:14-21
 私達はつい先入観をもち自分本位で「真理を求めている人」をピックアップして、その人達だけにアプローチしてしまいます。その先入観の根拠は外見をはじめほんの人の一面に過ぎないのです。神様は人の全てを知っています。人の一面しか見ることのできない私達が人を選別しているのは思い上がりと言えるでしょう。主の計画に敏感であるなら自分の先入観にとらわれず、福音を語るべき相手に伝えることが出来ると思います。私は職場の同僚数人にクリスチャンであることは言っていますが、明確に福音を伝えていません。今週良いチャンスが与えられました。今までの自分の先入観では「真理を求めている人」に該当しない同僚と旅行に出かけられるのです。彼が今週福音にはじめて触れるのが主の計画なのかもしれません。よく祈って従いたいと願います。

2/24 (土) 使徒言行録13:48-52/エフェソ5:15-20 
 どんな物でも手に入れてから時間が経つに連れて、最初の喜びが薄れてきてしまいます。もっていることが当たり前になって、ありがたみを忘れてしまいがちです。信仰もそのような危険性を持っていると思います。信仰がなくては生きていけないと思いつつも、感謝や喜びの気持ちが薄れてしまいそうになります。けれど私達が福音を伝えたいと思うときの重要なポイントは、神さまと共にいることを心から喜び、感謝しているかという点なのです。この喜びを誰かに伝えたい、もったいなくて独り占めしていられないというのが伝道の力です。どうしていつも感謝しているの?喜んでいるの?と誰かが感じてくれるとしたら、伝道の始まりです。まず、感謝すること、喜びを新たにすることを心がけたいと思います。日記に日々の感謝の気持ちを記しときどき読み返してみるとか、喜びや感謝を誰かと分かち合うとか、自分に一番良い方法を見つけましょう。ちなみに私は今日、自分の結婚式のビデオをみて神さまへの感謝を再確認しました