*2001年4月1日メッセージとディボーションノート*

私は何をすればいいのですか? 使徒言行録14:21〜28

メッセージの概要
パウロとバルナバは海外宣教のパイオニアでスーパースターのようにも思えますが、彼らはいつも「教会に送り出されている」ということを意識し、委ねられた務めとして宣教にあたりました。現代の伝道、宣教の問題点のひとつはキリストの体としての教会との密接な関係なしに活動が行われ、返って教会を傷つけたり、せっかく救われた魂が成長する機会を奪われ路頭に迷う(つながるべき場所を持たない)といったことがおきているということです。このことはアメリカでも日本でも見られる傾向です。宣教、伝道が御心にかなって行われるために、神様はキリストの体の一部であるあなたにもしてほしいことがあるのです。

A  パウロたちが宣べ伝えることだけをしたのではない

1)力づけ励ます働き(21-22/イザヤ41:6-10)

キリストの体による励ましは、神様の励ましです。同じ神様を信じ、信頼しあい、愛し合える人々の存在を通して神様は私たちを励ましてくださいます。
パウロたちの伝道はただ伝えっぱなしのものではなく、励ましと力づけというアフターサービスの伴ったものでした。私たちも人々を体の一部に招き入れるのですから、ただ決心に導けばよいという乱暴なものであってはならないのです。
教会を単なる信者の集まりと見るなら、それは一面しか見ていないことになります。
このキリストの体から離れた宣教というものはあり得ません。

2)組織作り(23a)

ここでもパウロは決心をもたらすというより、教会の基礎作りをしたということがよく現れています。それはキリストの体を立て上げるための最初の仕事です

3)祈って主に任せる(23b/ローマ12:3-8)

ただし彼は自分の働きがひとつのチャーチプランティングに長く携わるものではないと理解していました。そこで祈りを持ってリーダーを任命し、主を信頼して任せました。働き人には与えられた賜物に応じて、それぞれの役割があります。自分の分をわきまえていなければ組み合わされて用いられることはできません。

B  宣教は送り出された者だけの業ではない

1)送り出されたところに帰る(14:24-26/ルカ10:17-20)

これでパウロの今回の伝道旅行の目的は達せられました。そして送り出されたところに戻る、ここに宣教旅行が始めて完結します。伝道者が根無し草にならないために、送り出された原点に時々立ち返ることが大切です。

2)恵みを共有する(使徒言行録14:27/エフェソ4:11-16)
 
彼らがアンティオキアに帰って最初にしたことは、教会の人々を集めて宣教報告会をしたことです。
そこでは神様がしてくださったすべてのことが報告されました。彼らは送り出した者たちと、すべての成果を分かち合ったのです。

3)宣教は親密なティームワーク(14:28/1コリント16:5-9)

宣教師が送り出された教会にしばらくとどまり共に過ごすことは本当に大切なことです。海外宣教が教会全体の業であることを。送り出される者も、送り出す者もよく理解している必要があります。

C  私は何をすればいいのですか?

1)責任を持って祈る(2テサロニケ3:1-3)

2)責任を持ってささげる(2コリント8)

メッセージのポイント
先々週は、ロバートさんをユアチャーチの宣教師としてケニヤに送り出しました。今日私たちはアメリカで宣教活動をしている佐藤恵一さんと共に礼拝をささげ、午後には恵一さんのお話を聞こうとしています。神様は聖書を通して、私たち一人一人に海外宣教に対する重荷を与えておられることがわかります。その関わり方はそれぞれ違うとしても、宣教は(海外であっても、地域、家庭内であっても!)教会の業ですから、一人一人が責任を持ってなすべきことが与えられています。あなたは神の宣教のために何をしますか?

ミニチャーチのためのヒント
1)なぜ宣教を教会全体のこととして考えなければいけないのですか?
2)海外宣教におけるあなたの、そしてあなたのミニチャーチの役割は?


*ディボーションノート*
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―

ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

4月2日(月) 使徒言行録14:21-22/イザヤ41:6-10 

聖書は教会を人間の体とみなしています。教会に新しい人が加われば、体は大きくなるし体を構成するパーツも増えることになります。教会の役割は神さまの導きに従って歩み、霊的にも機能的にも成長することです。人間の体はバランス良く全体が少しづつ大きくなりますが、教会の場合も同じようにバランスよく成長することが大切です。特定の人だけが成長し、残された人に変化がなければ、体全体はゆがんでうまく機能しなくなります。パウロ達はクリスチャンの先輩として、福音を受け入れた人々を力づけ、励まし、教会の組織作りに協力しそして祈って主に委ねました。神さまの恵みによりユアーチャーチにも新しい人々が加えられています。本当に素晴らしい嬉しいことです。パウロを手本に新しい人やこれから加わる人に関わりたいと思います。そうすれば必ず私たちの教会は大きく、健康に成長するでしょう。

4月3日(火) 使徒言行録14:23/エフェソ3:1-7 

私は以前ある人が「私はチャーチプランティングが自分の働きで、牧師ではない」と言っていたので、なんだか突き放した言い方のように感じたことがありました。その頃よりちょっとは成長した今、私はその人が言わんとしたことが少しは理解できるようになりました。前は人間の目から見て、すばらしいことや、良い動機があると「するべき」というような気持ちがはたらいていました。しかし、今はちょっと待ってと自分に言って、必ず主に聞くことにしています。当たり前のことでも忘れてしまいがちな事ではないでしょうか。私はダビデ王がいつも、何をするにも主に尋ねる、問う人であって、主との親密な関係が羨ましい、見習いたいなと思っています。旧約では「託宣を求める」と書いてありますが、英語では“inquire of the Lord”とあって、常に主を仰いでみ顔を求め、主の導きを信頼することを学びましょう。

4月4日(水) 使徒言行録14:24-26a/ローマ1:8-12  

時々自分が世界の教会の一部だということと、同時に同じ一つの信仰の歴史の流れの中に自分がいるということを思って、とても不思議というか、神様の摂理の深さを感じます。あのパウロは生涯、伝えることを終わりにしませんでした。三回の伝道旅行とローマへの旅の中でいったい何人の人と会いイエス様を紹介したのでしょうか?そしてその旅行は信じている人々を励ます旅行でもありました。クリスチャンは地上では旅人だと表現されています。もちろんその第一の意味は「やがて天国に帰る」ということですが、もう一つ心に留めておきたいことは「愛すること(主を伝えることであり、また人々を慰め励ますこと)のために軽いフットワークでいよう」ということです。

4月5日(木) 使徒言行録14:26b/ルカ10:17-20 

この日曜日に佐藤宣教師をお迎えして楽しくまた意義のある聖日をすごすことができました。また先週はロバートさんがいよいよケニヤでの働きにとりかかるために帰国しました。世界中で神の国をもたらすために神様がまだ小さなユアチャーチを用いて下さっています。バージニアではバドとキャシーが、そしてカザフでの働きも進行中です。私はこれらの働きのベースキャンプとしてユアチャーチが用いられていることを大変うれしく思っています。いつのまにか日常生活に流されて「イエス様にあがなわれ使命を与えられている」自分を見失っていることがありますが、神様の働きは24時間営業です。もっと折に触れて彼らのために祈ってゆきましょう。

4月6日(金) 使徒言行録14:27/エフェソ4:11-16

全ての人が教会の牧師となったり、宣教師として遣わされたりするように召されているわけではありません。しかし、私たちは皆ともに、ひとつのゴールを目指していて、そのゴールに到達するために一人一人が様々な役割を持っています。教会から送られた宣教師は、もちろん教会の人々からのサポートが必要です。そして、支える人々は神さまが世界中の色々なところでしておられることについて宣教師から聞くことが必要です。人々は実際に何が起こっているのかを知ることによって、さらに効果的に祈りによって支えることができます。また、宣教のニュースが送られてきます。神さまが行うすばらしい事についての報告が届くとき、地域教会の人々の信仰が成長することで、全世界的に教会全体も成長するので、さらに多くの人々が神の国に入ることになるでしょう。すると、より多くの人々が訓練を受け、リーダー、牧師、宣教師となるのです。このようにして、サイクルが繰り返され、ずっと続いてゆくのです。

4月7日(土) 使徒言行録14:28/1コリント16:5-9

教会から送り出されて海外宣教をする宣教師たちは、多くの場合何年かに一度その宣教の働きを1年ほど休み母教会に戻ります。英語でfurlough(ファーロウ)と言いますが、休暇を取るという意味です。ファーロウの間、宣教に必要な力や励ましや癒しを再び受け、満たされて、また新たに出発することができるのです。でも、今日の聖句を読んで、ファーロウにはもうひとつ重要な意味があることがわかりました。それは、海外宣教が教会全体の業であることを、送り出される者も、送り出す者もよく理解するためなのです。宣教という神様の働きがどんなものであるのかを(すばらしいことも苦しいことも)実際に聞く時、送り出す者もその働きの一部であり、責任があることを実感します。両者にとって必要かつ重要なことです。