*2001年12月23日メッセージノート*

もうひとつのクリスマスストーリー
マタイによる福音書2:1-18

A まずは現実を直視しよう

1) 悲惨な社会−悲惨な現実の中に平和の種がまかれている
(マタイによる福音書2:1-2 2コリント4:1-6)
2)心の貧困(マタイによる福音書2:3-6、サムエル記上3:10-18)

3)誰の心の中にもある闇(マタイによる福音書2:7-8 箴言28:22-28)

B ひどい世の中であっても心豊に生きられるライフスタイルを持とう

1)「献げる」というライフスタイル(マタイによる福音書2:9-11、サムエル上15:22)

2)「従う」というライフスタイル(マタイによる福音書2:12-15、創世記45:1-8)

3)「望みを持つ」というライフスタイル(マタイによる福音書2:16-18 ルカ12:4−7)

メッセージのポイント
神の国は何もないところに苦労なく建てられるのではなく、悪が力を持っている現実の中に打ち立てられる。抵抗する勢力との戦いの中で傷つき、本人や家族にとっては不本意な形でこの世での生を終えなければならないこともある。戦いに勝つためには敵をよく知らなければならない。敵を甘く評価すれば払う犠牲が大きくなる。敵はかなり強力だが、神様推薦のライフスタイルで臨めば勝利は約束されている。

ミニチャーチのためのヒント
1)「神様が全能なら、なぜこんな悲劇を見過ごされるのですか?」
この疑問にあなたはどう答えますか?

2)どうしたら悲惨な現実に負けずに喜んで歩んでゆけるでしょうか?


*ディボーションノート*
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―

ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は日曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

12/24(月) マタイによる福音書2:1-2、2コリント4:1-6
私の職場には生まれつき体が不自由でその上視覚と聴覚にも障害を持った人が通ってきます。彼らは自力で座ることはおろか寝返りも自分ではできず、言葉を聞く事も理解もできません。一生母親に身の回りの世話をしてもらいほとんどの時間を横たわって静かに生活するのです。彼らは人からイエス様の救いの話を聞くことはできません。だからといって彼らの地上での歩みは虚しく終わってしまうのでしょうか。それは違うと思います。このクリスマスにイエス様は全ての人へのプレゼントとして贈られました。彼らを含め全ての人が救われるのが神様の願いであるならば人間の言葉では伝えられなくても、彼らには神様の手段によって伝えられている筈だと思いました。私たちはコミュニケーションの方法を人間の言葉だけだと狭く捉えてしまいますが、想像できない神様の手段で彼らの魂に直接語っているのではと思います。それだけ神さまの愛は大きく、その存在は想像を越えているのです。分からないことで想像で書いてしまいましたが、彼らを見ているとイエス様に似た清さと愛を感じるときがあるのは事実です。

12/25(火) マタイによる福音書2:3-6、サムエル記上3:10-18
私にはいつも気をつけていなければならないことがあります。それは神さまのみこころを知りたいと願いつつ、実は自分の考えられる範囲で最高の選択をしようとしてしまうことです。何度もメッセージを聞いて、聖書もそれなりに読んで、神様のご性質を知っているつもりになっているところがあるのです。でもそれは時に自分勝手なものになってしまいます。最近もあることに関してみこころを求めているときに、確実なのはやはりみことばだと気づかされました。神様のご計画、神様が私に望んでいることがそこにはあります。それは、私が考えられる範囲をはるかに超えるものなのです。そして、それに従うこと以外に祝福の道はありません。単に聖句をたくさん覚えていればいいというわけではなく、どんなに小さなことに思えることでも、日常的なことでも、みことばに返り神様のみこころを教えてくださいと祈る姿勢が失敗を少なくすると思うのです。「どうぞお話ください」と神様に心を寄せる時間を大切に守りたいと思います。

12/26(水) マタイによる福音書2:7-8、箴言28:22-28
なぜ人はそれがほしいと思うと人から奪ってでも手に入れたいと思うのだろう?なぜ人は何かを手に入れると、それを守るためには人を傷つけてもいいと思ってしまうのだろう?なぜ人は素晴らしい知性と感性を与えられているのにそれを「奪う」ために「傷つける」ために使ってしまうのだろう?それが不幸と悲劇に原因だということは誰でも知っているのに。私たちはクリスチャンなので「罪」という言葉で簡単に片付けてしまうけれど、イエスさまを知らない人にはもう少し親切に言い換えたほうがいいかもしれない。みんな「罪」という言葉は理解していないけれど、愛が冷えていること、そこに悲劇があることは知っている。イエスさまが来てくれたのは、すべての人の心の奥に住み着いた「罪」−愛せないこと/愛さないことを解決するためだということを分かりやすい言葉で伝えていこう。

12/27(木) マタイによる福音書2:9-11、サムエル上15:22
聖書の知識が多くあることによって、「立派なクリスチャン」とか「信仰深い」と人は考えがちです。でも本当に神様が私たちに求めていることは、神様についての知識を増やすことなのでしょうか?そうだとしたら、例えば開発途上国において、読み書きさえ十分できない人々の信仰は劣っているのでしょうか?数年前にパプアニューギニアを訪れましたが、私が滞在した内陸の高地では識字率は30%以下です。しかもこの国には800もの言語があり、まだ全ての言語に聖書は翻訳されていません。それでもクリスチャンの人口は80%近いとも言われています。私も現地の礼拝で、沢山の村人が質素な礼拝堂で心から主を礼拝している姿を見て、そのままの自分を捧げることの大切さを教えられました。イエス様が生まれた時、救い主についての知識があったはずのヘロデ王の態度とは対照的に、3人の博士の心は、知識はなくとも救い主がお生まれになった喜びであふれていました。私たちは博士達のように高価な贈り物をイエス様に捧げることはできませんが、神様が望んでいるもっと尊い贈り物、つまり私たちの心を捧げることができます。

12/28(金) マタイによる福音書2:12-15、創世記45:1-8 
 まだ若いクリスチャンだった頃、これは神さまからの導きであると信じて始めた仕事がありましたが、期待とは相当違っているものでした。とにかく暇でやりがいがなく、上司も尊敬できる人ではありませんでした。落ち込んでいても始まらないので、暇な時間を使って、与えられていたコンピューターでエクセルなどを独学で習得しました。まだ信仰が浅く、確信というものがなかったので、仕事場では相変わらずあまり喜べず、いつも不満をもっていました。ところが、半年後、教会でのフルタイムの仕事が与えられました。そこで、はじめて私は今までの仕事もやはり神さまからのものであったことに気づかされたのです。教会での働きは、コンピューターを使いこなせなければできなかったからです。その経験のおかげで、「なぜ私は今ここにいてこんなことをしているのだろう」という状況になった時、神さまに聞くことができるようになりました。祈りやみことばを通して神さまが平安と確信を与えてくださるならば、以前のように恐れや不満をもたずに歩むことができるのです。神さまのご計画であればそこには必ず意味があるからです。ヨセフのように天使から直接語られたら、どんなに分かりやすいだろうと思いますが、天使はなかなか現れてくれませんから、神さまの小さな声によく耳を傾けて、導きに従いましょう。

12/29(土)マタイによる福音書2:16-18、ルカ12:4−7
私はひとつの注解書を読んで今まで誤解していたことに気が付いたのですが、ここで起きた事は、100人、1000人単位の虐殺ではなかったようです。当時のベツレヘムの人口から考えて数十人といった数だったのでしょう。もちろん数が少なければよいというわけではありません。楽しいクリスマスの印象を曇らせる事件です。毎度のことながら、「なぜこんなことを神様は許されるのだろう」思ってしまう私たちです。でも神様のせいにするのは辞めにしましょう。今年も100人、1000人の単位で、しかも世界のいたるところで戦争、テロ、飢餓のために多くの人々の命が奪われ、残されたものには深い悲しみが残りました。でも、イエスさまは人が自分の意志で神様に立ち返るチャンスを与えるために来られたのであって、人々から意志を奪って争いのない社会を作るためではありませんでした。それにこの地上で不本意な形で命を奪われても、天国に希望があることを忘れてはなりません。


*お知らせ*

*ミニチャーチ*

様々な地域/曜日/時間帯にもたれる集まり。楽しく、暖かで、私たちが一番大切にしているアトホームな集まりです。あなたもぜひ参加して下さい。予定は変更される場合があります。詳しくは各ミニチャーチ牧師までお問い合わせの上お出かけください。

教 会(どなたでも) <毎週木曜7:30> 牧:村田英二
教 会(どなたでも) <不定期日曜 昼食後> 牧:春日真紀
ニューマン宅(女性&幼児) <第二&第四水曜 10:30am> 牧:ニューマン順子

これら以外の時間帯にミニチャーチに参加したい人はリーダーに相談してみてください。できるだけ期待にそえるよう新しいミニチャーチを計画します。

献金について

聖書は、収入の十分の一を献げることが、礼拝の一部であり信じる者の責任であることを教えています。(マラキ3:10) また人に強いられてではなく喜んで、自ら決めたとおりに豊かに献げる人を神は愛する(第2コリント9:6-7) とあります。私たちは、クリスチャンでない方や何らかの理由で献げられない方が気兼ねしないですみ、献げる者も自発的であってほしいという思いから、礼拝中に献金袋を回すことはしていません。ご用意のある方は受付の献金ボックスにお入れください


・ニューライフクラス‐チャペル
(7週で学べるクリスチャン生活の基礎 /ニュークリスチャンのための学び)隔週礼拝後次回予定、問い合わせ等 真理まで


・日曜礼拝(セレブレーション)‐チャペル (10-11:30)
・聖餐式 - 毎月第一日曜日9:30より

<祈りの課題>
日曜礼拝のために今より広い場所が候補に上がっています。神さまのタイミングが示され、全ての必要が与えられますよう、お祈りください。 

* 【12月24日4:00pm〜】クリスマス礼拝とクリスマスパーティー

* みぎわ(老人)ホームにてボランティア活動のできる人を募集しています。詳しくは朋美まで。