*2002年5月26日 メッセージノート*

聖い生活のためのガイドライン

コロサイの信徒への手紙 3章

A. あなた個人の生活のため(1 - 17節)

1.

a. 上にあるものに心を留める(1 - 4節)

b. 以前の古い自分からくる悪いものを捨て去る(5 - 11節)

2.

a. 神さまからのものを身に着ける (12 - 14節)

b. キリストの平和があなたの心を支配するようにする(15 - 17節)

B. クリスチャン・ファミリーの生活のため(18 - 25節)

1.家庭において(18 - 21節)

2. 職場において(22 - 25節)

*メッセージのポイント*

 堕落し、悪のはびこったこの世で敬けんな生活をおくることは簡単ではありません。特にクリスチャンになったばかりの人にとっては、どうやて信仰生活をおくっていけばよいのかよくわからないこともあるでしょう。コロサイの手紙の今日引用した章は、どのようにしたら神さまを敬う人生をおくれるかについて教えてくれます。もちろん、自分一人で悩む必要はありません。聖霊様があなたとともにいて助けてくださり、教会も同様に助けてくれます。

*ミニチャーチ*

 次のことについてシェアしてみてください。敬けんな生活をおくるためにあなた自

身にはどのように大変なことがあるか。よりよい生活をおくるためにどんなステップ

を踏んでいるか。他に助けとなる聖句について。


ディボーションノート

ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所はメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。


2002年5月27日(月)コロサイの信徒への手紙3:1-4、ローマ5:1-11

 イエス様を信じクリスチャンになった私がその日を境にどう変わったのか、私には数年わかりませんでした。頭では「救われた」と信じていても感覚は全く付いてこなかったのです。自己中心の思いや、悪意など主に喜ばれない感情が相変わらず心の中にあったからです(それらがあること自体は今も変わりません)。実際のところ私たちは「正しくなった」のではなく「正しいもの」と認められたのだと、パウロは教えてくれています(ローマ5:8)。そこで私たちはクリスチャンであるという事実と自分の心の思い(そしてそれは行動として現れてしまう時もある)のギャップに苦しむのです。このように肉体的には罪に弱い性質を持った私にもできる「イエス様の似姿に少しずつ近づく方法」が今日の聖書の箇所に記されています。それは「自分の意志を働かせる」ということです。私の意志はとても強固なものとはいえませんが、それでも今まで聖霊の助けによって働かせ続けることができました。それが多少はキリストの香りとなって身についているかな、というささやかな自信となっているのです。


2002年5月28日(火)コロサイの信徒への手紙3:5-11、ガラテヤ5:16-26

 十分な活躍ができずに交代を宣言され、肩を落としてフィールドを去ったサッカープレーヤーを監督が「よくやったご苦労様」とねぎらっているシーンを見たことがあります。イエス様は私たちが天に帰った時、どのように迎えてくださるのでしょうか? わたしには「世の歩みを終えるとき、こんな私を神様は落第クリスチャンとして裁かれるのではないだろうか」と真剣に悩んでいた時期がありました。私の汚いままの内面を神様は良くご存知だと思ったからです。でもやがてそれは悪魔のささやきであると思えるようになりました。聖書の書かれた時代であっても、教会の中に罪の事実があり、それに対して使徒パウロやヤコブが何度も叱責し警告していることを聖書は包み隠さず伝えています。今日の聖句は、問題は心の中に罪の性質があることではなく、「悪魔ではなくイエス様に従って生きる」という意志だと教えてくれています。主に従って歩むということは、日々新たにされてゆく連続的な変化として現れます。インスタントなものではないのです。私はきっと「こうすればよかった、ああしなければよかった」といったことをいくつも抱えながら、肩を落とし気味に主の前に出ることでしょう。でも主がやさしく迎えてくださることを確信しています。


2002年5月29日(水)コロサイの信徒への手紙3:12-14

花が美しく咲くためには、本来備わっている遺伝子ももちろん欠かせない条件ですが、土や水、光など、外側からの養分を得、その花に一番合っている気候や環境で育てられることが必要です。イエス様を信じて新しく生まれ変わったことによって、私たちの内側には12節に書かれているような、神様の素晴らしいご性質の種が与えられていますが、それらのものが十分に育ってイエス様の香りを放つようになるには、花と同じように、人間も常に必要な養分を受ける必要があります。しかし花と違う点は、その養分つまり聖霊は、自分自身が願い求めなければ与えられないことです。今日の聖書の箇所にあるような神様の素晴らしいご性質をもっと身に着けるために、ワーシップの中で、また日々神様と親しく交わる中で常に聖霊を求め、より主に近いものに変えられたいと思います。


2002年5月30日(木) コロサイの信徒への手紙3:15-17

 「キリストの平和が心を支配する」ことは、クリスチャン生活の重要なポイントになります。支配という言葉は、審判(英語ではreferee)という言葉に置き換えられます。私たちは何か決断をするときに、迷うことがありますが、心に平安があるかどうかが判断基準となるということです。いつも神さまに祈り、聞くということが第一であることは皆さんご存知だと思います。その時、直接神さまからの明確な答えが受け取れればいいですが、大抵の場合はそんなにはっきりと聞こえるわけではないのです。では、どのようにして、神さまの御心がわかるのか。それは心に平安があるかどうかです。神さまからのものであれば、心の奥に不思議な平安がやってきます。私は、クリスチャンになりたての頃は、この平安というのもあまりピンと来なくて、神さまから平安と確信をいただくまで祈り求め、待つということができず、勇み足をしてよく失敗したものです。でも、その失敗をとおして、平安のある時、ない時というのがだんだんわかるようになりました。ですから、失敗を恐れず、いつもイエス様からの平安をいただけるよう祈り求めましょう。


2002年5月31日(金)コロサイの信徒への手紙3:18-21、エフェソ5:21-33

 結婚して10年目になりますが、当初から今もずっと感じていることは、結婚したからといって自然にもしくは自動的に家族になれるわけではないということです。神様は特に夫婦を人間関係の基本的なユニットとして大切にしておられます。夫婦関係が健全であるための秘訣が聖書にも多く書かれています。私は妻として夫に従い、仕えなければなりません。学校などで男女平等や女性の自立を教えられてきたので、はじめはかなり抵抗がありました。けれど神様が夫と妻それぞれに教えられていることを守るとき、本当に家庭が機能し、成長をするのだとなんども経験してきました。家庭のリーダーとして家族を導くことは夫に与えられた役割で、必要な力もすべて与えられるのです。ですから、私はリーダーを信頼し、従います。夫は信頼されることにより、更に良いリーダーに成長することでしょう。神様を知らずにいる人は「機能していない家庭」を自覚しても解決の方法を知らず迷うばかりだと思います。神様を中心にした家族のすばらしさに少しでも気づいてもらえるように、10年目の結婚生活も聖書の教えに忠実でいたいと思います。


2002年6月1日(土) コロサイの信徒への手紙 3:22-25

今日の聖書箇所は私自身に与えられたものだと感謝しています。今職場で直面している私の問題があります。ある同僚に好意的になれず、その人に仕えられなかったり、また行動では仕えたとしても心がこもっていない、うわべだけのものになってしまうのです。職場にいるといつも慌しく、目の前にある多くのことを片付けるのに精一杯で自分の罪にさえ気づかなくなっていました。しかし主は私の内面を知っていて、適切な助けとアドバイスをくださいました。23節「何をするにも人に対してではなく、主に対してするように心からしなさい」主は私がこれ以上過ちを繰り返さないようにこの言葉を投げかけてくれました。主のその愛に報いるように御言葉を携えて職場に行きたいと思います