*2003年2月2日 シリーズ「ユアチャーチ・カヴェナント」(3)

わたしは教会の人々を愛し、教会の家族と時を過ごします


1)ミニチャーチのメンバーになることによって

ミニチャーチのモデルは初代(使徒言行録の時代)の教会の集まりです。(それは多くの人が集まる宮と少人数で集まる家々で行われました)私たちは愛し合う者として歩むことができる神様によってユアチャーチに招かれたのです。愛し合うということは、互いの必要を満たしあうということです。その人の必要とはあるときには「祈ること」「声をかけてあげること」あるときには「ただ黙って聞いてあげること」「慰めること」であるかもしれません。あるいは「ただ一緒にいてあげる」ことかもしれません。具体的に「何かを手伝ってあげること」のときもあります。愛するということを目に見える形で表すと、本当にさまざまな形をとりますが、どれにも共通することがひとつだけあるのです。それは「自己犠牲」です。自分の時間、自分のお金、自分の労力を差し出して、その代わりにその人の「悲しみ」や「寂しさ」「苦しみ」を一緒に持とうとすることです。イエス様の十字架によって示された「真の愛」には「自己犠牲」が必ず伴います。でもこの愛を表してゆくことは、ただ苦しい我慢なのでは決してありません。イエス様が従って行く私たちを喜んでくださるように、私たちには「求める者」ではなく「与える者」としての満足と喜びが満たされるのです。ミニチャーチはこの愛し合うことを学んだり、実践したりするのに最も相応しいところです。ミニチャーチを続けるには時間を捻出しなければならないでしょう。このことに困難を覚えている人が多いのだと思います。時間は在るものではなく創るものです。それもあなたのなすべき最初の「自己犠牲」かもしれません。

ミニチャーチは皆さんが考えているよりずっとコンパクト(時間)でシンプル(形)なものです。一例を挙げてみましょう

食べたり飲んだり(30分)この間にほとんどのメンバーがそろう 

数曲のワーシップがあってもよい(10分) なくてもよい

その週のメッセージについて「話し合いのヒント」を参考に生活に即した短い分かちあい(30分)

互いの為の祈り・自分が最も心に促されたことを祈る最後にリーダーが誰にも祈られない人のために祈る(10〜20分)

これで長くても90分です。短すぎると感じますか?このくらいのほうが来週が待ち遠しくなります



2)教会の活動に参加しクリスチャンの交わりを大切にすることによって

“ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励ましあおうではありませんか。” ヘブライ10:25

教会ではただ楽しむために集まることもあります。クリスチャンではない友達を誘うことも大切ですが、まずあなたがそこで教会の家族たちとの交わりを楽しんでください。そこで他のメンバー(特に自分のミニチャーチ以外の人々)と知り合い、同じ木の幹につながっている枝として愛し合うことが始まります。神様がユアチャーチをあなたがその枝として結び付けてくださった大きな木だとしたら、あなたはあなたのできることによってユアチャーチの働きに参加するのです。ユアチャーチのメンバーは船でたとえるならゲストではなくクルーなのです。教会にはいろいろな働きがあり、働き人が求められています。そして多くの働きはチームプレーを求められています。ユアチャーチには基本的な教理を学ぶ「ニューライフクラス」がありますが、それらは皆あなたがクリスチャンとして成長するための場であるとともに、いろいろな人と知り合う場でもあるのです。「ニューライフクラス」も「ワーシップリーディング」はじめは私が教えていましたもしていたことがあります。でも今それらの働きはみな、私が教えた人たちが引き継いで教えています。あなたにもいつか「ニューライフクラス」の先生になってもらいたいですね。子供の教会の先生の見習いも楽しいですよ、そしていつの間にか自分でもできる経験を身につけることができるのです。




3)人々がきよめられ、癒される時は神様にゆだねて、ありのままに受け入れることによって

”だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。” ローマ15:7

“あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。” ペトロT1:22

教会にはあなたとは異質なちょっと受け入れがたい人がやってくることがあります。このときに教会の真価が問われるのです。世代の違い、生活環境、育ってきた文化の違いは時として大きな壁となり、そこから誤解が生じ、相手を裁いてしまうことが教会でも起こります。日本では急激に高齢化が進み問題となっていますがキリスト教会では高齢化の問題はもっと深刻です。なぜならそれは次の世代への信仰継承の失敗を意味するからです。ハワイのホープチャペルを訪ねたときラルフ牧師はこう言いました「私たちの教会には老人はいません若者ばかりです」確かにホープチャペルは若い人も多いのですが髪の白い人たちも大勢出席していたので、どういうつもりだろうと思っていると、彼はこう付け加えたのです「私が言っているのは実際の年齢ではありません。心の年齢です。80歳であっても柔軟に10代のライフスタイルを認めて同じ枝仲間だと思える人は若者です。20歳でも自分のスタイル以外は認められないのは心が硬直した老人なのです」私たちが神様の恵みにより国際的な教会として国、肌の色、文化をこえて認め合い、愛し合うことができるのはすばらしいことだと思います。神様はまた体の癒しや心の癒しが必要な人、一人では支えきれない重荷を抱えている人を私たちにゆだねます。牧師としてはそのような人が何人も同時に教会に来られると、「あー大変だ、カウンセリングの時間の余裕なんてもうないよ」と思ってしまうのですが、神様がこの方たちを送ってくださるのは、ユアチャーチを信頼していてくださるのだなと思い直すのです。あなたはこのごろ少し心が老いていませんか?

メッセージのポイント

 多くの人が教会とは日曜日の礼拝に来る「場所」だと誤解しています。教会は建物や場所はもちろん礼拝や集会でさえもなく、イエスを主と信じ従う者の集まりです。そしてイエスを主と信じる者は、教会(信じるものの集まり)の一部であって、そこから離れて存在することはできないのです。ユアチャーチで日曜日の礼拝とともに大切にされている集まりは「ミニチャーチ」と呼ばれるスモールグループです。それが信じる者の集まり=教会の実体だからです。ここで私たちは互いに愛しあうこと、受け入れあうこと、赦しあうこと、慰めあうこと、助け合うことを学び実践します。そしてそこには主をまだ知らない人々がそれらのことを求めてやってくるのです。イエス様が私たちを例外なくありのままで受け入れてくださったように、私たちも人々をありのままで受け入れるよう神様から期待されています。神様はミニチャーチを通して私たちがそれを少しずつできるように導いてくださいます。

ヒント

1)なぜミニチャーチがそんなに大切だと牧師は強調するのでしょうか?

2)あなたにはよいミニチャーチがありますか?ないとしたらどうしたらよいでしょうか?