2003/10/5 メッセージ

人々を活かす良い言葉の使い手となる マタイ12:33-37

A.なぜ良い実を結ぶことができないのか?(33-34)

「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。蝮の子らよ、あなたたちは悪い人間であるのに、どうして良いことが言えようか。人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである。

1) あなた自身が変わらなければ、人生は変わらない

柿にはそのまま食べられる甘柿と恐ろしく渋い渋柿とがありますが、その外見は一般の人には見分けがつきません。今日のテキストは人の口から出る言葉を、植物の結ぶ実に喩えてその重要性を教えてくれています。

言葉というと普通、私たちは英語、日本語といった言語を思い浮かべますが、聖書のいう言葉とはただ言語だけではなく、態度や身振りなどあらゆる手段を用いて伝えたれるメッセージの全体のことです。あなたが伝えるメッセージを通して、人はあなたのメッセージの内容を受け取ったり、あなたをどのような人かを知ったりするのです。誰でも人によく思われたいと考えますが、外側だけを取り繕っても意味がありません。なぜならあなたの言葉には必ずあなた自身が反映されてしまうからです。

誰かの期待に応えたくて、本当の自分でない人を演じ続ければ疲れきってしまいます。

ある柿の木は渋い柿しか実らせません。ある柿の木はいつでも甘い柿を実らせるのです。人間も同じです。外見はあまり変わらなくても、まったく正反対の実を実らせます。また外見を変えても、本質は変わりません。


2) 私たちは自分を変えることができない (ローマ11:17-24)

しかし、ある枝が折り取られ、野生のオリーブであるあなたが、その代わりに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けるようになったからといって、折り取られた枝に対して誇ってはなりません。 誇ったところで、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。 すると、あなたは、「枝が折り取られたのは、わたしが接ぎ木されるためだった」と言うでしょう。 そのとおりです。ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。 神は、自然に生えた枝を容赦されなかったとすれば、恐らくあなたをも容赦されないでしょう。 だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。倒れた者たちに対しては厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう。 彼らも、不信仰にとどまらないならば、接ぎ木されるでしょう。神は、彼らを再び接ぎ木することがおできになるのです。 もしあなたが、もともと野生であるオリーブの木から切り取られ、元の性質に反して、栽培されているオリーブの木に接ぎ木されたとすれば、まして、元からこのオリーブの木に付いていた枝は、どれほどたやすく元の木に接ぎ木されることでしょう。ローマ11:17-24

それではどうしたら私たちは、傷つける言葉、怒らせる言葉、がっかりさせる言葉ではなく、癒す言葉、希望を生み出す言葉、慰めとなる言葉の使い手になることができるのでしょうか?それは言葉以上のことで、あなた自身が「癒す人、希望を与える人、慰めの人」になるということでもあるのです。言葉はあなたの人格の表れだからです。

どんな人でも傷つける人ではなく、癒す人になりたいと思うのではないでしょうか?本屋さんに行くと「性格を変える方法」「人生をばら色に変える」「否定的な言葉を肯定的な言葉に変える」といった自分を改造するための本がたくさんあるのです。中にはキリスト教的な装いを持ち聖書の言葉をたくさん使った「祝福を得るための祈り」のような本がキリスト教の出版社から出ていますが、聖書はこの人生の重要課題はそれらのハウトゥーを教える本の中には答えがないことを警告しています。

聖書の与える答えは一見絶望的で、しかし唯一の希望につながるものです。ヨハネによる福音書の3章に、ニコデモという人がイエス様のところにきて神の国に属するものとなるためにはどうしたらよいのかと?たずねたことが記されています。イエス様の答えは、「良い言葉を使いなさい」「罪を犯してはいけません」「聖書を読んで勉強しなさい」「週に二回は休肝日にしなさい」といったハウトゥー的な答えではなく「あなたは生まれ変わらなければ神の国に入ることはできません」というものでした。それは言い換えれば人間は自分で自分を根本的に変えることはできないということです。イエス様は続けて「水と聖霊によってそれが可能だ」とおっしゃいました。水はバプテスマ、霊は聖霊ですから、イエス様を信じて従う者を神様が作り変えられるのだということです。私たちは自分に期待するなら失望しますが、イエス様に期待するなら、人生は変わるのです。

B.心(倉)をどう清く保つか?(35,詩編119:9-16)

善い人は、良いものを入れた倉から良いものを取り出し、悪い人は、悪いものを入れた倉から悪いものを取り出してくる。

どのようにして、若者は/歩む道を清めるべきでしょうか。あなたの御言葉どおりに道を保つことです。 心を尽くしてわたしはあなたを尋ね求めます。あなたの戒めから/迷い出ることのないようにしてください。 わたしは仰せを心に納めています/あなたに対して過ちを犯すことのないように。 主よ、あなたをたたえます。あなたの掟を教えてください。 あなたの口から与えられた裁きを/わたしの唇がひとつひとつ物語りますように。 どのような財宝よりも/あなたの定めに従う道を喜びとしますように。 わたしはあなたの命令に心を砕き/あなたの道に目を注ぎます。 わたしはあなたの掟を楽しみとし/御言葉を決して忘れません。詩編119:9-16

1) よいものを蓄える

さてあなたがイエス様に従って歩んでいるなら、あなたは日々様々な恵みが与えられています。鶏を飼っていれば、あなたが頼まなくても毎朝卵をプレゼントしてもらえるようにです。しかし与えられている恵みにあなたが気付いて集めなければあなたの手には入りません。恵みを自覚して喜び感謝することにより、神様の恵みは、あなたの言葉を豊かにする原料として心の倉に収まります。


2) 品質を管理する

恵みを感謝して心に満たすだけで安心してはいけません。昔から倉庫や図書館では猫を飼う習慣があったということを聞きました。製品や、本をねずみにかじられないためです。TVで働く猫として紹介されていました。アイオワの図書館では今でもデューイという猫が働いているそうです。ちなみにラストネームはリードモアブックスというそうですが、あなたの心の倉庫もよくメンテナンスして過度の湿気や乾燥、害虫やねずみから、守らなければなりません。この秋は日本では苦労して育て収穫した米や作物が倉庫からごっそり盗まれる事件が多発しています。サタンは、あなたの利己心や欲を利用して常にあなたの心からよいものを盗み出すか、腐らせてしまおうとしています。私たちは心の中に猫を飼うことはできません。

私たちができることはWFSPという管理法です。つまり礼拝、フェローシップ、聖書を読むこと、いのりを生活のプライオリティーの一番上におくということです。



3) 出荷する

心の倉庫から私たちはよいものをこの世界に出荷します。それこそ神様が私たちクリスチャンをこの世に置かれた理由です。言葉や行動として人に伝わります。

今日は特に言葉について話を進めていますが、何度も繰り返すように言葉はあなたの人格全体を現すものですから、当然、言葉以外の行動についても、自分では変えられないこと、心に蓄えたものを反映して現れること、WFSPによる品質管理が必要なこと、そして出荷しなければ意味がないという点において同じことが言えるのです。



C.言葉をどう用いるか?(36-37)

言っておくが、人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる。」


1) 言葉に力があることを知る

良い言葉であれ、悪い言葉であれ言葉のエネルギーは皆さんが想像している以上に大きいものです。心無い言葉が人を死に追いやることもあれば反対に、生きる望みを失った人にもう一度やり直す力を与えるのも言葉なのです。私たちの心は完全ではありません。心の赴くままに口から言葉を出していたら、たくさんの人を傷つけたり、怒らせてしまったりもするでしょう。一度口に出してしまった言葉は元に戻すことはできません。そこで大切なのは、感情の導くままではなく聖霊に導かれて話すということです。難しそうですね。簡単にできるようにはならないことです。でも神様は時間をかけてできるようにして下さいます。そのために私たちが心がけられることをいくつかお話して教のメッセージを閉じたいと思います。


2)「イエス様ならここで何と言うだろう」(コロサイ3:16-17,4:6,エフェソ4:29)

つい余計なことをいって失敗してしまいがちな人は、その言葉を出してしまう前にWWJS?と自分に問うて見ることです。またこの言葉の後ろに「主イエス様の名によって」とつけてイエス様に恥をかかさないか?と問うのです。

キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。 そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。(コロサイ3:16-17)


実は良い言葉の中には、叱る言葉も含まれています。あるときには子供に対して、部下に対して厳しい言葉、叱責の言葉も必要です。叱るというのは怒って感情をぶつけることではありません。このことを混同して子供を自分の感情のはけ口にしてしまう人、逆に叱るべき時に何もしない人もいます正しく叱ってもらえない子は不幸です。
「あなたがその人に言葉を語る核心の理由はその人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つためである」 ということを思いながら言葉を口にしましょう

いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。(コロサイ4:6)

悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。(エフェソ4:29)

メッセージのポイント

言葉はただ単にコミュニケーションの手段ではなく、人の人生を変えることのできる大きな力です。神の言葉があなたの人生を変えたように、神様がその似姿として造られた人の言葉も大きな力を持っています。しかし一方でサタンも言葉を用いて人に大きな影響を与えるのです。サタンの影響の下、人を傷つけ、力を失わせ、絶望に導く偽りの言葉が氾濫するこの世界の中で、神様の言葉によって変えられたあなたの言葉が人々を癒し、力を与え、希望に導くのです。この素晴らしい働きを担いたいなら、神様の言葉で心(倉)を満たし続けることが大切です。

話し合いのヒント

1) 誰かの言葉によって励まされたことについてシェアしてください

2) どうしたら人の人生にプラスに働く良い言葉の使い手になれるでしょうか?