2003/10/26 メッセージノート(マタイ12:46ー50)

All you need is God's Love

神様の愛こそがすべて

イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。 しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」 そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」

A.神様の子供であることの大切さ

1)肉親を大切にすることと矛盾はない

人の一面だけを見るなら、その人の本質を見誤ることがあります。イエス様の教えにも同じことが言えます。ある部分だけを抜き出して読むなら、イエス様を誤解してしまいます。彼は、肉親をないがしろにして教会のメンバーを大切にしなさいと言っているのではないことは聖書全体から考えるなら明らかです。たとえばモーセの十戒には、人間にとってもっとも大切な教えとして、あなたの父母を敬いなさいとあります。肉親が大切なことは誰にとっても当然です。ところが、神様と私たちとの関係の大切さは多くの場合、正しく知られてはいません。イエス様は「大切な肉親」という普遍的な価値観を用いて、神様を愛するということを教えて下さっています。


2)共に御心を行なう人々


ここでイエス様が、兄弟・姉妹・母とは、「私を主と信じる人」でも、「私に従う人」でもなく「わたしの天の父の御心を行う人です」とおっしゃったことに注目しましょう。肉親とは何によって結び合わされている関係なのでしょうか?多くの人は血のつながりということを最初に思い浮かべることでしょう。でももっと深い絆は「わたしの天の父の御心を行う」ということだとイエス様はおっしゃいます。家族であっても血のつながりがあるということで安心しているなら、何かのきっかけで関係が悪くなってしまうということもよくあることです。家族とはその主である神様に仕えてゆくことで一致している人々の集まりだと、イエス様はおっしゃるのです。そうすると家庭は小さな教会・教会は大きな家族とも言えるでしょう。皆さんの中には家族で自分だけがクリスチャンという人もいるでしょう。私も結婚するまでそうでした。あなたの小さな教会にはあなたしかクリスチャンはいないかもしれませんが、それでいいのです。そこで表されるあなたの愛の言葉と行動が毎日少しずつ伝わっているのですから。神様の御心とは「互いに愛し合いなさい」ということです。それを行う人ということは、愛が行動となって人々に働きかける人ということになります。


B.愛国心についての誤解

1)愛は盲目ではいけない

夫婦が、兄弟姉妹が、親子が互いに愛し合うなら、その家庭に神様の愛が現されることになります。そして愛は肉親を超えてあなたの周りに、この国に、そして世界に広がっていきます。神様を愛する心、自分や家族を大切にする心、国を愛する心、世界を愛する心、それは別の種類のものではありません。同じ愛の心です。夫婦から国家、世界全体まで、あらゆる人間の関係の健全さの鍵は愛です。しかし多くの人々が愛を誤解しています。愛という言葉を好んで使いますが、本当に愛してはいないのです。また、「愛し合う」と思っていながら実は「甘え合う」関係でしかないことが多いのです。この「甘え合う」関係は簡単に「憎み合う」関係に変化して私たちに多くの不孝をもたらします。これが世界規模で起こるのが戦争です。

この国は私が生まれる10年前まで戦争をしていました。国を愛することは他国とそこに住む人々を「憎む」ことと教えられました。また、天皇は神であって礼拝の対象であり、国民は毎朝皇居の方向に向かって礼拝することを強制されました。誰であれこの国の体制を批判する者は「愛国心のない非国民」という烙印を押されたのです。英語は敵の国の言葉だから使ってはいけない、西洋の音楽も聴いてはいけない。こうして愛国心という名の下に怒りと憎しみと恐れを人々の心に植えつけ、原子爆弾の投下という痛ましい代価を払うまで、この国の暴走を止めることは誰にもできなかったのです。アメリカでは、今回のイラク侵攻に反対したフランスへの憎しみでフレンチトーストがフリーダムトーストに呼びかえられ、フランス産のワインのビンが割られました。さすがに自由の女神を撤去しようということにはなりませんでしたが。どこの国でも、地上の国々の為政者は盛んに「愛国心」を強調します。多くの場合彼らの言う「愛国心」とは自分たちのやり方に疑いを持たずに盲目的に従いなさいということなのです。

しかし恋は盲目であっても愛は盲目ではいけません。子供を愛するということが、彼らの思い通りにさせることではなく、正しく導く、時には諌め、叱らなければならないように、クリスチャンにとって国を愛するということは、その国が神の意思にかなって歩んでいるかどうかを見極め、必要なら方向を修正するために行動するということなのです。もちろんその行動はガンジーやキング牧師が信じ実践したように非暴力的なものでなければならないのはいうまでもありません。


2)まず神の国を愛そう

私たちに必要なことは、本当の愛を知りその愛で愛しあうことです。そして本当の愛とは、初めて本当の愛で私たちを愛してくれた神様に従うことから始まるのです。ですから神様と神の国を愛さない人は地上の人々と国を本当の意味で愛することはできません。

肉親だから愛する、同じ国民だから愛する、私に利益をもたらすから愛する、そのような愛は条件付の愛、他への憎しみを伴う愛、実は愛と呼ぶ価値のないものです。神様が下さる愛は広くて大きくてすべてを包み込む愛です。この島国の安定や発達を願う愛は、それが神様から来た本当の愛であるなら、私たちの国を軍事的に脅かす国で飢えに苦しむ孤児たちをも思いやるものであるはずです。

国は自国の利益のために戦いを挑み、人々は自分の欲望のために肉親でさえ傷つける。私たちはこんな世界の混乱を見て絶望し、ため息をつきます。でも私たちには見上げ続けることができる方とその国があるのです。イエス様はおっしゃいました「神の国と神の義とをまず第一に求めなさい。そうすればすべて必要なものは添えて与えられる」私たちはこの希望を伝えるために日々生かされているのです。


メッセージのポイント

夫婦から国家、世界全体まで、あらゆる人間の関係の健全さの鍵は愛です。しかし多くの人々が愛を誤解しています。愛という言葉を好んで使いますが、本当に愛してはいないのです。また、「愛し合う」と思っていながら実は「甘え合う」関係でしかないことが多いのです。この「甘え合う」関係は簡単に「憎み合う」関係に変化して私たちに多くの不孝をもたらします。私たちに必要なことは、本当の愛を知りその愛で愛しあうことです。そして本当の愛とは、初めて本当の愛で私たちを愛してくれた神様に従うことから始まるのです



話合いのためのヒント

1)イエス様はどんな人が「わたしの兄弟、姉妹、また母である。」といわれましたか?

2)愛しあうということが人々のあいだではどのように誤解されていますか?