2004/8/15 メッセージ 

神様に返し忘れているものはありませんか? Mat. 22:15-22

それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。 そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。 ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」 イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。 税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。 彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」 彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。

A) なんとしてもイエス様を陥れたい人々

1)税金の問題は信仰の問題だった

今の私たちにとっては、税金を納めることと自分の信仰とは別の次元のことなので、何故この質問がイエス様を捕らえる口実になるのかわかりにくいかもしれません。当時のユダヤ人は自分たちが「神様に選ばれた民」だということをいつも強く意識していました。このことは良く現れる場合と悪く現れる場合と両面があったのです。周りの民族が神様を恐れず自分の欲望に従って罪深い行いをしている時にも、その罪に染まらず正しく歩めたのは、この意識があったからです。しかしそれが他の民族を「異邦人」と呼び、見下す傲慢として現れる場合も多かったのです。ローマ帝国の力が大きく、ユダヤもその支配下に置かれていたことは、宗教指導者にとっては耐えがたい屈辱だったのです。ファリサイ派の基本的主張は、「ローマに対する納税は神様に対する裏切りだ」というものであり、ローマとユダヤの二重の納税に苦しむ民衆はその考えを支持していました。しかし一方で圧倒的な支配力の下で服従せざるを得ない現実もあったのです。ヘロデ派は当時のユダヤの王、ヘロデの立場に立つものでローマの力を借りて一定の地位を維持しようとする「現実肯定派」ですから立場としてはファリサイ派と対立している人々でした。

 イエス様は口先だけで神様を敬っているようなファリサイ派の偽善を主に非難していましたが、神様の律法を、ローマの力を背景に、自分たちの都合で軽視するヘロデ派も「神様を本当に敬う心からは遠く離れた、人々を正しく導くことの出来ないものであることには変わりはない」とみておられました。

 イエス様の登場は、どんなにひどい状況でも人は正しく歩むことができる。そうすれば今まで得ることの出来なかった平安を得ることができる道を人々に開きました。民衆はイエス様の教えに従うことを喜びましたが、ファリサイ派やヘロデ派にとっては自分たちの立場を危なくする共通の敵に見えたのです。

2)どう答えても不利になる質問

そこでまず共通の敵であるイエス様を倒すために、対立する二つのグループは手を組みました。彼らの質問はとても巧妙なものでした。「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」 イエス様が適っていると答えれば、皇帝への納税が律法に適わないと考えている民衆の支持を失うことになります。もしローマへの税金は納めるべきではないと答えれば、ローマ皇帝への反逆罪でヘロデ派に拘束されることになってしまいます。


B) イエス様の回答

それに対するイエス様の答えは、彼らの考えを見透かして罠にはまらないだけではなく、同時に彼らの誤りを明らかにして、何も言えなくなってしまうような驚くべきものでした。

日本の小泉首相は聖書のイエス様の言葉を学んだほうがいいですね。イラクに自衛隊を派遣するかどうかで彼はイエス様に比べればかなりレベルの低い話ですが、イエス様にちょっと似た立場に立たされました。アメリカとの同盟を重視する勢力からは、十分な兵力を送り出せと迫られ、現行憲法を尊重する立場の勢力からは派遣するなと言われましたが、アメリカからの信頼も失いたくないし、かといって今の憲法を軽視すれば国民の人気を失い選挙で不利になってしまいます。彼はイエス様のように神様の知恵に頼ることを知らない方なので、その場しのぎの詭弁で、中途半端な装備と規模の派遣を行いましたが、現地でも評判はよくありません。幸いなのは送られた方たちが今まで何とか無事にいられることぐらいです。

イエス様はその教えの内容が素晴らしいだけでなく、プレゼンテーションの仕方もプロフェッショナルです。ヴィデオプロジェクターどころか電気もない時代なのに、いつの間にか会話の中に相手を巻き込み、視覚効果も的確に用いられます。税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。 彼らは、「皇帝のものです」と言った。先ほどは小泉さんが不勉強だといいましたが、この点では私たち牧師も不勉強だと反省しなければなりません。ゴスペルという最も素晴らしい内容を伝えているのに、人々を退屈させたり、眠たくさせるのは問題ですね。

1) 皇帝のものは皇帝に(義務としての税金)

皆さんは信じられないかもしれませんが、わたしはメッセージした後ひどく気分が落ち込むことがたまにあります。素晴らしいテキストが与えられていたのにそれを十分に伝えることが出来なくて、むしろイエス様の言葉を複雑に解説した割には、ひどく浅くて、力のないものにしてしまったのではないかと思えるときです。イエス様の答えはすごいとしか言いようがありません。すごくシンプルで、すごく深くて、すごく説得力があります。

すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」 彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。

社会全体の利益のために納税は欠かせないものです。その国を治めているものがユダヤ人であれ異邦人であれ、納税することは神様を悲しませることにはならない、このことを通して人を罪人と裁くことは間違っているとイエス様は言われます。イエス様は「皇帝のものは皇帝に」ということでファリサイ派の間違いを明らかにしたのです。

2) 神様のものは神様に(感謝としてのささげもの)

そして後半の「神のものは神に」はファリサイ派もヘロデ派も正しく教えてはいないと、彼らの間違いを正すものです。実は、ユダヤ人であれ異邦人であれ、どのような階層の者であれ、またいつの時代に生きるものであれ大多数の人間がおろそかにしていることなのです。私たちも例外ではありません。あなたは、神様のものを自分で持ったままで返すのを忘れてはいませんか?

クリスチャンでない方の中には「別に私は神様に借りはない」と思っている人もいるかもしれません。クリスチャンの中には「借りはあったけれど、もう全部返して今は何も返すべきものはない」と考えている人がいるのではないでしょうか?

あなたにも神様にお返ししなければならないものがあります。

私たちは誰もが例外なく、日々の神様の恵みによって生かされています。この事実に気付くならその感謝の気持ちをあらわそうとはしないでしょうか?その神様が私の仕事を手伝って欲しいと願われるなら、手を貸したいとは思わないでしょうか?それが神様にお返しするということです。話題が税金なので、献金について話しているように聞こえるかもしれませんが、そんなに狭い話ではないのです。一番おろそかにしてはならないこと、それは礼拝をささげることです。またキリストの教会の働きのために献金だけではなく、時間や労力を、また知恵を喜んでささげることなどいろいろな方法で神様に感謝をあらわすことが出来ます。献金を「感謝のささげもの」と言ったりしますが、これは神様に返すべきものが、強制的な義務としての税金のようなものではなく、またそこから何か見返りを期待する手付金でも、サークルの会費でもないことを良く表しています。

ところで神様は今この世界でどんな仕事をなさっていると思いますか?それは一言で言うなら悪に対する戦いです。それは人々を罪の支配から解放する戦いとして世界中で展開されています。あるところでは飢え渇き、病、貧困に対する戦いであり、あるところでは孤独や不安や恐れから人々を解放する戦いです。イラクに行かなくても、アフリカでなくても今あなたのすぐ近くに、神様の助けを必要としている人が必ずいるはずです。あなたが忠実に礼拝する者であるなら、あなたは神様の尊い手となって人々を解放することができるのです

メッセージのポイント

この社会の中でクリスチャンとして生きることは、神様に従うことを第一にしながらも市民としての責任を果たすことです。教会は世の中に背を向けた、閉じられたサークルではありません。私たちはこの社会に神の国とその義を実現してゆくためにここに置かれているのです。納税は市民の義務ですが、それが適切に用いられるように求める責任もあります。私たちにとって、「神様のものは神様に」とは感謝のささげものです。それは単に献金の事だけをさしているわけではありません私たちは礼拝をささげ、神様の働きのために時間や労力、知恵をささげます。

話し合いのヒント

1) なぜローマに払う税金がそれほど大きな問題だったのでしょうか?

2) 私たちは教会献金をどう考えたらよいのでしょうか?