2004/11/14 メッセージノート

福音=私たちは何を人々に伝えるのか? 

ローマの信徒への手紙1:2−6節

先週、「私達は神様のメッセンジャーとしてこの世界に遣わされている者」だとお話しました。今朝は、私達が何をどのような目的で伝えるのかについて考えてゆきましょう。皆さんは小さな子供の頃、初めてお使いに行ったときのことを覚えていますか?ちゃんと頼まれたことが出来ましたか? 私は生まれた家で小学生まで暮らしていましたが、祖父の家が50メートルほど離れた所にありました。三歳くらいのときだったでしょうか、わたしの「初めてのお使い」は足りない夕食の食材を借りに行くことでした。忘れてしまいましたが、何か二つか三つのもので、母親はメモを書こうかといったのですが、「三つくらい覚えていられるよ」といって祖父の家に行ったのです。祖父の家にはロンという犬がいて、私が行くといつもうれしそうにしてくれるので、3分くらい犬と遊んでしまったのです。もうお分かりですね。私はこの時点で、何を借りてくるか、という記憶を完全に失っていたわけです。三才にして自分はダメな人間だという、情けない気持ちで家に戻り、もちろん母には叱られました。クリスチャンになるということは、神様のお使いでこの世界に来ているということです。皆さんはバプテスマを受けたとき感動して、「私を救ったこの良い知らせを皆にも伝えよう、それが私に課せられた使命だ」と思わなかったでしょうか?しかし、いつの間にか、楽しいこと、忙しいこと、苦しいこと、悲しいことによって、忘れてしまっていることがあるのです。でもそれでは、やがてこの世の歩みが終わるとき「お使いを忘れてしまった子供のように」なさけない気持ちで天国に帰らなくてはなりません。ですから今朝は、神様に頼まれた「お使い」を良く理解して、忘れないようにしたいと思います。

それではまず全体を読んでみましょう。

この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、(2) 御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、(3) 聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。(4) わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。(5) この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。(6)

A. 聖書の約束

2節の「この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、」とは、私たちが伝えようとしている良い知らせは、誰かが考えたちょっとした思い付きのようなものではなく、この世界を造られた神様の計画の中に含まれている確かなものだということを意味しています。ここでは預言者といっても特定の誰かを指しているのでなく、旧約聖書の預言全体がイエスキリストの十字架と復活によって完成したという事なのです。旧約聖書はイエス様のことが直接かかれていないし、あまりなじみのないイスラエル民族の歴史や細かい律法規定が記されているので、敬遠しがちです。イエス様は神が与えた律法の本質を曲げて、神様の愛に生きることの出来ない者たちを「律法主義者」と呼んで非難されましたが、律法自体を攻撃されたのではありません。イエス様は「私は律法を棄てるために来たのではなく、完成されるために来たのだとおっしゃいました。(マタイ5:17)ですからユダヤ人でなくても、旧約聖書に親しむことは大切です。そうしなければイエス様が何を完成しようとしたのか正しく理解することができないからです。皆さん、イエス様が律法の核心がどこにあると言われたかおぼえていますか?マタイによる福音書の22章に書かれていました。「神を愛すること、隣人を自分自身と同じように愛すること」(申命記6:5、レビ記19:18)ですね。これをもっと具体的に言い現わしたのが「十戒」(出エジプト20章)であり。もっとシンプルに言うなら「愛する」ということです。旧約聖書の民は神様の期待に応えることはできませんでした。彼らだけではなく実は私たちは誰一人として、自分自身では本当に愛することはできません。夫婦でも親子でも、神様の愛にたよらなければ愛することは難しいのです。イエス様は私たちの内に、私たちの間にこの愛を完成するために来て下さったのです。(ヨハネ3:16)

B. 御子に関する

御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、(3)聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。(4)

福音の中心はイエスキリストです。もう知っている方も多いと思いますが、イエスがファーストネーム、キリストがファミリーネームではなく、「救い主」イエスという意味です。イエスと言うのは、へブル語のヨシュアのギリシャ語読みで当時では普通の名前でした。もうすぐクリスマスですが、マタイの福音書の最初にはダビデからイエス様にいたる系図が記されています。それは救い主がダビデの家系から生れるという預言(たとえばイザヤ11章)が成就した事を示しています。しかし神様の計画はそれ以上のものだったのです。イエス様は母マリアの胎に聖霊によって宿ったのですから、ダビデからの系図に連なる父ヨセフには実際には連なってはいないのです。イザヤは7:14でメシアが普通の人ではなく神によって超自然的に生まれること、そしてその人はインマニュエル(神がともにおられる)と呼ばれることを預言しました。この神様でありながら1人の人となり、旧約聖書の時代からの私たちに対するまだ出来ていない宿題だった「神さまを愛する者、互いに愛し合う者になる」ということを完成するためにイエス様が来られたということを、すべての人に告げ知らせるのが私たち教会の働きなのです。


C.福音を伝える目的=人々と神様との関係修復

わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。(5-6)

ここで、なぜ私たちの人生で一番重要な働きが「福音を伝える」ことにあるのかが明らかにされています。それはすべての人にとって、壊れてしまった神さまとの関係を立て直すこと以外に正しく生きることのできる道がないからです。人との関係を立て直す方法はないからです。私たちの周りには、このシンプルな法則を知らずに、苦しみ悲しみ悩んでいる人が大勢います。私たちもかつては同じように知りませんでした。しかし、誰かがあなたに、イエス様を主と信じ従って行くことがどんなに素晴らしいことかを教えてくれたのではありませんか?今度はあなたが誰かに伝える番です。でもそれは、あなたがその人に何を言うかだけでは決して伝わりません、何をすることによって伝わるのです。「神さまがあなたを愛していますよ」と言うだけではなく、あなたがその人を愛することによって、あなたを通して神様の愛がその人に伝わるのです。ですから福音を伝えるということは、あなたが神さまからその人への愛の通り道になるということなのです。

メッセージのポイント

福音とは、イエスキリストについてのよい知らせです。それは人間にとって最も重要な喜ばしい知らせです。しかし、どんなに良いニューズでも聞いて信じなければ、その人にとって良いニューズとはなりません。もしあなたがこのニューズを聞いたことがなかったなら、確信が持てていないなら、このあなたの生涯で最も重要な知らせを良く検討して、信じて受け取ってください。あなたが既にこの知らせを信じているなら、愛の言葉と行いを通して、あなたの周りの人々にこのニューズを知らせましょう

話し合いのために

1) 福音って何?と聞かれたらあなたはどう答えますか?

2) 福音を伝えていますか?どのように?なんのために?