2004/12/5 メッセージノート クリスマスメッセージ(1)

「ありえない」と言うのをやめよう ルカによる福音書1:26-38

アドベントキャンドルが二つ灯っています。今日はアドベントの二回目の日曜日です。先週、いつの時代でも、どんな境遇の人でも、みんな心の底で「救い主」を待ち望んでいるとお話しました。ところが実際に神様のほうからの呼びかけがあると人は引いてしまいます。それは何か自分にとんでもないことが起こるのではないか、人生が一変してしまうのではないかという本能的な恐れです。そうです、主との出会いは、実際、人の心に大きな革命を起こします。価値観が変わり、今まで執着していたものが無価値に思えたり、反対にどうでもいいと思っていたことが、とても大切になったりするのです。

マリアは人類で最もショッキングな主との出会いを経験した人です。自分が神の霊によって身ごもり救い主の母となるという。それで彼女は「そんなことありえなーい」と天使に反論しましたが、彼女は思い返してその事実を受け入れることが出来ました。今朝はこの2000年前の出来事を通して、目の前に現れてくる様々な出来事を、どうしっかりと受け止め、判断し、神様の期待に応えて歩んでゆく方法を考えてみましょう。

A. 神様の計画に対する人の反応

1)戸惑い(26-29)

 はじめに26-29節を読みます。

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。(26-29)

誰でも突然、理由を聞かされる前から、おめでとうございます、と言われれば当惑してしまいます。「あなたは恵まれた方で、神様が一緒にいてくださる。」 辛い状態に置かれている人に「神様はあなたを愛しています、神様がいるから大丈夫」といいたくなることがありますが、私達は天使ではないので、これを唐突にやると、「キャンペーンやってまーす。どうぞくじを引いてください。あ、一等当選だ、おめでとうございます。それでは別の所で賞品を差し上げます。」といってお年寄りを騙して高額商品を買わせる商売か、怪しい宗教かと思われて友達を失うことになるかもしれませんから気をつけなくてはなりません。

 私たちの身の上にも、突然と思われることが起こります。最初はその理由も良く分からないことが多いのです。そして私たちも考え込んでしまいます。 

2)恐れ(30-33)

やがて起こっていることが少しずつ見えてくるのですが、それが私たちの理解を超えた、自分ではどうすることも出来ない問題の場合、私達の心は「恐れ」に支配されます。マリアの恐れに対して天使は答えます。30-33節です。

すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」(30-33)

こんなことを聞かされて、恐れることはないといわれてもそれは無理です、あまりにも常識を超えた恵み。神様の力が、自分の身を通して働く、といわれても、自分の弱さ、罪深さなどを思えばとても神様の働きを担えるとは思えません。マリアにとっては、まだ正式な結婚はしていないけれど、将来を約束しあったフィアンセがいるのに、どうしてヨセフではなく聖霊によって身ごもらなければならないのか?他の人が知ればそれは大きなスキャンダルになってしまいます。ヨセフはそのことをどう思うだろうか?ということも心配です。


3)反発(34,35)

マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。(34,35)

ありえないと思うことが起こる、なんで神様はよりによって私の上にこのことを起こされるのか?先日ユアチャーチでライヴをしてくれた岩渕まことさんは、神様を信じて6年目にお嬢さんを病気で亡くす経験をなさいました。子を持つ親にとっては想像もしたくないことですが「神様なんで?」と言う叫びが彼の心にあったと思います。身を襲う不幸で信仰を失う人は少なくありません。けれど岩渕さんは、彼女は一足先に天国に行った。再会できることを楽しみに、またその時に、「君が天国に行った後も、同じように神様に仕えて、歩いてきたよ」 と彼女に胸を張って話せるように、信仰を棄てず、人生を棄てず、歌で神様を伝える働きをしています。

 マリアも岩渕さんも、押しつぶされそうな恐れや絶望に負けてしまうことなく、神様の働きを担ってゆきます。その力は、神様への信頼から来るのです。そして神様は聖書を通して御自身がどれほど信頼に値するか、イエス様や天使の言葉を通して私たちに呼びかけて下さるのです。マリアに語られた天使の呼びかけが、今も変わらず私たちの心に響いているので私たちは、あらゆる状況にあっても神様の民らしく歩むことが出来ます。さあ次の四つの言葉はあなたの心に響いていますか?


B. 奇跡をもたらす神様からの呼びかけ

1)アヴェ・マリア(おめでとう)(28)

ここで「おめでとう」と訳されている言葉は、もともとのギリシャ語では「喜びなさい」と言う動詞の命令形です。当時は普通のこんにちは・さようなら両方に使う挨拶の言葉としてもともとの意味である「喜びなさい」とは意識されずに使われていたようです。この言葉がラテン語ではAveとなり、この一節はマリアという固有名詞を足した上でいろいろな作曲家によってメロディーをつけられたアヴェ・マリアになったわけです。これだけではただの薀蓄に過ぎませんが、このギリシャ語の「こんにちは」の元の意味が「喜びなさい」というのは興味深いことです。ハバクク書(3:17-18)には

いちじくの木に花は咲かず/ぶどうの枝は実をつけず/オリーブは収穫の期待を裏切り/田畑は食物を生ぜず/羊はおりから断たれ/牛舎には牛がいなくなる。 しかし、わたしは主によって喜び/わが救いの神のゆえに踊る。

と記されています。またペトロはその第一の手紙(4:12-13)で

愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。

と、困難な状況にある人々を励ましています。このように私たちに与えられている喜びは、どんな苦しみや、悲しみの中にあっても消えないものです。


2)主がともにおられる(26-29)

私たちがどんな状況の中でも喜んでいられる根拠は、主がともにおられるということです。何にも負けることのない方が私たちの味方でいてくださるのです。マタイ(1:20-23)は、天使が婚約者のヨセフにも語りかけていることを紹介しています。

このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

マリアはイエス様が生まれる前に「主がともにおられる」と語りかけられましたが、私たちはイエス様を知っています。 主がともにおられることをマリアよりももっと実感していていいはずではないでしょうか?

3)恐れることはない(30-33)

様々な恐れが、心をなえさせ、行動を誤らせ、失敗をもたらしてしまいます。恐れはまた反対に、人を暴力的にすることもあります。でもあなたには神様がついておられます。恐れることは本当にないのです。私たちの主は、十字架により罪を赦し、三日目に死に打ち勝ちよみがえられた方です。この方とともにいる限り、恐れは無用なものです


4)神にできないことは何もない(36-38)

あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。 神にできないことは何一つない。」 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。(36-38)

私たちの上に起ってくる事はみな神様の計画の内にある事です。ですから本当はどんな事が起きても、あわてたり恐れたりする必要はありません。それがとても信じられないような奇蹟であっても神様には出来ない事は何一つないのです。あなたを愛する神様のコントロールの下にあるのです。出来ない、ありえない、信じられないというのではなく、私の神様にできないことは何もないと信じ、むしろ「わたしは主の僕です。お言葉どおり、この身に成りますように。」といって起こってくることに向かってゆきましょう。


メッセージのポイント

私たちの上に起ってくる事はみな神様の計画の内にある事です。ですから本当はどんな事が起きても、あわてたり恐れたりする必要はありません。それがとても信じられないような奇蹟であっても神様には出来ない事は何一つないのです。神様がイエスというー人の人としてこの世界に来て下さったことは、信じ難いという点でも、信じた者の人生を大きく変えるという点でも奇蹟中の奇蹟です。この奇蹟を聞いたあなたに神様はこの反応を期待しておられます。「わたしは主の僕です。お言葉どおり、この身に成りますように。」

話し合いのためのヒント

1)神様の計画を無視して、後から後悔したことはありませんか?

2)あなたの身に起った最大の奇蹟は何ですか?