2005/1/30 メッセージノート

あなたに委ねられている大切な届け物

ローマの信徒への手紙3:1-8

A. 神様の意志を伝えてきたのは誰か?

では、ユダヤ人の優れた点は何か。割礼の利益は何か。 それはあらゆる面からいろいろ指摘できます。まず、彼らは神の言葉をゆだねられたのです。 それはいったいどういうことか。彼らの中に不誠実な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでもいうのですか。 決してそうではない。人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。「あなたは、言葉を述べるとき、正しいとされ、裁きを受けるとき、勝利を得られる」と書いてあるとおりです。(1-4)


1) ユダヤ教に感謝しよう

パウロはここまで当時のユダヤの人々の問題点を鋭く指摘してきましたが、それでも神様が彼らを特別に与えられた役割の意義を大切に考えているようです。その中でも最も重要なことは「神の言葉」が彼らに委ねられ、彼らによって伝えてきたということです。彼らは代々にわたって神の言葉を次の世代に伝えてきてくれました。私たちの聖書は、そのページ数だけで言うなら、その2/3はユダヤ教によって編纂され保持されてきたのです。そのことは彼らが、イエス様を主と受け入れられなかったことで、無視してよい貢献ではありません。

パウロがここで言っているように、ユダヤ教の指導者は神様にも人々にも不誠実で、イエス様が現れても、イエス様を救い主として認められず、悔い改めに至りませんでした。しかしそのことは、彼らに委ねられた神様のメッセージが不完全だった、神様ご自身が不誠実である、ということにはなりません。 むしろ、神様の計画は測り知れないほどに深く、将来の救いの計画の中にユダヤの民も含まれているのです (11章) 。4節で引用されているのは詩編51:4です。(パウロは70人訳と呼ばれるギリシャ語訳から引用しているので、元のヘブル語から訳している私たちの聖書とは表現が異なっています。)運び手の欠陥は、荷物の価値を減じてしまうものではありません。旧約聖書の民の「神様の言葉」に対する熱心は、方向がずれてしまったにしても、私たちが見習うべきところです。


2) カトリック教会に、伝統的プロテスタント諸教会に感謝しよう

今から500年ほど前に私たちの教会もその一つである「プロテスタント」と呼ばれる教会がカトリック教会から離れる形で始まりました。プロテスタント教会の中には、カトリックでは天国にいけないとか、異端と呼ぶ人までいますが、それは間違いです。誤解しないで下さい。プロテスタント教会の中心的な教え(父、子イエス、聖霊の三位一体の神様・イエス様の十字架による救い・復活・イエス様が再び来られ世を裁くこと)はカトリック教会から受けついだものです。カトリック教会もまた、時に福音の真理から教会の伝統にフォーカスがずれて、プロテスタント教会の始まる原因ともなりました。けれども彼らの「神様の言葉に対する熱心」が、今私たちが整理された形で理解できる教理を形作ったのです。ユアチャーチはプロテスタント教会の中でも最も新しい教会のひとつです。500年の歴史の中でまだ10年しかたっていないのですから。そしてユアチャーチはそれ以前のプロテスタント教会のあり方を反省して、今までの教会がしていたことをやめたり、していなかったことを始めたりしています。ユアチャーチは確かに新しいワイン(新しい世代の人たち)に相応しい新しい皮袋(古い慣習にとらわれない)教会であろうとしています。でもそれは以前の教会のあり方を全否定しているわけではありません。「神様の言葉に対する熱心」が今私たちのそばにいる人々に正しく伝わるために、(私たちにとって)変えたほうか良いことを変えただけです。人間のすることは個人でも集団でもパターン化・硬直化してしまいます。それは新しく見える教会も同じです。本当に大切なことは「神様の言葉に対する熱心」を保ち、それを正しく効果的に伝えることです。スタイルが目新しいかどうかが問題ではないのです。


B. 今あなたが伝えている(神様の言葉をどう届けるか?)

しかし、わたしたちの不義が神の義を明らかにするとしたら、それに対して何と言うべきでしょう。人間の論法に従って言いますが、怒りを発する神は正しくないのですか。 決してそうではない。もしそうだとしたら、どうして神は世をお裁きになることができましょう。 またもし、わたしの偽りによって神の真実がいっそう明らかにされて、神の栄光となるのであれば、なぜ、わたしはなおも罪人として裁かれねばならないのでしょう。 それに、もしそうであれば、「善が生じるために悪をしよう」とも言えるのではないでしょうか。わたしたちがこう主張していると中傷する人々がいますが、こういう者たちが罰を受けるのは当然です。(5-8)

初代にクリスチャンたちは、「律法を守ることではなく、イエス様を救い主と信じる信仰によって救われる」という教えを、ユダヤ人から「律法を守らず、悪を働いても良い」と教えている曲解して非難されました。どんなに素晴らしいものを届けようとしても、それを邪魔したい人は沢山いるのです。

サタンは、「神様の言葉」が伝わらないことや、間違って伝わることを願い、人の心に働きかけます。私たちに必要なことは「神様の言葉」に対する熱心と、良いメッセンジャーとしての資質を磨くことです。

私たちは今2000年の間、大切に伝えられてきた「神様の言葉」という貴重な贈り物を誰かに伝えるためにここにいます。神様は肉体に必要なものを無条件で与えてくれていますが、魂になくてはならないもの「神様の言葉」は自分の意志で受け取らなければなりません。これは受け取った人が、自分にとって最も大切なものだった、ということを知って、誰かにも届けずにいられない、という気持ちによって伝わってゆくものです。あなたは牧師がそういうから「伝えなければならない」と思っていませんか? それは良い動機ではありません。それよりも、自分が頂いたものがどれほど素晴らしいかを知ることが先です。それは自分の歩みを振り返ることで思い出せます。辛いこともたくさんあったでしょう。しかしそれは神様のなさったことではなく、神様の意思を取り違えた人間の仕業によるものです。そして神様はそれに耐え今も変わらずに神様の前に立っていられるように支えてくださっていたのではないでしょうか?


1) 荷物を間違ってはいないか?腐らせてはいないか?

私たちの信仰の先輩たちが「神様の言葉への熱心」を持ちながら失敗してしまったように、イエス・キリストを伝えているつもりが、自分たちの伝統の素晴らしさを伝えていたり、いかに自分が祝福されるかの方法について伝えていたりしていたら、届けるべき荷物を間違えているメッセンジャーは失格です。また自分の気に入っている、その一部だけを伝えるなら責任を果たしたことにはなりません。私たちの運ぶ「神様の言葉」には<個人の魂の救い><肉体の癒し><祝福された人生><社会正義><人生の目的><聖霊の賜物の発見>といった内容を含んではいますが、どれかを強調しすぎて他のものを十分に伝えないのでは。また、いつの間にか自分の理解が間違った方向に行ってしまい、それを伝えていたら、重大な責任です。


2) 包装や梱包、配達の方法は適切か?(あなた自身についての注意点) 

実際に聖書をプレゼントすることは素晴らしいことです。でも、ただ送るだけで何のフォローもなければ、逆効果です。神様の言葉は心にとどかなければ意味がないのです。大切な贈り物が壊れたり汚れたりしないで受け取ってもらえるように、大切なものであればあるほど丁寧に包装・梱包します。そこで私たちは「神様の言葉」を喜んで受け取ってもらえるように心を配るのです。あなたは「神様の言葉」を何で包んで送りますか? それは「神様がどんなにかけがえのない方か」「この方とともに歩んでいることがどれほど大きな助け、喜び、慰めか」というあなた証言と そのあなたの心、態度、言葉、行動なのです。包みで中身の価値が変わることはありません。しかし人は最初、包装で判断するのです。

たとえば、伝えたいという熱心が過ぎて相手の身になった配慮が出来ずに押し売りのようになってしまうなら、相手は心を開くどころか二重三重の鍵をかけてしまうでしょう。

「神様の言葉を伝える」それはむしろ荷物を届けるというより、あなたの大切な友イエス様を紹介することですが、実際につれて行くことが出来ないので読むことの出来る「神様の言葉」を心に届けるのです。そしてこの贈り物には必ず。あなたという心惹かれる包装がほどこしてあるのです。

自分は魅力的な包装ではないと悲観しないで下さい。

1、イエス様を礼拝することに生活の中心におくことによって

2、ミニチャーチの交わりの中で育てられることによって

3、イエス様と二人きりの静かなときをもつことによって

誰でもイエス様が日々与えていてくださる愛、知恵、勇気を無理なく伝えることができるようになります。

メッセージのポイント

ユダヤ教やプロテスタント教会以前の教会の「神の言葉に対する熱心」がなければ、私たちは今、聖書を手にしていることはなかったでしょう。私たちの信仰の在り方もまた、彼らの試行錯誤の上に立っています。「神の言葉に対する熱心」の点で、私たちは彼らを見習い尊敬すべきです。一方で私たちは彼らの共通の失敗からも学ばなければ、同じ失敗を繰り返すことになるでしょう。「共通の失敗」とは、神様の言葉を熱心に伝えているつもりが、いつの間にか違うところに重点が置かれるようになってしまう、ということです。私たちに求められていることは、神様の言葉を、付け加えも、取り除きもせずに正しく伝えること、内容に相応しいメッセンジャーに成長することです。このことは、聖書そのものに親しみ、キリストの体である教会の、礼拝と交わりの中で自分のライフスタイルを確立することで実現します。

話し合いのヒント

1) 「神様の言葉」を大切にするとはどういうことですか?

2) 「神様の言葉」を伝える上で、犯しやすい失敗にはどのようなものがありますか?