2005/6/5 メッセージ ローマの信徒への手紙10章14-21節 シリーズ(21)

耳にではなく心に伝える「良い知らせ」

今朝は「良いニュース」についてお話しします。聖書では「福音」という別の言葉も使います、日本でも英語の「ゴスペル」の方が知られています。もっともゴスペルも音楽として知られていて、本当の意味を知っている人はあまり多くはないようです。聖書の伝える「良い知らせ」とは何でしょう。

良い知らせと悪い知らせというスタイルのジョークを知っていますね。(話の種が必要な人はグーグルで「いい知らせと悪い知らせ」とタイプして検索すると山ほど出てきます。) このタイプのジョークは、大抵悪いニュースのほうが中心で、ガックリしている人を笑うものが多いのですが、聖書の良い知らせは、その反対です。聖書があなたに伝える悪い知らせは「あなたは罪人で永遠の刑罰が待っています」というものです。そして良い知らせは「イエスキリストがあなたの罪を引き受けられました。イエス様を主と信じて新しい人生を生きることができます」というものです。

聖書の「良い知らせ」は、「悪い知らせ」を打ち消すことのできる本当に「良い知らせ」です。始めに14,15節を読みましょう。

A. あなたは派遣されてここにいる

1)人はあなたを通してキリストに出会う(14-15)

ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。 遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。(14-15)

良い知らせを伝えるとはどういうことでしょうか? 日本は0.9パーセントのクリスチャンと99.1パーセントのクリスチャンではない人々で構成されている社会です。クリスチャンはマイノリティーです。今の日本では、組織的な迫害を受けることはなく、むしろ信頼できる人々として受け入れられています。何人ものクリスチャンが社会の精神的リーダーとして活躍してきました。ところが自分や自分の家族がクリスチャンになるということについては大きな抵抗があります。ひとつには今までの自分のあり方を変えなければならない、という困難。第二にマジョリティーからマイノリティーに転落するという不安。そして、クリスチャンになることがどれほど素晴らしいことかという情報不足が、迫害という身の危険がない国であるにもかかわらず。にもかかわらず、このような状態であるのはなぜでしょう?

誤解のないように言っておきますが、クリスチャンの数も人口に対する比率も少しずつ増えていることは確かです。第二次世界大戦が終わった今から60年ほど前、この国のあり方は大きく変わりました。福音を自由に伝えることが出来るようになったのです。その時から比べて、プロテスタント、カトリック、オーソドックスを合わせれば数で3倍、人口比で2倍となっています。成長していないわけではないのです。周りの国の教会の様子と比べて、なんで日本はこんなに成長が遅いのかと思ってしまいます。「日本特殊論」は日本のクリスチャンの中でもはびこって言いますが、このことで劣等感を持ったり卑屈になったりする必要はありません。

教会の役割とは何でしょうか?時々マタイやマルコの福音書の終章を引き合いに、教会の目的はクリスチャンを増やす!ことだと聞くことがあると思います。確かにそこにはすべての人を弟子としなさいと記されています。

しかしそれは「クリスチャンや教会の数を増やす」ことではありません。

私たち、教会がこの地に置かれているのは、「良い知らせをできるだけ多くの人々に伝え、その人が神様との健康な関係を取り戻す手助けをする」ためです。その結果として、数はついてくるのです。この目的と結果が逆転すると教会は堕落してしまいます。たとえば牧師にとっての「目的と結果の逆転」は、失われたたった一匹の羊を探し出すという牧会姿勢から、いつの間にか自分の名声や、収入のための牧会への変質として現れます。それは一人の牧師個人の堕落には留まりません。教会は律法主義に支配され、やがてもはや教会とはいえないカルト集団になってしまうこともあるのです。まさにそのプロセスを先月京都で起こった事件で私たちは見せられました。「普通の教会」はあの事件をただ迷惑な事件が起こってしまった、ととらえるだけではなく、神様の警鐘であることを知らなければなりません。あの人たちは、異端的教義を教えていたわけではありません。「救い」について正しい説教がなされていました。「神の子イエスキリストは、あなたの罪のために十字架で命を捨て、よみがえって今も生きておられます。悔い改めてイエスに従うならあなたは救われます」人々の耳には「良い知らせ」を伝えていました。でも集まった人々は被害者になってしまいました。耳では私たちと同じことを聞いたのに、福音の言葉はその人の中で「良い知らせ」とはならなかったのです。

良い知らせを誰かに確かに伝わるということは、その人の生き方がよい意味で変わるということです。キリストの言葉を伝えるということは、キリスト教の教理を話して、「あなたはこれを信じるか?信じるなら天国行き、信じないなら地獄行き」と迫ることではありません。では何をどう伝えるのか?16-18節を読みましょう。

2)キリストの言葉を伝える方法(16-18)

しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っています。 実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。 それでは、尋ねよう。彼らは聞いたことがなかったのだろうか。もちろん聞いたのです。「その声は全地に響き渡り、その言葉は世界の果てにまで及ぶ」のです。(16-18)

あなたにも、「この人にはぜひキリストの言葉を聞いてもらいたい」という人が何人かいると思います。その人が聞き、そして信じることにより、あなたの良い知らせは、その人にも良い知らせとなります。しかし、残念ながら聞いてさえくれない人もいます。私たちは、聞かせることが出来ないのでしょうか?そんなことはないちゃんと伝えられる、とこの節は教えてくれます。18節は詩編19編からの引用です。詩編の本文を1節から読んでみましょう。

天は神の栄光を物語り大空は御手の業を示す。 昼は昼に語り伝え夜は夜に知識を送る。 話すことも、語ることもなく声は聞こえなくても その響きは全地にその言葉は世界の果てに向かう。そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。(2-5)

ここで皆さんに注目していただきたいのは、引用された直前の部分です。話すことも、語ることもなく声は聞こえなくても というところです。ここで福音は心に伝わるものだということが分かります。たとえ言葉で耳に伝えられなくても、その人に良い知らせを伝えることが出来るのです。パウロは第二コリントの3章3節でクリスチャンについて次のように表現しています。

あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。

「良い知らせ」をもたらす者は雄弁である必要はありません。問題はその心に、何が書き付けられているか?ということなのです。その人が「4つの法則」を素直に聞いてくれるかどうかは、本質的な問題ではありません。それよりもクリスチャンであるあなたが、誠実で信頼にたる隣人であるかの方がずっと大切なことです。そして、私達がそのように歩くためには、日々の聖霊の導きに素直に従って歩んでゆく以外にはありません。 それでは残りの19-21節を読みましょう。

B. すべての民の神様

1)イスラエルを見捨てない方(19,21)

それでは、尋ねよう。イスラエルは分からなかったのだろうか。このことについては、まずモーセが、「わたしは、わたしの民でない者のことであなたがたにねたみを起こさせ、愚かな民のことであなたがたを怒らせよう」と言っています。(19)

しかし、イスラエルについては、「わたしは、不従順で反抗する民に、一日中手を差し伸べた」と言っています。(21)

イスラエルの民の多くはイエス様を救い主として受け入れることが出来ませんでした。その状況は現代にまで続いています。ただこの10年メシアニックジューと呼ばれるイエス様を救い主と信じるユダヤ人)が少しずつ増えているのも事実です。これはそれまでのただユダヤ人に、ヨーロッパ・アメリカの文化的影響を受けた教会に改宗することを勧めるのではなく、ユダヤ人としての特別な歴史的、文化的あり方を尊重した会衆の形成を促すものです。この動きが、直接イスラエルの救いにつながってゆくのか?それともまだいろいろな紆余曲折をたどらなければならないのか?それは神様だけがご存知です。私たちには、彼らを今のキリスト教の枠組みの中に組み込もうとすることではなく、彼ら自身の歩みを尊重し支えることが求められています。

2)異邦人を神の国に招く方(20)

イザヤも大胆に、「わたしは、わたしを探さなかった者たちに見いだされ、わたしを尋ねなかった者たちに自分を現した」と言っています。(20)

神様はイスラエルのために長期計画を備えていてくださったと同じように、イスラエル以外の民にも別の計画を備えていてくださいました。

引用されている旧約聖書の預言者イザヤも神様の計画がイスラエルに留まらず世界に及ぶことを知っていました。神様がイスラエルだけの神様ではなくすべての人の神様であることを知っていたのです。世界中の作られたすべての民が招かれていることがイエス様の十字架と復活によって明らかになったのです。今や世界中に「良い知らせ」は届きつつあります。しかしそれは、目で読める形、耳に聞こえる形としてしか伝わってはいません。それが人々の心に届くためにあなたは生かされています。

メッセージのポイント

「良い知らせ」聖書はこの言葉に特別な意味を与えています。それは「神様があなたとともにおられる、あなたは神の子です、という知らせ」という意味です。神様はこの「良い知らせ」をとてもユニークな方法で世界中に告げ知らせようとしています。それは人から人へのリレーという方法です。あなたのところにも「良い知らせ」が届きました。今度はあなたが誰かに伝える番です。それはただその人の耳に届けばいいというものではありません。知識として神様を知っていても、それではまだ「良い知らせ」とはいえないのです。その人が心で信じて主を呼び求めるようになることによって、その人にとって「良い知らせ」となるのです。神様は私たちを通してすべての人を神の国に招待しています。

話し合いのためのヒント

1) 神様はどのような方法であなたの隣人を招こうとしておられますか?

2) 神様はイスラエル人、異邦人にどのように働きかけてこられたのでしょうか?