2005/10/9 メッセージ

あなたには一番おいしいところを食べてほしい

‐ミニチャーチの勧め

今日は第二日曜日、私達にとって今必要だと思われる主題を取り上げてメッセージをする日です。今朝はミニチャーチについてお話しします。ミニチャーチとは、キリストの体・教会のひとつの側面です。普通、人は教会というと建物を想像しますが。教会とは人々のことです。ですから、この礼拝を指して教会ということが出来ます。でも日曜日以外には、この場所には教会はありません。あなたがいるところが教会です。なぜならあなた自身が教会の一部だからです。週報に書かれている最初の聖書の個所を読んでみましょう。

はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。 また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:18-20)

私たちがみんなでいるときにもそこに教会があります、私たちが一人でいるときにもそこに教会があります。でもここにもうひとつの教会の姿が現れてきます。何人かの教会のメンバーが集う時です。そこにはイエス様ご自身も集われ、大きな恵みがあることが分かります。これがミニチャーチです。

ハワイにホープチャペルという教会があります。私の牧会の師であるラルフ・モアが指導している教会です。初めて、その礼拝に出席した時のことは今でも忘れられません。素朴だけれども心にしみる礼拝と賛美の歌、ラルフの率直で簡潔なのに心の中にしっかりときざみ込まれるようなメッセージ。礼拝のあとにスタッフらしい人に、すばらしかった感動を伝えると、意外な言葉が帰ってきました。「ありがとう、でもこの礼拝はこの教会のー番おいしい所ではないんですよ」私はすっかり満腹した気になっていたのに、まだメインディシュは経験していなかったのです。それで私は彼に尋ねました。「それは何か特別な礼拝ですか?いつあるんですか?」彼は答えました。「それは、私たちがミニチャーチと呼んでいるスモールグループのことです。」この時にすぐ実現したわけではありませんが、後にラルフと知りあい、私の先生になってくれました。あの時から10年がたちました。ユアチャーチを訪れた方は、たいてい「すばらしい礼拝ですね、とほめて下さいます。でも私は皆さんに告白しなければなりません。「実はまだメインディシュが完成していないのです。」

皆さん一人一人にふさわしいミニチャーチがあり、そこが信仰の成長の場となるということがこれからの私たちの課題です。

A.御言葉を聞くだけの信仰から行う信仰へ

1) 講義、実習、実践

私たちは皆、新しい信仰の次元に招かれています。それは神様の言を聞く人から、神様の言を行う人となる。というステップアップです。別の言い方をすれば、あなたの日常生活の中で神様の言が実際に生き生きと働くようになるということです。

講義を聞いただけですぐ車を運転できる人はいません。実際に安全な所で、運転して基本的な操作を体でおぼえます。それができるようになったら、その次は誰かにとなりに乗ってもらい本当の道で練習します。それでも初めは東名に行ったりはしません。信仰も同じです。日常生活は交通の激しい道路を運転するようなものです。日曜の朝の礼拝のメッセージは教室で聴く講義です。愛についての正しい知識は得られます。しかし愛するという経験は得られないのです。そこにミニチャーチの存在価値があります。ミニチャーチは、私たちの日常生活のひとつの場ではありますが、互いに同じ愛を信じている者の集まりですから、愛しあう・受け入れあう・赦しあうことがそれ以外の場所より容易なのです。日曜の礼拝が信仰の学校なら、ミニチャーチは信仰の家庭です。礼拝で得た霊の糧を力に変えて出てゆくところであり、疲れた時に帰ってくる場所でもあるのです。

2) なぜミニチャーチに加わるべきなのか?

ここでいくつか聖書からミニチャーチを大切にすべき根拠を紹介します。

a. それは先ずイエス様の命令だからです。

互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」(ヨハネ15:17)

「ミニチャーチに加わりなさい、これが私の命令である」とは書いてありません。「互いに愛し合いなさい」です。どこに私たちが互いに愛し合う機会があるでしょうか?一人でいては愛し合うことは出来ません。だからミニチャーチです。ここで取り上げるテキストのどれにも、もちろんミニチャーチという言葉は出て来ませんが、愛し合う、語り合う、受け入れ合う、互いの重荷を担う、仕え合うことは、日曜日の礼拝のときにも、一人でいるときにもできることではありません。それが出来るのがミニチャーチです。

b. ミニチャーチはイエス様ご自身が参加してくださるグループです

そのとき、主を畏れ敬う者たちが互いに語り合った。主は耳を傾けて聞かれた。(マラキ3: 16a) 

c. 私たちが愛し合う存在であることを、まだ神様を知らない人々は知るべきです。誰もがそのような交わりを必要としているからです。

互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」(ヨハネ13:35)

d. あなたがミニチャーチに加わって互いを受け入れ合うことは、ことはあなたの益になるばかりか神様の栄光にもなるのです

だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。(ロマ15: 7)

e. 日曜日の礼拝にいるだけでは、神様の戒めを守ることは出来ません。それは互いに重荷を担い合うことを求めているからです

互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。(ガラ 6: 2)

f. キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。(エペソ 5: 21)

私たちはイエス様に仕えることを決意してクリスチャンとなりました。実は互いに仕え合うことがイエス様に仕えていることになるのです。

B.ミニチャーチを始めよう

1) 時間を作ってやってみませんか?

「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。(1ヨハネ4:20)

多くの人々は週に1回教会に行くだけでも大変だと考えます。週にもう1回なんてとても無理と考えてしまいます。時間はみつけるものではなく作り出すものです。1日は24時間あります。週に168時間あります。50時間は寝ています。50時間は仕事や勉強に費やします。 食亊にかかる時間は20時間です。それでも、あなたには48時間も残されています。その中からあと1.5時間、ミニチャーチに用いることは全く不可能な事でしょうか? 少ない人数のミニチャーチを勧める理由はいくつかありますがそのひとつは都合を合わせやすいということです。早朝、昼間、夜、深夜?

2) ミニチャーチの実際

ミニチャーチは、週の中程の水曜か木曜に行うのが理想です。それは、日曜日に補給された心のエネルギーが乏しくなってくる時だからです。でも、どんなに楽しくても90分で終わりにします。場所はメンバーが集まりやすいところなら、どこでも良いのです。ファミレス、スタバ、誰かの家、カラオケボックス、教会のチャペル、ホールでもできます。

そこで聖餐式をするのもいいでしょう。

そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。(ルカ22: 17)

使徒言行録を読むと初代教会の聖餐式は家々でも行われていたことが分かります。

ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。(ヨハネ 13:14)

私は、このことを実際にやりましょうと勧めているのではありません。互いに「私はあなたに仕えます」という気持ちを言葉と行動で表していただきたいのです。

私たちは、共に過ごす時間を重ねてゆくうちに、そこにイエス様に従って行くものに相応しい調和が出来てゆきます。

忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、(ローマ 15:5)

コロサイの信徒への手紙からも、良いミニチャーチ像が浮かび上がってきます。

キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。(コロ3: 16) 場所や集まる人によっては出来ない場合もありますが、心を合わせて数曲ワーシップするのもいいことです。

教会は健康に分裂してゆく場合もありますが、神様を悲しませるような分裂も起こる可能性があります。Tコリ12: 25 と エペ 4: 32とを読みます

それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。(Tコリ12: 25)

互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。(エペ 4: 32 )

配慮し合うこと、赦し合うことが出来ていれば、キリストの体を傷つけるような分裂は起こりません。

ミニチャーチは集会ではなく、人々のグループです。私たちは安心できる継続的な交わりの中でしか心を開くことは出来ません。それが人数を増やしたくないもうひとつの理由です。人は多くの人と、同じように親密になることは出来ません。二人では少なすぎます。戒め合うためには、中立の者が必要です。集まる人によっても異なるでしょうが4、5人というところでしょうか、8人は多すぎると思います。8人になったら、細胞分裂すればよいのです。

教会のサイズが大きくなってくれば、メンバーすべての人と親しくなることは出来ません。すべての人のために祈らなければいけないわけでもありません。

ミニチャーチのメンバーで、時には旅行に行ったり、食事をしたり、スポーツをしたりするのもいいことです。どうかあなたもミニチャーチに加わって、ユアチャーチの一番おいしいところをしっかりいただきましょう。

メッセージのポイント

日常生活の中で自分の信仰が問われるような場面に遭遇しても、普段から御言葉を行うことになれていなければ、神様の子とされた者らしい行動をとることは出来ません。ミニチャーチは、聞いた御言葉を行いにつなげるのに最も相応しい所です。ミニチャーチは集会の名前ではありません。教会のなかの小さなグループです。あなたはミニチャーチに加わることによって“本当に”愛することを身につけることが出来ます。

話し合いのヒント

1)  今週のメッセージを聞いてあなたは何を決心しましたか?

2)  自分たちのミニチャーチはこのままでいいですか、それとも?