2005/12/25 (ルカによる福音書2章22‐35節)

クリスマスを楽しむ日から感謝する日に変えよう 


日本ではクリスマスイヴが終わり、クリスマスになると、もうみんなクリスマスのことはすっかり忘れて、次の楽しみ、お正月のことを考え始めています。でも皆さん今日がクリスマスです。せめてもうしばらくあわただしい年末年始のことを考えずに、イエス様が来てくださったことに心を向けていてください。クリスマスを楽しい時としてだけ過ごすなら、その素晴らしさの一番いいところを味わっていないことになります。一番のところ、それは「感謝」ということです。はじめに今日のテキスト全体を読んでみましょう。

さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。 それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。 また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。 これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。―あなた自身も剣で心を刺し貫かれます―多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

A. シメオンは知っていた‐救い主イエスの生涯 (28-35)

1) イエス様こそ待ち望まれていた救い主 (30)

当時の習慣に従って定められていた清めの時が過ぎ、生後一月半ほどのイエス様は両親につれられてエルサレムの神殿に長子誕生のささげものをするためにエルサレムの神殿に行きました。神殿にいる長老や祭司に子供を抱いてもらい祝福を受けるという習慣もあったようです。シメオンという老人は、イエス様が来られることを待ち望んでいました。毎日何人もの赤ちゃんが神殿に連れてこられ、シメオンは多くの赤ちゃんに祝福を与えたことでしょう。しかしシメオンはこの日が来ることを待ち望んでいました。「あなたは必ずその目でメシアを見る」と告げられていたからです。シメオンは正しく信仰の篤い人でしたから、当時の罪深い国の在り方、人々の心の状態に心を大変痛めていました。しかし自分の老い先は短く、多くのことをすることが出来ない。残念な気持ちで過ごしていたのです。けれども彼には、この神様からのお告げという心の支えがありました。彼には、私は心残りを持ったまま死ぬことはない、という確信がありました。そしてその日がやってきたのです。これで安心して世を去ることができる。「わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」シメオンはイエス様に出会って、今日、人生が終わっても悔いはない、と思えました。安心して世を去れる、という感覚が皆さんにはわからないでしょうね?50歳を越えると、わかってくるのです。個人的にやり残していることは沢山ある、悔やまれる失敗も、家族の先行きも心配だし。人の人生の長さは誰にもわかりません。明日終わりが来ても、悔いはないと思えるような歩みをすることは大変難しいのです。私も同じように思えます。もしイエス様に救われていなければ、いくつになっても平安のうちに死を迎えることは出来なかったでしょう。多くの人は、それが自分のものであれ、愛する者のものであれ、死を恐れ、呪い、できることなら忘れていたいと思っています。しかしイエスキリストは、私達をあらゆる恐れから解放するために来てくださいました。シメオンの時代から今に至るまで、死に打ち勝つ方法は一つしかありません。あなたの人生を救い主イエスキリストに委ねることです。こんな「感謝」なことはほかにはありません。


2) イエス様による救いはイスラエルにとどまらず、すべての人に及ぶ (31,32)

イエス様は誰のために来てくださったのでしょうか?イスラエルの人が考えていたように彼らのためにだけこられたのでしょうか、それでは私たちには関係ないということになってしまいます。31節と32節を読んでみましょう。

これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」

聖霊はシメオンにはっきりと告げていました。その救いは例外なく全ての民に及ぶと。あなたの属する国籍や民族にかかわらず神様はあなたに手を差しのべておられます。感謝な事です。しかしここにすこし困難に感じられることが出てきます。それは、すべての人という以上、あなたが好きになれないような人や、反対にあなたの事をよく思っていない人にも、神様の救いの手は差しのべられているという事実です。私たちの感情はこの事実を受け入れることが苦手です。〇〇さんに神様の祝福がありますように、とは素直に思えないのです。サタンは今でも多くの人に次のように思い込ませることに成功しています。「私の敵やきらいな人が祝福を受けるということは自分の分がへったり、なくなったりすることだ」「いやな人が幸せになるということは私が不幸になるということだ」こうして、人類は争い憎みあうことをやめることができないのです。しかし、それは本当ではありません。神様の祝福は、人の持つ資源とは異なり尽きることがないからです。本当は、あなたの敵が祝福され、幸せになるということは、あなたの祝福、あなたの幸せともなるのです。

3) イスラエルの中ではほとんど受け入れられない (34)

34節を読んでみましょう

シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています

イエス様がこの世界に来て下さったことによって、世界は根本的に変えられました。愛について平和について、その働きは完成してはいませんが、イエス様を主と信じ従う人の手によって進められているのです。イエス様は、世界が正しくあることを待ち望む人々、神様に救いを求める人にとっては、待ちに待った救い主でした。しかし自分の欲望のおもむくままに生きる人、そのためには他の人が苦しんでもかまわないと思っているような人には邪魔者でした。同様にイエス様を信じ従ってゆく人に対しても、反対する人は今でも多いのです。

しかしイエス様はそのような人々の支配する社会に来て下さり、彼らと決して妥協なさいませんでした。イエス様は正しく生きようとする者の歩みを守るということについても決して妥協なさらない方です。そのような方があなたの側にいてくださる幸いを感謝しましょう。

4) イエス様による救いは彼の命と引き換えに与えられる (35)

――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

イエス様が死に至ることになってまで私たちを愛されたことは、その恵みに与った私たちにとっては感謝な事ですが、イエス様と最も永い時をすごした、母マリアにとって十字架はつらい出来事でした。数年前にJRの駅でホームから落ちた人を救い、自分は間に合わずに亡くなった二人の方がおられました。一人は韓国人の留学生でした。私たちは、この出来事を、ただ他人のした素晴らしいこととして考えるのではなく、留学生の母親の気持ちになって考える時に神様のイエス様を送られた思いを知ることが出来ます。そしてもう一人、線路から助け上げられた人の気持ちになってみてください。自分が失ったかもしれない命を助けられ、代わりにその人が命を落としたとしたら、あなたはその先をどう生きてゆきたいと思うでしょうか?その人に対する感謝の思いを常に持ち、その人の分まで、与えられた命を自分のためにではなく人々のために用いたいと思うのではないでしょうか?クリスチャンとはイエスキリストの十字架の死と引き換えに与えられた新しい命、永遠の命を感謝してキリストの愛に生きる人のことです。

B. なぜシメオンには知らされたのか? (25-27)

1) 神様に信頼し、神の国を待ち望む人だった (25a)

そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、

シメオンの心は、当時の宗教指導者の誰よりも神様に近くありました。だから国のあり方に心をいためていました。このままではいけないと気付いていました。そして、どうにもならないような時であっても神様を信頼して、期待して待つ人であったので神様は応えて下さったのです。彼は、すさんだ世の中にあって確かに希望を得たのです。

2) 聖霊が彼の上にとどまっていた (25b-27)

聖霊が彼にとどまっていた。 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。

期待して待ち望むにしても、神様にすべてをゆだねて安心しているのでなければつかれ切ってしまいます。シメオンは、決しイエス様を見のがしたくはなかったはずですが神殿にはりついていたわけではなかったことがこの個所でわかります。聖霊に導かれて、境内に入りイエス様を見つけました。神様の働きを担ってゆきたいなら、必要なことは、1)でお話しした信頼と期待です。そしてあなたが本当に信頼しているなら聖霊はあなたにとどまってくださいます。そして必要なときに必要な導きを与えてくださるのです。


メッセージのポイント

クリスマスはイエス様の誕生をお祝いする日です。誰にとっても心弾む楽しい時ですが、本当は楽しいだけの時ではありません。それはあなたにとってもっと大きな意味を持つ、「感謝の日」なのです。なぜなら救い主はあなたのために来てくださったからです。それも、あなたのあらゆる問題の原因である、あなたの罪をその身に引き受け十字架の上で苦しまれるためにです。クリスマスの喜びは、神様の痛み、イエス様の苦しみの犠牲の上にあることを覚えて感謝しつつ、シメオンのように神様を信頼し、神の国の完成を待ち望んでゆきましょう。


話し合いのために

1) シメオンにはなぜイエス様が特別な赤ちゃんだと分かったのでしょう?

2) 「あなたにとってクリスマスとは」と聞かれたらどう答えますか?