2006/7/30 メッセージ 詩編より 主題説教

歌の力

私たちは日常生活と信仰生活というように、分けて考えてしまいがちですが、時代がさかのぼれば、さかのぼるほど日常と信仰は切り離せないものでした。たとえば日本語の「政治」は「神々を正しく祭る」という意味の語源から来ています。ドイツ語のベルーフ(職業)はもともと召命(コーリング):神様からその人に与えられた特別な仕事を意味する言葉です。美術や音楽も信仰がその出発点だったのです。

皆さんの国にも世界中の人々の生活に影響を与えた偉大な発明があると思います。日本の発明で一番素晴しいものは何だと思いますか? 私はカラオケではないかと思うのです。発明者井上大佑さんは2004年イグノーベル平和賞(ノーベル賞のパロディー版)を受賞し、その経緯は去年映画にもなりました。誰でもバンドやフルオーケストラをバックに歌う気分のよさを提供し、現代人のストレス解消に大いに貢献しています。歌には、癒す力、励ます力、慰める力があるのです。どのような文化においても歌の起源はその宗教と深くかかわっています。聖書を読むと、歌の起源は神様 に対する人の心の表現であることがわかります。歌は神様が私たちに与えて下さったすばらしいプレゼントです。今朝は歌の力についてダビデのソングブックである詩編を中心にお話しします。

歌う者も踊る者も共に言う/「わたしの源はすべてあなたの中にある」と。(87:7)

歌が本当に力を発揮するのは、神様に向って歌われるときです。また歌う人の心に神様が住んでおられる場合です。皆さんは、神様に向って歌える、というクリスチャンの特権を十分に享受しているでしょうか?

A. 歌から力を得ていますか?

1) 苦難の中で主を思い起こす力

昼も夜も、わたしの糧は涙ばかり。人は絶え間なく言う/「お前の神はどこにいる」と。 わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす/喜び歌い感謝をささげる声の中を/祭りに集う人の群れと共に進み/神の家に入り、ひれ伏したことを。 なぜうなだれるのか、わたしの魂よ/なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう/「御顔こそ、わたしの救い」と。(42:4-6)

真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。(使徒言行録16: 25)

詩編のダビデも投獄されたパウロやシラスも、苦難の中で歌っています。苦しい中で歌なんて歌っていられないと思ってはいけません。

むしろ、つらいとき、悲しいときにこそ重い体をチャペルにはこんでくるようにしてでも、礼拝の歌の中に身をおけば、神様がともにおられること、あなたのうちに新しいことを始めて下さることを確信し期待することができます。

2) 戒めにとどまる力

わたしはあなたの戒めを愛し/それを楽しみとします。 わたしはあなたの戒めを愛し/それに向かって手を高く上げます。わたしはあなたの掟を歌います。(119:47-48)

私たちが神様に向って歌う内容は賛美−ほめたたえることばかりではありません。神様が与えて下さった教えをくりかえし心に定着させるように歌うことは、その教えが本当に身につくために力となります。私たちが歌っている「あなたはぶどうの木」というワーシップソングはよい例です。

3) 悲しみを喜びに変える力

主の慈しみに生きる人々よ/主に賛美の歌をうたい/聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。 ひととき、お怒りになっても/命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも/喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。(30:5-6)

涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は/束ねた穂を背負い/喜びの歌をうたいながら帰ってくる。(126:5-6)

普通、人は状況が変ると喜びます。クリスチャンは状況が変わる前に喜びを先取りすることが出来ます。嵐の中でも神様は私たちの唇に歌を与えてくださいます。そして私たちが歌う時に、外側の状況はまだ変わっていなくても、私たちの内側は喜びで満たされるのです。そして外の状況もそれについで変えられてゆくのです。

B. どのように歌ったらよいのか

1) 神に向かって歌え

神に向かって歌え、御名をほめ歌え。雲を駆って進む方に道を備えよ。その名を主と呼ぶ方の御前に喜び勇め。(68:5)

歌とは自分の心を相手に伝えるものです。カラオケというのはいったい誰に向かって歌っているのでしょうか?私たちにとっては歌うことの本質は神様に向かって歌うことにあります。礼拝の中で歌う歌は神様に対して歌われます。神様について誰かに教えてあげるために歌っているのではありません。この、神様に対して歌うことと神様について歌うこととの間には大きな隔たりがあります。神様に向かって歌いましょう。

2) 新しい歌を歌え

主に従う人よ、主によって喜び歌え。主を賛美することは正しい人にふさわしい。 琴を奏でて主に感謝をささげ/十弦の琴を奏でてほめ歌をうたえ。 新しい歌を主に向かってうたい/美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ。(33:1-3)

私たちを取り巻く状況は時間につれて変わってゆきます。神様に向かって表現したいことも変わってゆきます。同時代にあっても、それぞれの教会が置かれている状況も違います。ただどこかで作られたワーシップソングを訳して歌うことに満足してはいけません。この群れの中で新しい歌が生まれることを願い求めましょう。

3) 一つとなって歌え

どのようなときも、わたしは主をたたえ/わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。 わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。 わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。(34:1-4)

一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。(マタイ 26:30)

私たちが主の前に集いひとつとなって歌うことは、一人で、あるいは数人で歌うよりさらに大きな力を発揮します。ひとつとなってとは、心を合わせて、ということです。声を合わせきれいなハーモニーでうまく歌いなさいということではないのです。それは互いが赦しあい、愛し合っている家族合唱団のように歌いなさいということです。歌の技術ではなく、それ以前の互いに対する愛をもって歌いなさいということです。どんなに演奏技術や歌がきれいでも、愛と赦しのない会衆の歌を神様は決して喜ばれないでしょう。

4) 命ある限り歌え

命ある限り、わたしは主に向かって歌い/長らえる限り、わたしの神にほめ歌をうたおう。 どうか、わたしの歌が御心にかなうように。わたしは主によって喜び祝う。(104:33-34)

わたしが正しいとされることを望む人々が/喜び歌い、喜び祝い/絶えることなく唱えますように/「主をあがめよ/御自分の僕の平和を望む方を」と。 わたしの舌があなたの正しさを歌い/絶えることなくあなたを賛美しますように。(35:27-28)

私たちが生涯を通して歌い続けることを、神様は願っておられます。歌、音楽は若い人だけのものではありません。ダビデはそのような人でした。いくつになっても、大きな声で主に向かって歌いましょう。それは自分を若く保つ秘訣でもあります。

メッセージのポイント

歌の起源は諸説がありますが、聖書にも基づいて考えるなら、それは礼拝です。歌は言葉と同様に、ご自身と同じ姿に形作られた人間に、神様が与えた特別な能力と考えることができます。それは神様とのコミュニケーション能力なのです。主に向かって歌うことは、わたしたちの礼拝の重要な要素の一つです。礼拝は神様と私たちの相互コミュニケーションの場です。私たちは言葉を歌に乗せ、体も動かして(踊り)、神様に向かって思いのすべてを表現します。神様が私たちの歌に応えてくださるので、私たちは歌うことで神様から大きな力を頂くのです。

ミニチャーチのために

1) 歌うことによって与えられた力について話し合ってみましょう

2) あなたは今心に浮かぶワーシップソングは?それはなぜ?