2007/1/28 メッセージ (マタイによる福音書 5:45-48)

何て大きい!神様の愛 バド ピアソン

父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。 自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。 だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

A. 神様の愛

I. 神様は愛であり、その愛を私たちが受け取ることを願っている 

わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。Iヨハネ4:16

 愛される事を嫌いな人は誰もいません。愛されていないと感じるのは悲しいことです。私は愛されていないと悲しんでいるが沢山いますが、誰からも愛されていない人は一人もいません。誰もその人を愛していないとしても、神様はその人を愛していてくださるからです。両親は、普通の状態であれば子供に愛情を注ぎ、彼らに必要なものを与える事を惜しみません。ところが残念なことに幼いうちに親が亡くなったり、そうでなくてもその役割を果たせなくなるということがあります。それでも神様はその人を愛し、その人の必要を満たすことが出来ます。それは、既に差し出されているのです。問題は私たちがそれを受け取るかどうかということなのです。

II. 神様が与えてくださるのは豊かで満ち足りた人生 

わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。(ヨハネ10:9-10)

 愛されていないと嘆く人はまず自分が神様に愛されているという事を知る必要があります。神様の愛は、私たちの人生を豊かで満ち足りたものに変える力があるのです。この愛をいただくにはその差し出された手に向かってゆかなければなりません。神様が羊飼いなら私たちは羊です。羊は羊飼いに導かれなければ、自分で水場や牧草地に行くことが出来ません。よそ見をしたり、羊泥棒の誘惑に乗せられて羊飼いを離れれば生きて行くことは出来ないのです。聖書は人が神様にしっかりと従って行くなら、その人に必要なすべてのものは必ず与えられる事を教えています。神様がその人を愛しているからです。そして神様に愛されている事を知っている人は神様のように人を愛することが出来ます。そして、愛されるより愛することの方がもっと幸いである事を知るのです。

III. 天の御国を与えるほどの神様の愛  

わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」(ヨハネ14:2-4)

 神様の恵みはそれだけではありません。私たちがこの世で生きている間だけではなく、そのあとにも幸がある、というのが聖書の約束です。どんなに満足な人生を送った人でも、自分の死後についての不安を消すことは出来ません。たとえ肉体は滅びてもその魂は、私達を愛していてくださる神様と共に永遠なのです。

B. 私たちの愛

I. 私たちの愛−神様は求めている

イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 マルコ12:29-30

 こんなに大きな神様の愛に私たちはどう応えたらよいのでしょうか?愛に対する応答は愛以外にはありません。神様を愛することが私たちの人生にとって最も大切なことです。神様を愛するということは、神様ともっと親しくなり、いつも神様と共にいて、神様の期待に応えるということです。いいかえるなら、神様を心から礼拝し、常に祈り、神様の働きのために惜しみなく捧げることです。

II. 神様が愛するように私たちも愛する

愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。 いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。 Iヨハネ4:11-12

ところで神様の愛の戒めにはもう一つあります。それは「人を愛する」ことです。神様を愛する、人を愛する。この二つが神様の律法を全うするとイエス様はおっしゃいました。旧約聖書には十戒が記されていますが、新約聖書は二つだけです。戒めは減ってしまったのでしょうか?そうではありません。新約聖書のイエス様の二つの戒めは、あの十戒の全て、そして律法の全てを含むものなのです。

- なぜ愛するのですか?

わたしたちは愛である神様がご自身に似たものとして人を造られたのです。人は愛するものとして生きるときに最も幸せな生き方が出来るからです

- 何のために愛するのですか?

芸術作品は作者自身の最高の表現であり、誇り・栄光です。作品はそれを表すためにあるのです。ですから神様の作品である人間の、人生の正しい目的は,作ってくださった神の栄光を表すことです