2007/4/29 メッセージ イザヤ書13章 シリーズ(16)

地上のどのような権力も恐れない

アモツの子イザヤが幻に見た、バビロンについての託宣。 はげ山の上に旗を立て/彼らに向かって大声をあげ、手を振り/貴族の門から入らせよ。 わたしは、自ら聖別した者らに命じ/わたしの勇士、勝ち誇る兵士らを招いて/わたしの怒りを行わせる。 山々にどよめく音がする/多くの民の集う物音が。もろもろの国が騒ぎ立ち/諸国の民の集められる音がする。万軍の主が、軍勢を召集される。 彼らは遠くの地から来る/地平線のかなたから。主とその怒りの道具として/この国を滅ぼし尽くすために。(1-5)

イスラエルの民にとってバビロニアの支配は絶望的に思えることでした。旧約聖書には占領下のイスラエルの目をおおいたくなるような過酷な出来事が数多く記されています。今でも世界各地で他国や他民族の支配の下に苦しんでいる人々がいることを、私たちは知っています。そしてあらゆる権力はその正統性を主張します。神の国の民としてクリスチャンは地上の権力に対してどのような態度をとればよいのでしょうか?

A. 地上の権威の限界

1) どのような権力であれ地上の権力は永遠に続くものではない

バビロンは国々の中で最も麗しく/カルデア人の誇りであり栄光であったが/神がソドムとゴモラを/覆されたときのようになる。 もはや、だれもそこに宿ることはなく/代々にわたってだれも住むことはない。アラブ人さえ、そこには天幕を張らず/羊飼いも、群れを休ませない。 かえって、ハイエナがそこに伏し/家々にはみみずくが群がり/駝鳥が住み、山羊の魔神が踊る。 立ち並ぶ館の中で、山犬が/華やかだった宮殿で、ジャッカルがほえる。今や、都に終わりの時が迫る。その日が遅れることは決してない。(19-22)

圧倒的な力を誇ったバビロニアも、イザヤの言葉どおり、次に興ったペルシャに滅ぼされてしまいます。ペルシャは寛容な政策をとったのでイスラエルは過酷な状態から脱することができました。しかし、イエス様の時代にはローマ帝国の圧制に苦しめられるということになるわけで、困難はくりかえしやってきます。地上の力は、あなたにとって良いものであれ悪いものであれ、永遠に続くものではありません。

2) どのような権力であれ地上の権力は間違うことがある

見よ、主の日が来る/残忍な、怒りと憤りの日が。大地を荒廃させ/そこから罪人を絶つために。 天のもろもろの星とその星座は光を放たず/太陽は昇っても闇に閉ざされ/月も光を輝かさない。わたしは、世界をその悪のゆえに/逆らう者をその罪のゆえに罰する。また、傲慢な者の驕りを砕き/横暴な者の高ぶりを挫く。 わたしは、人を純金よりもまれなものとし/オフィルの黄金よりも得難いものとする。 わたしは天を震わせる。大地はその基から揺れる。万軍の主の怒りのゆえに/その憤りの日に。(9-13)

神様はイスラエルに王をたてるつもりではありませんでした。しかし、民が自分達にも周りの国々のように王が必要だと求めたので、神様は預言者サムエルを通して、王が間違え民を苦しめることが起こることを警告しました。それでも民は王が欲しいと願ってイスラエルにも王が立てられたのです。もともと世界を統治する権利を持つのは神様おひとりです。それが誰であれ、人がそれを握るなら、100%正しくその権力を用いることは決してできません。イスラエル史上最も優れた王、ダビデでさえ多くの罪を犯しました。私たちの国を誰が治めようと、100%神様の意志にかなった政治を行うことができる人は一人もいないのです。かつてこの国では、天皇が神様としてあがめられたのです。クリスチャンが「あなたの主は、イエスキリストか?それとも天皇か?」と問われ、「イエスキリストが私の主です。天皇は一人の人間に過ぎません」と答えれば逮捕されてしまった時代、それは何千年も何百年も前の話ではありません。一人の人間、一つの家系を神聖なものとして、絶対に服従しなければならないという異常な国にしてしまった人々がこの国を戦争に駆り立て、周りの国々とこの国の多くの人々の命を奪うことになりました。先の天皇が「私は一人の人間です」と、それまでの考え方を否定したのはたった60年前の出来事でした。またローマ皇帝も自身を神としてあがめるよう要求しました。ここにいる誰もが、自分の属する国の政府は正しく歩んできた、ということは出来ません。

B. 天の権威こそ従うべきもの

泣き叫べ、主の日が近づく。全能者が破壊する者を送られる。それゆえ、すべての手は弱くなり/人は皆、勇気を失い、恐れる。彼らは痛みと苦しみに捕らえられ/産婦のようにもだえ/驚きのあまり、顔を見合わせ/その顔は炎のようになる。(6-8)

1)永遠の神の国

 地上の国々はどのように強力であっても、やがてほろびる時がきます。しかし神の国は違います。あなたが神の国に属している者であることを自覚しているなら、どんな国に生きていても希望を失うことはありません。ロシアがソビエトだった頃、キリスト教は事実上、非合法でした。宗教は人の心を堕落させると言われました。起った事は逆でした。この神様を畏れない社会は、すっかり堕落して崩壊してしまいました。神様を信じる人々はこの時代を耐えたばかりか、そんな時でさえ教会は成長していました。中国でも迫害の中でクリスチャンの数は増大しました。

2) 誤りのない神様の権威に従うということ

地上では自国の政府に苦しめられることもあれば、他国の脅威にさらされることもあります。しかし私たちクリスチャンは地上では旅人なのです。どの国のパスポートを持っていようと私たちの真の国籍は天、神の国にあるのです。

普段私たちは権威、権力を身近に感じることはありませんが、言ってみれば親は子供に対して権威者です。教室では教師が権威者です。会社にも権威の構造があります。そしてこれらの権威者が道を誤ることがおこるのです。

教会はどうでしょうか?教会の権威者は誰ですか?教会の権威者は神様です。しかし目に見える教会の権威者として牧師が立てられます。そして牧師は間違えを犯し、主の教会を壊し、委ねられている羊を傷つけてしまうことがあるのです。

健康な教会は、外の誰でもなく、何でもなく、イエス・キリストが主としてあがめられている教会です。

スケールは違っても実は家庭も学校も国も同じです。真の神に対する畏れがあるなら、間違うことがあっても悔い改め、正しい道を選び取ることができます。だから私たちは、自分のおかれているところで、ほんとうの権威者は誰なのかを告げ知らせているのです。

C. 地上の権威とどうつきあうか?

1)権威に逆らってはいけないのか?

私たちは神の国の大使です。神の国を代表する者として、今おかれているそれぞれの場に派遣されています。そこで立てられている権威に対してどういう態度をとるかは、人々をイエス様に紹介する者として重要なことです。いたずらに否定することも、迎合することも、神様が望まれることではありません。大使は遣された国の人々や元首・政府に対し、誠意と尊敬をもって接します。しかし妥協してはいけない亊もあります。ここでのモデルはイエス様です。イエス様はローマに対してどのような態度をお取になったのでしょうか。マルコによる福音書12:13-17です。

さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。 彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」 イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」 彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、 イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。(マルコ12:13-17)

神の国の権威は、世の権威に並ぶものではなく、その上にあるものです。地上で暮らす限り私たちには社会に果たすべき責任があります。それも神様に果たすべき責任の中に含まれることです。もし上に立つ権威が神様の意思にそぐわないなら,それを、やはり神様の意思にかなった方法で変える努力をするのです。そのために私たちが祈らなければならない祈りを、前にも紹介したニーバー牧師が教えてくれています。

<ラインホールド ニーバー牧師の祈り>

神様、 変えることのできるものについて、それを変える勇気をわたしたちに与えてください。

変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えてください。

そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えてください。

2)クリスチャンはどの政党を支持すべきか?

考えるべきことの第一は、どんな政党も絶対正しいということはないということです。その時々の政策に賛成することがあってもよいのです。党員となってもよいのです。しかし、忠誠心を持つべきではありません。それでは先週お話しした偶像礼拝になってしまいます。どちらの政策がより神様の意志に近いのかは自分で判断するしかありません。そして自分の考えも絶対では無いということを知っているべきです。市民としてというだけでなく、親として、教師として、リーダーとして、自分が神様の権威の下にあるものであることを忘れずに、謙虚であるべきです

メッセージのポイント

周囲の諸外国の脅威にさらされることの多かったイスラエルは、強国との同盟や外交戦略で国を守ってきました。もちろん国家にとって外交は不可欠ですが、イスラエルはそこに頼りすぎて神様を第一に信頼することを忘れてしまいました。その結果、バビロニアに滅ぼされてしまいます。しかしこのバビロニアの支配も長くは続きませんでした。私たちはいろいろなレベルのパワーバランスに取り囲まれて生活しています。けれども決して変わることのない神様の権威がその上にあることを忘れてはいけません。どんなにひどい支配の下にあってもあきらめてはいけません。大切なのは、どのような状況におかれていようとも主イエスキリストを信頼し、彼に従い続けることです。

話し合いのヒント

1)イエス様は今の日本のあり方をどのようにご覧になっていると思いますか?

2)神の国の権威に従うとは、いったいどのように歩むことなのでしょうか?