2007/5/6 マルコによる福音書6:6b-13 シリーズQ

私たちも派遣されている

 弟子たちの最初の訓練期間が終わりました。それまではイエス様だけがやっていたことを、弟子たちも行う時が来たのです。弟子たちはこの時までイエス様がなさることをただ近くで観察してきました。それは、自分たちが働くための準備だったのです。

 皆さんもまたこの時代のこの世界に遣わされるためにイエス様によって選び出された者たちです。いまでも豊かに働いているイエス様の愛を知ってクリスチャンになりました。イエス様の愛に包まれて、癒され、解放され、日々の恵みに喜ぶ者となりました。けれども、イエス様はそれだけのためにあなたを招かれたのではないのです。

イエス様は、この時弟子たちを送り出すまでに、どのくらい時間をかけて教育したのでしょうか?他の宗教や芸術では、何十年もかけてやっと修行を終えるといった例が多いのですが、イエス様の宣教の期間はたった二年間でしたイエス様が宣教を始められたのが紀元28年の春で十字架の出来事は紀元30年の春です。同じ六章の後半に、イエス様が5000人の人々に食事を分け与えられた奇跡が記されていますが、ヨハネ福音書はそれが春の出来事であることを記録しているので、宣教の開始からちょうど一年がたとうとしていた頃だということがわかります。イエス様は数ヶ月で、弟子たちを送り出したということです。みなさんは、イエス様を知ってからどのくらい時間が経っていますか?一年以上たっている人は、「私にはまだ準備ができていません」と言い訳することはできません。この時弟子たちの訓練は完了していたわけではありません。見学期間が終わったのです。これからは、実習期間が始まるのです。あなたにも、イエス様のようにやってみる時が来ているのです。

そうすることによって、もっと愛することができるようになるのです。目指すのは「イエス様のような人」です。それは無理だと最初からあきらめてはいけません。その目指すところに向かって歩き始めること、歩き続けることが大切なのです。イエス様は今日のテキストで、私たちの地上での働きにおける心構えと、ここで何をするのかということを教えてくださっています。

A. 私たちの心構え

1)二人組で行こう (6b-7a)

それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。 そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。(6-7a)

さてイエス様はこのときに限らず弟子たちを遣わす時、よく2人で行かせました。それは、イスラエルの伝統でもありました。私たちにゆだねられている働きは、一人で担える程、簡単ではないのです。イエス様は、「私たちが二人、三人で心を合わせるときにわたしもそこにいる」と約束された方です。同じ信仰を持って支え合うパートナーなしには、遣わされた者として十分に働くことはできません。配偶者がクリスチャンであれば、それがあなたの最高のパートナーです。そうでなければクリスチャンの中でも特に親しい人があなたのパートナーです。あなたには主の働きを担うために、祈り合い、支え合う人々が必要なのです。私たちが掲げている信仰の基準である、使徒信条にこう記されています。

私は、天地の造り主、全能の父である神を信じます。私はそのひとり子、私たちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。私は聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。(日本基督教団、教会教育用口語訳)

父、子、聖霊、教会の後に信じるべきものとして「聖徒の交わり」とあることに注目してください。このことは、ただ必要だからというより私たちの信仰の一部というべきです。

2) 持ち物は最低限に(7b-9)

その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。(7b-9)

先週、「私たちも地上では旅人」とお話ししたことを覚えていますか?私たちは弟子たちのように徒歩で宣教旅行へ行くわけではありませんが、私たちの地上で歩みに、イエス様のこのアドヴァイスは有効です。福音を人々に知らせることを人生の目的として歩むクリスチャンにとって、本当に必要なものはイエス様に対する信頼だけです。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば必要なすべては添えて与えられる」()ことを知っています。あなたは知っているだけではなく信じていますか?私たちは快適さを追求し、不便を恐れるあまり、自分にはたくさんの物が必要だと思い込んでいます。しかし、それはイエス様に対する信頼を忘れさせ、あなたを迷子にさせてしまいます。この誰もが持っている傾向をイエス様は「どん欲」という罪だ、と警告しています。

3) ベースキャンプが必要(10)

また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。(10)

与えられた働きを着実に続けてゆくために必要な心構えの三番目はベースキャンプを確保するということです。それは旅である人生の中でも、安心して休養したり、いやされたり、パートナーや仲間たちと行動の計画を立てたりする、なくてはならないところ、教会です。今、私はユアチャーチのような目に見える、地上の教会のことを言っています。イエス様を信じていれば、神の教会のメンバーなのだから、目に見える地上の教会に属さなくてもいいという考えはまちがっています。目に見える兄弟を愛さない人は、目に見えない神様を愛することはできません。この教会をベースに、私たちは親しい人々にイエス様を紹介します。私たちにとってイエス様を伝えることは、大きな集会に人々を集めたり、街頭で宣伝することではありません。継続した人間関徐の中で時間をかけてしてゆくことなのです

4) 耳を傾ける人がいないところにとどまらない(11)

しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」(11)

私たちの周りには、残念ながら決して心を開かない人もいます。それが親しい間柄であれば悲しいのですが、私たちは人の心を変えることは出来ません。私たちに出来るのは神様が変えられるのを待つことだけです。このような人々については私たちがくよくよしても始まりません。神様にも神様を信じるあなたにも心を開かない人々のことは神様におまかせするしかないのです。出てゆく時に足の裏の埃を払い落とすというのは、「もうそれはわたしの責任ではない」ということを意味しています。それよりも前の項でお話ししたように、良好な人間関係を築いている中で、伝えてゆくことに力を注ぐべきなのです。

B. 私たちの任務

1) 悔い改めを勧める宣教(12)

十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。(12)

 ここからは出かけて行った弟子たちが何をしたのかを見てゆきながら、私たちのなすべき事を考えてみましょう。イエス様が弟子たちを送り出した第一の理由は、「悔い改めさせるための宣教」です。私たちにとってもその優先順位は同じです。私たちは、キリストの愛によって出来ることは何でもしますが、誰にとっても一番必要なのは「悔い改めてイエス様を自分の主と信じることです。この亊から離れてしまうなら、どんなに人々に喜ばれる働きをしていたとして、それは私たちの働きではありません。人々の飢え渇きを癒すこと、弱っているものを助けることは尊い、しなければならない働きですが、そこにとどまっていてはいけないのです。イエス様の働きの目的はすべての人を神の国に導きいれることだからです。キリストの体のそれぞれの部分は、この世界で様々な働きをしています。一見、福音の宣教とはかけ離れているように見える働きもあります。でも私たちの体の頭はイエス様で、イエス様の目的はひとつです。私たちは人々の物質的必要を満たすだけではなく、霊的な必要を満たすために遣わされているのです。

2) 悪霊の追い出し、病の癒し(13)

そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。(13)

弟子たちは、ただ言葉で福音を宣べ伝えるだけではなく、癒しや悪霊の追い出しといった力を伴う宣教を行いました。

私たちにも、飢え渇きや病を癒し、悪の力の支配を打ち壊す権威が与えられています。私たちの癒しや解放の働きは、ただその人の必要を満たすことではなく、神の国の力が働きつつあることを人々が知るためのデモンストレーションなのです。

この力を求めて学び祈るミーティングが毎月第二日曜の午後行われている「力の時間」です。そして第三日曜の午後には、癒しのミニストリーを系統的に学ぶ、「ミニストリートレーニング」があります。この分野で主に仕えたい方はどうぞ参加してください。

 私たちの心に注がれた神様の愛は、力として目に見える形で現れます。期待して、いただいた愛を力としても現してゆきましょう

メッセージのポイント

私たちはイエス様に派遣された者としてここに生きています。イエス様はこの箇所で、遣わされた者の心構えと任務を教えておられます。私たちの任務は一言でいうなら魂の解放です。この働きを担うためにここで教えられている大切なことは、ティームプレーであることの自覚、イエス様に対する信頼です。自分が働くべきところとそうでないところをしっかりと見極め、与えられたところで、しっかりじっくり働くことが大切です。

話し合いのために

1) なぜイエス様は、派遣される者に多くのものを持っていってはいけないと命じられたのですか?

2) 一つの家にとどまっていなさいという命令は、私たちにとってどのようなことを意味しているのでしょうか?