2007/6/24 メッセージ 1 イザヤ書15、16章

この方だけに信頼をおこう

きょうの聖書の箇所には、モアブという国の滅亡が預言されています。イスラエルの東南に隣接する国で旧約聖書にはよく登場してきます。イスラエルの王ダビデの家系にもその血はながれています。先月の母の日のメッセージに出てきたルツはモアブの女性でした。やがてイエス様につながってゆく家系でもあるわけです。このようにユダヤの民と関係の深い国でしたが、隣接していただけに対立することも多かったのです。イザヤはイスラエルと周辺諸国の将来について、神様から教えられ述べています。この託宣の通りにモアブも残念ながら悲惨な未来を迎えることになります。わたしたちは今朝、モアブの罪の本質がどのようなものだったのか?それに対して神様はどのように感じられ、どのようになさったのかを学びます。そしてこのことから、神様の心を知り、自分自身の歩みを確かなものにしていただきたいのです。

A. ただ信頼できるのは・・・・・

1) 自分ではない (16:6)

我々はモアブが傲慢に語るのを聞いた。甚だしく高ぶり、誇り/傲慢で驕っていた。その自慢話はでたらめであった。

当時のモアブの評判は驕り、高ぶり、しかもホラ吹き、と散々なものでした。これが人ならー番つきあいたくないタイプです。弱い者や劣った者に対しては冷たく、馬鹿にすることはあっても憐れみを表わすことはありません。

しかし人が、あるいは人の集りである国家や民族がどんなに強がったところで限界があります。実際以上に見せようとすれば必らずどこかに無理がきて破滅することになります。誰でも、どの民族でも、国家でも自らの強さを誇るときから衰退は始まります。神様は人とその社会を、助けあい愛し合うことによって成り立たせるようにお造りになったのです。ですから神様は喜んで手をさしのべる者、素直に救けの手にすがる者を祝福されるのです。

2) 他人でもない (16:1-4)

ある人は自分を誇ることはなくても、いつも誰かを、何かをたよりに生きています。イスラエルには高慢な態度で接していたモアブも当時の強大国、アッシリアを恐れ、様々な国と同盟を結んでバランスをとろうとしていました。しかし結局のところ、それは助けにはならず、馬鹿にしていたイスラエルに助けを求めることになります。

あなたがあてにしているものは本当に助けになるのでしょうか?

自分の手の中にあるものであれ、頼ることができそうな何か、誰かであれ、それがいつまでも頼れる保証はないのです。たったひとつの例外を除いては。

3) 神様 (16:5)

聖書はこのたった一つの例外を伝えるために書かれた、といってもいいでしょう。16:5を読んでみましょう。

そのとき、ダビデの幕屋に/王座が慈しみをもって立てられ/その上に、治める者が、まことをもって座す。彼は公平を求め、正義を速やかにもたらす。

イザヤはやがて来られる救い主をいくつかの箇所で預言していますが、ここもその一つです。

ここにはクリスチャンの方が多くいらっしゃいますから、そんな事は知っています。私が頼っているのはイエス様だけですとおっしゃるかもしれませんが、どうぞ今、ご自分の心を深くさぐってみて下さい。サタンの得意技は、クリスャンを、自分がイエス様に頼っていると思わせながら、実は富や権威や人に対する信頼にすりかえてしまうことです。

牧師やリーダーであっても例外ではありません。むしろリーダーはサタンにとって格好のターゲットなのです。ですから、日々の祈りの中で自分が正しく歩めるように、だけではなく牧師やリーダーたちが、ただ神様に頼って歩めるようにおぼえていて下さい。

B. 神様は

1) 正義を貫き通す方 (15)

今朝は全部を通しては読まないので、家に帰ったら、ぜひ今日のテキストを読み返して下さい。15章に記されている、モアブに対する預言の過酷さから私たちは何を学ぶことができるでしょうか? それは神様が妥協なく正義を貫き通す方であるということです。人が罪の道を歩み続けるなら、その先には破滅しかないのです。神様は決して悪が栄え続けることを許されません。まわりの人が、国がどのような歩みをしようとあなたが神様の義を追い求めていなければ、妥協のない神様に敵することになってしまいます。

2) 人の愚かさに心を痛める方 (16:8-11)

しかし、今日のテキストにはただ、その義を追求する神様の強さだけが記されているわけではありません。愚かにも背き、罪を犯し続ける人間に対して神様は怒りを発するだけの方ではないのです。ここで、神様が私たちに対する憐れみから、涙を流され、大きな心の痛みを覚える方である事を知ることができます。神様は、徹底して正義を追求する事と、無限の憐れみを表すという、人間では耐えられない矛盾を御自身の中であの十字架に昇華させたのです。十字架は神様の義と愛の交点なのです。ここにしか人間の救いはありません。御子イエスとして人の罪の結果をその身に背負い、赦しを与えて下さいました。神様は、人をわけもなく苦しめるような方でも、要求通りに甘やかす方でもなく、十字架を通して唯一の救いを与えて下さる方なのです。

メッセージのポイント

モアブの破滅は,単なる歴史的教訓ではなく、わたしたち一人一人の生き方を見直す人生の教訓です。調子の良いときには自分を誇り、他者に対する尊敬や憐れみを忘れるわたしたち。ひとたび弱さを感じれば、とにかく頼ることができそうなものにすがりついてしまう私たち。このようなわたしたちが知るべき唯一のことは、「どのようなときでも、ただお一人の神様に従う」という生き方です。神様は正義を貫き通す方であると同時に、弱く罪深いわたしたちの痛みを、自分の痛みとして苦しまれる方です。神様はあの十字架の出来事において、正義と憐れみを共に貫かれました

話し合いのために

1) あなたが何かに信頼して失敗した経験をシェアしてください。

2) このメッセージであなたの神様に対するイメージはどのように変わりましたか?