December 2nd, - December 8th, 2007 Vol.14 No.48


メッセージプラン アドヴェントシリーズ(1/4) イザヤ書52章

預言されていたイエスキリストの誕生

シリーズ全体の教えのフォーカス

 アドヴェントは、クリスマス前の4週のことです。イスラエルはその苦しみの歴史の中で救い主が現れることを永く待ちわびていました。イエスキリストの誕生が人類に与えた大きな変革の意味を、このアドヴェントの期間にもう一度深く心に刻み付けましょう

子供たちに伝えたいこと

クリスマスの第一の意味は、神様がイエスという一人の人としてこの世界に来て下さったことです。その目的はすべての人がイエス様を主と信じ永遠の命を得るためです。私たちがこの恵みに応えるのにもっとも良い方法は、いつもイエス様を礼拝し、ほめたたえ、その恵みをできるだけ多くの人に伝えることです。

 

旧約聖書には預言者たちによるイエス様が来られることについての預言が多く記録されています。もっと広く考えるなら、旧約聖書全体がイエス様についての預言の書という言い方をしてもよいでしょう。今朝はアドヴェントの最初の日曜日のメッセージとしてイザヤ書52章の預言をとりあげます。

A イエス様はどんなミッションをするためにこの世界に来て下さったのか?

1) 私たちを「買い戻す」ために (1-3,13-15, ヘブライ人への手紙10:10-18, ヨハネ3:16-21)

奮い立て、奮い立て/力をまとえ、シオンよ。輝く衣をまとえ、聖なる都、エルサレムよ。無割礼の汚れた者が/あなたの中に攻め込むことは再び起こらない。 立ち上がって塵を払え、捕らわれのエルサレム。首の縄目を解け、捕らわれの娘シオンよ。 主はこう言われる。「ただ同然で売られたあなたたちは/銀によらずに買い戻される」と。 (1-3)

 イスラエルがその歴史の中で何度も侵略され占領され苦しんだ、その苦難の根本的な原因は、神様に背を向け続けたことにありました。ただ同然で売られた、つまり奪われた、だまし取られたということです。しかしそのような状態から買い戻される日が来る、というのがこの預言です。それにしても、銀によらず、つまりお金を払わず買い戻されるというのはおかしな表現です。何か本当に特別な方法で与えられる自由です。このような預言からイスラエルの人々は、やがて救い主が来られるということを期待していました。しかしそれがあまりにも特別な方法だったので、多くの人々は救い主が来られたことに気付きませんでした。イエス様を救い主とは信じられなかったのです。

見よ、わたしの僕は栄える。はるかに高く上げられ、あがめられる。 かつて多くの人をおののかせたあなたの姿のように/彼の姿は損なわれ、人とは見えず/もはや人の子の面影はない。 それほどに、彼は多くの民を驚かせる。彼を見て、王たちも口を閉ざす。だれも物語らなかったことを見/一度も聞かされなかったことを悟ったからだ。 (13-15)

 神様がただで買い戻すというのは、イエス様御自身が十字架の呪いをすべてその身に引き受けることによるサタンからの魂の解放を意味していました。彼らがそれを理解することができなかったのは、領土の武力による解放ではなかったからです。彼らには十字架は敗北のしるしでしかなかったのです。そして、魂の解放が必要なのはイスラエルだけではありません。神様を信じられないすべての魂は、いわばサタンに奪われている魂です。イエス様の十字架は、イスラエル民族のためだけにではなく、すべての人のためでした。このこともイスラエルが受け入れることを困難にしました。イエス様はご自身の命という、お金には換算できない高価な代価ですべての人を買い戻すために来られたのです。

2) 私たちがその名を知るために (4-6, ヨエル3:1-5)

 この神様の解放の恵みをイエス様が「ただで」買い戻してくださったということは、私たちにも無料で提供されているということです。無料といっても私たちにするべきことがあります。それは勿論無料なのですから、お金の支払いや、それに見合った労働も要求されてはいません。ただ、「受け取る」必要があるのです。イエス様の前に進み出て「私はそれをいただきます」と言わなければならないのです。神様は、この恵みのチャンスをすべての人に提供されますが、受け取るか受け取らないかはあなた次第だということです。

主なる神はこう言われる。初め、わたしの民はエジプトに下り、そこに宿った。また、アッシリア人は故なくこの民を搾取した。 そして今、ここで起こっていることは何か、と主は言われる。わたしの民はただ同然で奪い去られ、支配者たちはわめき、わたしの名は常に、そして絶え間なく侮られている、と主は言われる。 それゆえ、わたしの民はわたしの名を知るであろう。それゆえその日には、わたしが神であることを、「見よ、ここにいる」と言う者であることを知るようになる。 (4-6)

長い間人類は神様について聞かされてきましたが、神様を見ることはできませんでした。しかし、神様をその目で見ることのできる日は近いと、イザヤは預言しています。神様は「見よ!ここにいる」と言えるように、イエスという一人の人として私たちの前に来て下さったのです。それを見過ごしてしまった多くの人々とは違い、それに気がついた一握りの人々がいたことが、今私たちがクリスチャンとして存在していることの最初のきっかけだったのです。その少数の人々は、イエス様こそ、預言されていたイマニュエル(神様が私たちと共におられる)であると確信し教会は始まりました。教会は、まだ神様を知らない人々が確信を持ってこの名を呼び求め、恵みをいただくことができるように2000年の間、働き続けているのです。


B 私たちはこの愛にどう応えたらよいのか?

この働きによって私たちは朽ちることのない本当の愛を知ることができました。私たちはこの愛に応えて生きてゆくことを期待されています。それではどのように、応えていったよいのでしょうか?このことを、1) 人々に対して、2) 神様に対して、3) 自分自身に対して、という三つの観点からお話しします。

1) 恵みをリレーしよう (7-8, ローマ10:11-15)

いかに美しいことか/山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え/救いを告げ/あなたの神は王となられた、と/シオンに向かって呼ばわる。 その声に、あなたの見張りは声をあげ/皆共に、喜び歌う。彼らは目の当たりに見る/主がシオンに帰られるのを。 (7-8)

 私たちはこの恵みをリレーしています。あなたにイエス様の恵みを伝えた人がいます。あなたによってイエス様を知る人がいます。わたしたちもイエス様のことを愛する人々に伝え続けましょう。それが、神様の愛に応えて人々にあなたがなすべきことです。わたしたちはただ恵みによって、あなたの周りの人々よりも一足先に受け取ることができました。リレー競技は一人一人がどんなに足が早くてもリレーのタイミングが悪ければ、バトンタッチを失敗すれば、よいタイムを出すことはできません。

2) 主を礼拝しほめたたえよう (9-10, 詩編98編)

歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。 主は聖なる御腕の力を/国々の民の目にあらわにされた。地の果てまで、すべての人が/わたしたちの神の救いを仰ぐ。 (9-10)

 神様を礼拝するとは、ただ神様にのみ心を集中し、神様に聞き、歌い、祈ること、神様との深い交わりの時をもつということです。イザヤ書のテキストの順に従って、恵みをリレーするということを先に話しましたが、礼拝という神様との親しい交わりの時である礼拝を大切にしないなら、この恵みを伝えるどころか、自分自身がこの恵みからそれてしまいます。ですから2番目に話しましたが、礼拝は神様の愛に応える最も重要なことであることを忘れないで下さい。

3) 神の国に向かって歩み続けよう (11-12, 2コリ5:1-10)

神様の愛に応えることの3つ目のポイントは目的地に向かって歩み続けるということです。

立ち去れ、立ち去れ、そこを出よ/汚れたものに触れるな。その中から出て、身を清めよ/主の祭具を担う者よ。 しかし、急いで出る必要はない/逃げ去ることもない。あなたたちの先を進むのは主であり/しんがりを守るのもイスラエルの神だから。 (11-12)

私たちは罪の世界で真理を知り、神の国に向かう旅に出発しました。しかし私たちは天に移される直前まで、この世界を歩み続けるのです。それが意味するところは、この旅の最初から最後まで、悩み苦しみを避けることはできないということです。それでも神様は、急いで出る必要はない、逃げ去ることもない。と言われます。それは、この世界の中でなすべきことが多くあるからです。そして、どんなに困難が多くても私たちはやり通すことができます。「あなたたちの先を進むのは主であり、しんがりを守るのもイスラエルの神だから」です。イエス様は十字架で罪を赦すためにだけこられたのではありません。イエス様はあなたの人生の道を先頭に立って導くように、それと同時にー番後を歩み、あなたが落伍してしまわないように共に歩むためにこられたのです。あなたもイエス様という唯一信頼のおける人生の同伴者とともに安住の地に向かって歩み始めませんか?

メッセージのポイント

イエス様の誕生は旧約聖書にも預言されていました。イザヤはその預言で、ただ救い主が現れるということだけではなく、どのようなお方として来られるのか、それに対して私たちがどう応えてきるべきなのかも教えてくれています。クリスマスは、私たちに唯一の救いに至る名をもった方として、権力や武力ではなく、十字架の苦しみと死によって私たちに、何よりも大切なもの「神様と共にある永遠のいのち」を与える方の誕生日です。心からの賛美と礼拝をささげながら、クリスマスを待ち望みましょう。

話し合いのヒント

1) イエス様は何のためにこの世界に来られたのですか?

2) この恵みへの感謝をあなたはどう現しますか?