December 30th, - january 5th, 2007 Vol.14 No.52

反省して、成長しよう ヤコブの手紙 1:19-27

今年の1月第二週、私たちはユアチャーチの2007年の歩みの指針「神様の求める人材となろう」ということについて、このテキストから学びました。今年最後のこの礼拝で、もう一度このテキストを読んでこの一年を振り返り、神様の恵みに感謝しましょう。

A. 神様の言葉の力を経験できましたか?

1) 誰かの話をよく聞いてあげられましたか? (19a)

わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く

この一年間、注意深く聞くことが以前よりも少し増えたと思いますか?残念ながら、あまり去年と変わらなかったと思う人は、このことがマナーの問題ではなく、実は愛の問題なのだということを知って下さい。できるだけそうしなさいとか、聞き上手な人はそうしなさいというのではありません。わたしたち皆に命じられていることです。わたしたちは愛するということは裁くことではなく受け入れることだと信じています。それに当てはめて考えるなら、愛することは「語る」よりも「聞いてあげること」である場合の方がずっと多いということが理解できるでしょう。語ることは自分の意見を表明することです。良いものにせよ悪いものにせよ、評価すること、つまり裁くことです。正しい裁きを求められたとしても、正しい裁きをするためにはよく聞くことが欠かせません。しかし大抵の場合、人はあなたに裁いてもらいたいのではなく、聞いてもらいたいのです。つまり、正しく裁く自信がなくても、愛することができるということです。どうか、あなたに聞いてもらいたい人のために、全身全霊を傾けて聞いてあげて下さい。

2)怒りをコントロールできましたか? (19b-20)

次に、怒りについて考えてみましょう。ついつい怒りを爆発させてしまったこともあったでしょう。それは去年に比べて少なくなりましたか?

また怒るのに遅いようにしなさい。 人の怒りは神の義を実現しないからです。

 怒りの感情を持たない人は一人もいません。イエス様でさえ、神様に挑むような人々の振る舞いに怒り、彼らを憤慨させるような行動をとられたこともあります。わたしたちは怒ってはいけない、と命じられているわけではありません。怒るに遅くあれ、つまり簡単に起こってはいけません、ということです。そしてその理由は、人の怒りは神様の義を実現しないから、とあります。先月、モーセの生涯から学ぶメッセージをしましたが、虐げられているユダヤ人たちを見たモーセの最初のアクションをおぼえていますか?彼は怒ってエジプト人を殺してしまいます。彼の同胞を憐れむ心と、迫害する者に対する怒りは正当なものでした。しかし人が抱く怒りは、性急に現すなら良い結果を招きません。今年もやってしまった、という方のために、怒りが心の中で不健康な者にならず、また悪い結果をもたらさないようにするためのチェックポイントをお話ししましょう。心に怒りを覚えたら、まずそれが神様の支持される怒りなのかどうかということを考えてみましょう。誰かに怒りを覚えたとき、単に自分が不愉快で怒っているのか、神様はどう感じておられるのか判断します。それが自分だけの怒りに過ぎないなら、怒り続けたり、行動に移してはいけません。「神様私のこの怒りをどうぞ鎮めて下さい」と祈って終わりにします。もし神様も自分の怒りに賛成して下さっていると思っても、怒りを爆発させてはいけません。行動に移す前に、心の中で短く祈りましょう。「神様、この怒りがあなたの怒りでもあるなら、あなたの栄光となるような行動をとらせて下さい。」 あなたの怒りが強ければ、たとえ神様の義にかなうものであっても、あなたの心は神様から遠く離れていきます。そして自分が神様のような気持ちでその人に怒りをふりそそいでしまうのです。このように祈ったり考えたりしているうちに臨界点に近づいていた感情は落ち着いてきて正しい判断をすることができるようになります。怒りをコントロールするということは自分の意志でそれを押さえつけることではなく、神様に介入していただくことなのです

3)神様の言葉はあなたの心に根付きましたか?(21)

一月にはしゃべり過ぎや怒りをコントロールするためにもっとも基本的で大切なことは「心に植え付けられた御言葉を受け入れる」ことだと学びました。21節です。

だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。

神様の言葉の種は蒔かれ芽を出し育ち始めます。ここまでは比較的簡単なのです。問題はその先で、ヤコブの表現を借りるなら、神様の言葉を受け入れているか、ということです。つまりそれは、神様の言葉があなたの心にしっかりと根付いているか、神様の言葉に大きな影響を受けているかという問いです。このことは結果的にしゃべり過ぎや怒りをコントロールする助けになりますが、神様の言葉は単にわたしたちの生活を豊かにするツールはありません。人は神様の言葉で生きるとイエス様がおっしゃったように、神様の言葉こそわたしたちのライフライン。 ですから新しい年は今年よりもっと、心に植えられた神様の言葉を自分の心の中にしっかりと根付かせて、神様の言葉で恵まれるだけではなく成長しましょう。

B. 神様の言葉を行う人として成長できましたか?

1) 神様の言葉を行う人の幸せを味わいましたか(22-25)

御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。 御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。 鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。

 私はこの一年、多くの人々がユアチャーチの働きの一部として、神様の言葉を行っているのを見ることができて、とてもうれしく思っています。皆が聖書の言葉を聞いて喜ぶだけではなく、互いに、あるいは社会の中で神様の言葉を行って幸せを実感しました。この幸せはお金では買うことのできない貴重な幸せです。この幸せは求めて与えられるものではなく、神様の言葉を行うことことによって与えられるものなのです。

 あなたの2007年は幸いな年でしたか?それは何を手に入れられたか、何があったかの数で決まるのではありません。幸せの秘訣はイエス様の教えを一心に見つめ、行うことなのです。

2) 神様の言葉を行うことによって清くされることを実感できましたか(26-27)

最後に26?27節を読みましょう

自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です。みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。

ここに三つの清さのバロメーターが記されています。舌を制する。困っている者の世話をする。自分の心を悪に染まらないように守る。

 舌は私たちにとって最もコントロールしにくい器官です。勿論実際の「舌」の問題ではなく言うべきではないことを言ってしまう「心」の問題です。神様を賛美するその同じ口でわたしたちは嘘をつき、攻撃し、神様を悲しませることが、自分の心を欺いているということです。今年、舌をより良くコントロールできるようになりましたか? このことは、なかなかうまくいかないことですが、気をつけてコントロールしようという意志を持っているのといないのとでは大きな差が出てきます。うまくいかなかった人は、新しい年、「神様どうか私の舌を清め今日一日、あなたの僕にふさわしく語れるように守って下さい」と言う祈りで一日を初めてみたらどうでしょう。

 困難の内にある人々の助けになるという点でも、ユアチャーチは少し成長できたのではないでしょうか?神様はわたしたちに様々な働きをさせて下さいました。しかし気をつけなければならないことがあります。それは、まずこの体の中で困っている者がそのままにされていないかということです。どんなに外に向かってよい働きができたとしても、ユアチャーチの中で十分な世話を受けていない人がいたとしたら残念なことです。

 世の汚れに染まらず自分を守るためにはどうしたら良いのでしょうか?ファリサイ派の人々の勘違いは、清さを守るためには自分を社会から隔離するべきだと考え実行したことです。わたしたちは社会がどんなに汚れていても、そこにいるだけで汚れてしまうのではありません。むしろこの世の中に踏みとどまり、世の光り、地の塩として働きなさいとイエス様は勧めておられます。正解を一年前にお話ししたのですが、おぼえていますか?答えは詩編の119編9節にあります。どのようにして若者は歩むべき道を清めるべきでしょうか。あなたの御言葉通りに道を保つことです。今週始まる新しい年は今年以上に、聖書を道しるべとして歩んでゆきましょう


メッセージのポイント

今年の始め、「神の国」のための働きに参加するために、神様の言葉を一心に見つめ、それを守る人、そして行う人になろうというメッセージでユアチャーチの一年は始まりました。十分とか完全という表現にはほど遠いものの、一人一人のチャレンジの結果が多くの恵みとして豊かに実りました。神様の言葉にこだわり続けた人は皆、すこしずつ成長できました。今年の聖書の言葉が週報に掲載されるのは今日で最後ですが、わたしたちの行う人になるチャレンジは生涯続きます。

話し合いのために

1) 聞くのに早く、話すことや怒ることに遅くなれましたか?

2) 今年、どのように御言葉を行うことが出来ましたか?