July 13th,- July 19th, 2008 Vol.15 No.28

教会(自分)をもっと良く知るシリーズ:エフェソの信徒への手紙より (8)
戦いのただ中にいる私たち (6:10-24)

A. あなたが戦っている戦いとは (10-12)

1) あなたも戦士です(10-11)

最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。(10-11)

エフェソの信徒への手紙は、主の力によって強くなりなさいという、という勧めで締めくくられています。私たちの多くは、様々な争いに疲れ、平安を求めてクリスチャンになったのだと思います。ところが今日のテキストは、私たちが戦いの中にいることを告げています。実は聖書には、クリスチャンの歩みは戦いでもあるという事を多くの箇所から見いだす事ができるのです。来週のバプテスマを受けようとしている方が、もし「水に入って出てきたら全ての悩みや問題とはもう戦わなくてもいいのだ」と考えているとしたら、がっかりするでしょう。バプテスマを受ける皆さんに私は「地上の天国へようこそ、どうぞ天国に帰るその日までゆっくりしていってください」とは言えないのです。むしろわたしは「ようこそ最前線へ、さあ一緒に戦いましょう」と言わなければならないのです。それは、今までが平和だったというわけではないのです。状況が変わったわけではありません。私たちは今まで、本当の敵を知らず、戦いに必要な武器も持たず、防具も持たず、見当はずれな戦いをしてきたということです。個人の間での争いであれ、集団あるいは国家の間での戦いであれ、そのような私たちの様子を見て喜んでいる「本当の敵」がいるのです。

2) 敵は人ではありません(12)

わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。(12)

本当の敵はここで書かれている暗闇の世界の支配者です。聖書が、サタンあるいは悪魔とも呼んでいる存在です。神様が目には見えないけれど人格的な存在であるのと同じように、そのあり方は正反対ですが、やはり目には見えない人格的な存在です。そのような敵に対しての戦いは、私たちが考える、人間同士の争いとは次元の異なるものです。戦い方も、武器も全く異なるものなのです。しかしこの戦いこそ、私たちが直面している現実の戦いです。地上にあふれている様々な争いは、見当はずれな、「本当の敵」によってかく乱された、無益な、敵を利するだけの同士討ちのようなものでしかありません。 この戦いは、罪との戦いと言い換えることができます。聖書のいう罪とは、神様との断絶です。未だに多くの人々がこの状態に捕らえられています。世界を、この罪による混乱の状態に留め、滅亡に至らす事が悪魔のミッションです。私たちのミッションは、この混乱から人々を解放し、神様だけが与えることのできる永遠の平和に招き入れることです。  敵は当然、あなたが解放された事も、あなたが戦いを挑む事も喜びません。隙があれば、再びあなたを罪の闇に取り返したいと考えています。私たちが真剣に戦おうとすればするほど、敵は様々な方法で私たちの攻撃を鈍らせようとします。敵の妨害は巧妙です。私たち皆の内に残っている罪の性質につけ込んで、教会の中に問題を起こしたり、一見正しく、楽しく、有意義そうな事で実は教会の本質を歪める事に夢中にさせたりしようとします。 教会が消滅したり、カルト化したりしなくても、敵にとっては無害な教会になれば十分なのです。無害な教会とは戦わなくなった教会です。敵は戦わない教会を攻撃する必要はありません。もう敵にとって脅威ではないからです。皆さんは問題の起きない楽しい教会生活を送るために戦わない教会のメンバーでいたいですか?それとも、敵が投げ込んでくる問題の対処に悩んでも、戦う教会のメンバーでいたいですか?パウロによれば選択の余地はありません。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。と勧められているのです。

B. 私たちの防具と剣 (13-17)

1) 防具(14-17a)

だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。 また、救いを兜としてかぶり、(13-17a)

ここからパウロは私たちの武具について説明していますが、彼は防具についての説明から始めています。どんなに強力な武器を持っていても、防具なしに戦う事は無謀です。神様は私たちが堅実に戦いを進めてゆく事を願っておられます。そのためにはまず、せっかく解放された私たちが、足元をすくわれないように、何で身を守るかを知らなければなりません。パウロはそれらを、真理の帯、正義の胸当て、平和の福音を告げる準備としての履物、信仰の盾、救いの兜と表現しています。 これらのことを一つずつ細かく解釈しなくてもよいと思いますが、これらは、私たちのクリスチャンとしての生き方の根幹にかかわる事です。あなたの生き方がぶれないように、こうお勧めしたいと思います。1) 真理の帯: 真理である方にしっかりと結ばれていましょう。 2) 正義の胸当て: 神様の価値観に立ち続けましょう。 3) 平和の福音を告げる準備としての履物: 救いを告げ知らせるという戦いの目的を忘れず歩みましょう 4) 信仰の盾: 主を信頼することこそ、敵の激しい攻撃に対して最も有効な防具である事を知りましょう 5) 救いの兜: 救いの事実に疑いを差し挟むなら、ヘルメットなしで戦場にいるほどに危険である事を覚えましょう 2) 剣(17b) 霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。(17b) 剣は紹介されてきた他の防具と異なり攻撃と防御の両方に必要な武具である事に注目してください。 聖書の言葉は、霊的な攻撃から自分の身を守るためにも有効ですが、世界を変革させるための強力な武器でもあるのです。私たちは、自分の思いではなく、聖書の語るところによって世を裁く権威が与えられています。聖書の言葉で自分が励まされるだけではなく、聖書を根拠に人々に、悔い改め神様のもとへ立ち返る事を勧めたり、それはするべきではない、あるいはそれをしなさいと判断して世を変える提言をしたりできるのです。イエス様御自身も悪魔の誘惑を、神様の言葉の剣で一つ一つ断切られました (マタイ4:1-11、ルカ4:1-13)。

C. 戦い続ける力を得る(18-24)

1) 祈りによって (18-20, 23-24)

どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。 また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。 わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。(18-20)

平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟たちにあるように。 恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。(23-24)

パウロは18-20節で祈る事を勧め、23-24節ではこの手紙を祈りによって締めくくっています。私たちに与えられている武具は大変素晴らしいものです。しかし、これらを使いこなすためのスキルがあっても体力がなければ使いこなす事はできません。この私たちの霊的な体力は祈りによってつくものなのです。だからパウロが勧めるように、互いのために根気強く祈り続けましょう。祈ると共に祈ってくださいと求めましょう。私たちには皆、祈る必要だけではなく祈られる必要があるのです。

2) 使者を迎えて(21-22)

わたしがどういう様子でいるか、また、何をしているか、あなたがたにも知ってもらうために、ティキコがすべて話すことでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟であり、忠実に仕える者です。 彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼から心に励ましを得るためなのです。(21-22)

パウロは、困難を覚えているエフェソの教会に対して、手紙を送って指示したり、励ましたりするだけでなく。また、私は祈っているから、頑張って下さいね、と言うだけでもなく、もう一つのことをしました。それはティキコという人を彼らのところに送ったという事です。神様はこの教会を愛しておられますが、それは私たちがキリストの体である一つの教会に属しているからです。神様は、私たちの教会にも普段は共にいない人々を送って、励ましてくださいます。私たちもまた一つの体の別の部分に人々を送って励まします。互いに様子を知り合って、助け合い、励まし合うことができるのです。ですからユアチャーチも一つの体の一部だという事を忘れないように、教会としても他の体の部分と、互いに仕え合うものでありたいと思います。

メッセージのポイント

あなたは神様の戦いの兵士として戦っています。この世界に生きている限り、あなたの戦いは続きます。敵は「悪魔」です。この敵はあなたに姿を見せることはありませんが、悪い思いを人の心に密かに育てて、目に見える被害をもたらそうとします。傍観者ではいられません。戦おうとしないなら、つけ込まれるからです。神様の勝利は確定していますが、あなたが勝利できるかどうかはあなたがどちらの側に立っているかにかかっています。だから、神様の下さる霊的な防具で身を守り、霊的な剣(神様の言葉)で戦いましょう。霊的な基礎体力を持つことも大切です。それは、祈りと交わりによって強化されます。

話し合いのヒント

1) 順番に霊的な防具を一つあげて短くコメントしょう?

2) 祈りは武具としてあげられていませんが、なぜでしょうか?