October 5th-11th,2008 Vol.15 No.40

本当の愛を知る(3回シリーズ:第一コリント13:8-13) (3)

信仰、希望、そして愛

A. 地上での歩みでは

1) 部分的に役立つものも与えられている

愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。 完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。(8-10)   

時間の経過に従って、大抵のものは変化してゆきます。ある時には、大変重要で高価だったものでも時が立つと誰にも見向きもされなくなってしまうものです。かつてヨーロッパでは胡椒が大変貴重で同じ重さの金と交換されたほどでした。お金は、時間お経過にかかわらず確かに生活に必要なものです。しかし場合によっては、持っていても意味がない、むしろ邪魔になることがあります。ディケンスの小説、クリスマスキャロルのスクルージのようにです。  世の中には、愛を知ることを邪魔するものが沢山ありますが、お金のように、その多くはその存在自体が悪いのではなく、人がそれをどう扱うかが問題なのです。  教会の中にも、扱い方によっては、私たちを本当の愛から遠ざける要素が多くあることを知っておく必要があります。コリントの教会では、預言や異言、知識を誇り、愛の配慮が疎かになっていたのです。私達が何故それをするのかという根本的理由を見失うなら、私たちの礼拝やミニチャーチでさえ神様に喜ばれないものに変質してしまう恐れがあるのです。 結局のところ私たちの営みのすべては、神様を愛することを知る、互いに愛し合うことを知る、世界を愛することを知るために存在します。終末が来るか、あるいはあなたが天の国に移されることによりその目的が達成したなら、もう預言や異言、知識によってもっと主に近づこうとする必要はなくなるのです。そこにはただ実現した完全な愛があるからです。

 

2) 子供の視野は狭い

幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。(11)

人は肉体的に、精神的に成長するだけでなく霊的にも成長できます。皆さんは子供の頃、早く大人になりたいと思いませんでしたか?少しでも年上にみられたいと思えた頃が懐かしいですね。何歳か若くなりたいと思う人はいるかもしれませんが、子供の時に帰りたい思う人はいないでしょう?いろいろな面でまだ未発達だった時の自分にはもどりたくはないのが普通です。しかしクリスチャンとして霊的に成長したいと思っている人は多くはありません。赤ちゃんのままで満足してしまっているのです。その人が悪いというよりも教会がそのようにしてきてしまったのです。教会の存在目的は、イエス様によれば世界中の人々を「弟子」とすることです。弟子とは単なる観衆ではありません。師から学びやがて自分も師となり自分の弟子を育てるのが弟子です。それは福音書の時代から、使徒言行録の時代に移る時最初の弟子たちにイエス様が命じたことです。「イエス様を信じてクリスチャンになりました」それは確かに素晴らしいことです。結婚式が長い結婚生活のスタートラインであるように、信じて救われることは出発点なのです。霊的に新しく生まれたのです。しかしそこで教会が満足して、生命を維持するだけで満足し、大人にするために育てないなら、クリスチャンは霊的な赤ちゃんで居続けるということになります。イエス様がデザインした教会は牧師と言う専門家が一人で礼拝や集会を魅力的なものにして信じる者を増やす、というものではありません。愛されていることを人々に伝え(伝道)、気がついた者に愛することを教え(交わり)、愛することを知った者をまだ知らない人のために送り出す(宣教)。それがイエス様の教会です。ユアチャーチのすべての営みは、人々が次の段階へと成長するためにあるのです。私たちは「愛されるために生まれた」のではなく「愛するために生まれた」のです。神様に愛されていない人は一人もいません。もちろん愛するためには第一に愛されていることを知らなければなりません。しかし、そこはゴールではありません。ゴールは、愛し合う訓練を受け、愛する人として成長するクリスチャンライフという長い道程の先にあるのです。

 

3) 誰もすべてを知ることはできない

わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。(12)

当時の鏡は現代の物のようにはっきりと自分の姿を映せる物ではありませんでした。もちろん写真もビデオもありませんでした。つまり自分の顔をハッキリと知っている人は一人もいなかったということです。その方が幸せだったかもしれませんね。ここで昔のおぼろにしか映らない鏡にたとえられているのは、神様を知るということです、最後のときが来るまで教会は不完全な知識で神様を知り、伝えているのです。だから誰も「私は完全に神様を知っているから私に従いなさい」とは言えません。コリントの教会には、自分の賜物を誇り、私こそ神様についての完全な知識を持つ指導者だと主張する者たちによって混乱していました。知らないこと、分からないことがあって当然なのです。教派によって聖書の解釈や教えの違いがあるのもしかたありません。どんなに立派な教理の体系でも完全なものは一つもないのです。なんとか神様の愛の意思にかなうように行動しようと努めても、クリスチャンの誰もが間違うことがあるのです。私は知っていなくても、神様は知っておられるという信頼によって、失敗を恐れず、自分が間違っているかもしれないという謙虚さを持ちながら歩んでゆきましょう

 

B. 決してなくならないもの

それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。(13)

1) 愛は決して変わらない

「神は愛です」(1ヨハネ4:16)

愛は神様の変わることのない本質です。永遠の方である神様の愛は決して枯れることはないのです。そこで、あなたの愛が枯れているとしたら、その理由は明らかです。それはあなたが愛の源である神様ともともとつながっていないのか、パイプが外れているのか、どこかでゴミが詰まっているのか、とにかく枯れるはずのない愛が何らかの理由でとどいていないのです。神様はあなたを愛しておられます。このことに気がつくことが、新しい人生の第一歩です。あなたが新しくなりたい、このままの自分ではいけないと思っているなら、どうかこの第一歩を踏み出して下さい。それは神様とのパイプを造ることです。聖書によればその方法はたった一つしかありません。イエスキリストを自分の主と信じ従うことです。「私は道であり真理であり命です。私を通らなければ誰も父のもとに行くことはできない。」(ヨハネ14:6) これは、いつの時代にも現われる、人々からお金を巻き上げようとした宗教的ペテン師の言葉ではありません。御自身は人々から何も求めず、むしろ私たちの神様に背いた罪の赦しのために十字架にかかって命を与えたイエスキリストの言葉です。 一度はイエス様を信じ、神様とのパイプを開通したのに、愛に飢え渇いている人もいます。理由は愛が流れてこないからではありません。パイプが外れてしまった(神様に背を向けてしまった)か、ゴミが詰まって(邪魔するものがあって)届いていないのです。外れてもいないし、詰まってもいないのに不足を感じるならパイプをもっと太くすることです。それは、礼拝やミニチャーチによってイエス様をもっとよく知ることです。

 

2) 愛されているから信じ続けられる。

希望を持ち続けられる 神様と愛のパイプラインでつながっているということは、愛することができるという恵みと共に、他のものからは得ることのできないふたつの副産物を得ることを意味しています。イエスキリストと共に新しい人生を歩むということは、決して信頼を裏切ることのない方と共に歩むということであり、どんなことがあっても希望を持ち続けることができるということです。あなたが一番大切なものは何ですか?食べ物はやがて傷んで食べられなくなります。お金は使えばなくなります。そのお金で買った物もやがて使えなくなります。生き物は必ず死ぬ時が来ます。しかし、私たちの魂はいつまでもなくなることはありません。だから、魂をどのような状態に保てるのかということはあなたの最大の関心事であるべきです。魂を、悲しみや不安の状態に保ちたいと思う人はいないでしょう?いつも喜びと平和のうちに歩めるのは、神様を信頼する魂、希望を抱いている魂、愛する魂の持ち主です。どうかそのためにイエスキリストというパイプで神様と繋がって下さい。

 

メッセージのポイント

人々が大切だと思っているものは何でしょう?財産、地位、人間関係、家族?あなたが一番大切なものは何ですか?食べ物はやがて傷んで食べられなくなります。お金は使えばなくなります。そのお金で買った物もやがて使えなくなります。生き物は必ず死ぬ時が来ます。しかし、私たちの魂はいつまでもなくなることはありません。だから、魂をどのような状態に保てるのかということはあなたの最大の関心事であるべきです。魂を、悲しみや不安の状態に保ちたいと思う人はいないでしょう?いつも喜びと平和のうちに歩めるのは、神様を信頼する魂、希望を抱いている魂、愛する魂の持ち主です。信頼・希望・愛が滅びないのはこれらが神様の愛によって与えられているものだからです。神様の愛は変わることがありませんから、これらは永遠に失われることはありません。これらの中で特に「愛」が最も偉大だとされているのはそれが神様の本質だからです。

 

話し合いのために

1) パウロはなぜこのようなことをコリントの人々に書き送ったのでしょうか?
2) なぜ、信仰、希望、愛の中で愛が一番偉大なのですか? なぜ未来のために歴史が重要なのか?