December 14th, -20th, 2008 Vol.15 No.50 Advent III

羊飼いから学ぶ (ルカ2:8‐20) カディール マーティン

2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。 2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」 2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。 2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 2:18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。 2:19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。 2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

聖書の時代における仕事のトップ3

今朝は皆さんに羊飼いという仕事についてお話していきたいと思います。そしてその羊飼いから学びたいと思っています。2ヶ月前に詩編23章で神様は私たちの羊飼いと学んだことをおぼえていらっしゃいますか?神様ご自身が単純で欠かすことのできない一つの例として使うように、何がそんなに羊飼いは特別なのでしょうか? 私は羊飼いについて調べてみました。聖書の時代には農業、漁師、そして羊飼いのように3つの仕事が主に上げられる仕事の種類です。当時最も重要とされた職業は農家です。なくてはならない収穫物は、ワインを作るためのぶどう、料理、照明、掃除、薬に使うためのオリーブオイル、そしてイチジクでした。この職業のなかでは漁師というのは危険なものと考えられていました。突然の嵐や、強風、もちろん彼らは高い性能のナビゲーションなんて持っていないわけですから、想像がつきますよね。 羊飼いもやはりとても重要な職業でありました。ただ羊たちにえさをやり、遠くまで羊たちを引き連れ、特に夏は長い距離を歩くだけではありません。毎晩全部の羊の数を数えて確認しなくてはなりませんし、その羊一頭一頭を開いた囲いの中へ誘導しなくてはなりません。やっと眠れても、囲いの門の前で、羊たちのドアになって眠らなくてはいけません。いつでもこの羊を泥棒やきつね、熊、ライオンのような敵から守る体勢でいなくてはならないのです。(SECOMのようですね)羊飼いはそのほとんどの生活を羊と共にするのです。ヨハネによる福音書10章1から21節で、イエス様は良い羊飼いあり、私たちは神様の羊であると教えています。この羊飼いと羊の関係は、親密で個人的、安全を保障されている生活、終わりのない導き、そして無条件の愛、という関係を私の頭の中に鮮明に描き、引き出してくれました。

 

最初のイエス様の訪問者:羊飼い

聖書の時代においては、羊飼いとはそれほど貴重でも評価される仕事でもありませんでした。彼らは社会の中で低い地位にいましたが、それでも主は彼らを選ばれました。主の天使は彼らの前に現れ、すばらしい喜びを知らせました。そしてまた主の天使は、すばらしい神様への賛美を声を一つにして見せました。(14:いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心にかなう人にあれ。) 羊飼いはイエス様に何も贈り物は持っていっていません。またシャワーを済ませ、着替えてから、なんて考えもしませんでした。ただそのままでイエス様のところへ行きました。彼らは彼ら自身を持っていったのです。自分たちの人生の願いを持ってイエス様に会いに行くのです。羊飼いは天使の招きを少しの迷いもなく受け入れているのです。

 

イエス様誕生の第一の生きた証人:羊飼い

17:その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 この箇所から私は、この羊飼いたちがこの世界の救い主である、という事実を広める大きな働きの一つになっていることを信じています。彼らは生きた証人であり、またこの偉大な知らせを広めるための働き人でもあるのです。

一つ皆さんにシェアしたいストーリーがあります。 昔々、何百頭もの羊を持つ羊飼いがいました。羊飼いは羊たちにえさをやり、草原に連れて行き、羊の世話に明け暮れていました。その羊の群れの中に、一匹いうことを聞かない、他の羊とは違った性格の羊がいました。その羊飼いはこの聞かない羊の世話でとても大変な日々を送っていました。この羊はいつも他の羊たちから離れたがりました。いつも自分のやりたいようにします。よく羊たちの群れから反対のほうへ逃げていくのです。この羊飼いはいつもこの聞かない羊を追いかけ、捕まえ、もう一度群れの中へ引き連れます。いつもこんなことばかりです。

この羊飼いはこの聞かない羊に対して、ずいぶん辛抱していましたが、もう我慢も限界です。そして羊飼いは神様に祈りました。 “主よ、詩編ではあなたは良い羊飼いと言っています。ダビデもあなたのことを、羊を緑の草原に連れて行く羊飼いと言っています。主よ、あなたは全てご存知です。もしあなたが私なら、この聞かない羊に何をするのでしょうか?” “足を折りなさい!”主は答えました。

“何ですか?!主よ!足を折るのですか?!”羊飼いはもう一度同じ質問をしましたが、主の答えは同じ、“足を折りなさい !”です。 分かっていることは主は全てを知っておられる。羊飼いは言われたことに従いました。次の日、羊飼いはこの聞かない羊を連れ出しました。羊飼いはささやきました。“主よ、私には出来ません…でもあなたがこうしなさいとおっしゃるから、私はやります!” 聞かない羊は深くうめいていました。羊飼いはこの羊の前に立ってみていることは出来ません。羊飼いの心は痛みでいっぱいでした。なぜなら羊飼いはこの羊を愛していたからです。そして羊飼いは主に従いました。 この羊が足を折ってから、羊飼いは羊の足を包帯で巻きました。羊飼いは羊が歩けないので、毎日この羊を抱えて運びました。羊飼いはいつもこの羊を自分の近いところで食べさせました。他の羊が彼を踏んでしまうことを恐れたからです。その羊はのどが渇くたびに、羊飼いの汗をかいたおでこをなめます。 この羊の頭はいつも羊飼いの胸ね寄りかかっていました。この聞かない羊は羊飼いに向かって、かわいらしい姿勢を見せ始めたのです。なぜなら、羊は力もなく、羊飼いに頼らなくてはいけないからです。 ついに何週間か経ち、羊の足は良くなってきました。羊飼いは包帯を取り、ほかの羊と遊ばせようと、羊を開放しました。ですが、羊は群れのほうへいきません。羊飼いの足元にずっといます。何度も何度も行かせようとしても、同じことが起きます。いつも羊飼いのところに戻ってきてしまいます。羊飼いはこの聞かない羊の様子に混乱しました。主が彼にこう話すまでは。

“これが私の民がまだ分からないことだ。私が彼らに重たい重荷を背負わせるとき、傷つくような、またなにか良くないことを起こらせるとき、それは彼らを私のところに引き戻すという理由があるのだ。彼らが私の心にどれだけ尊いか分からせるためにするのだ。どれだけ彼らに私に頼り、近づき、私と親密に生きてほしいか。しかし多くのときにこういうことがあると、人は離れていく。 羊飼いはやっと理解しました。なぜ主が羊飼いに聞かない羊の足を折りなさいと言ったのかを。 この話は羊飼いと羊がどれだけ深くつながっているか、羊飼いがどれほど羊を大切にするか、どれだけ羊飼いにとって羊が大きな存在かをを表現するための例えだけではありません。 イエス様はみなさんの羊飼いだと思いますか?羊飼いが生まれたイエス様に会いに行ったことを思い出してください。神様の御前に彼ら自身を連れてくるのです。彼らは神様の目で見るとおりの人なのです。この羊飼いのように、神様は私たち一人一人をこの地球で神様の働き人の一部になるために、選ばれています。私は何でもなく、何も出来ないと、考えないで下さい。私たちは神様にとって美しいものなのですから。

話し合いのヒント
今日羊飼いから学んだように、イエス様はすべての人たちを、その人たちそのままでイエス様のところへ招いてくださっています。私たちの周りには、まだたくさんの迷ってしまった人たち、“迷ってしまった羊”がいます。私たちの羊飼いは彼らのことも愛しています。イエス様の愛を広め続けましょう。このクリスマスの時を、“迷ってしまった羊”を本当の羊飼いのもとへ連れて行く時として使いましょう。