December 21st, -27th, 2008 Vol.15 No.51 Advent VI

知らされた!確かめた!喜んだ!羊飼いから学ぶ II ルカによる福音書2:8‐20

A. 知らされた (8-14)

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」(8-14)

1) 誰が、誰に、何を

この季節になると今年の10大ニュースといったようなことがテレビの番組で取り上げられますが、あなたの、今年のベストニュースは何でしたか?2000年前には、インターネット、TV、ラジオはもちろん新聞さえありませんでした。ニュースは誰かから聞くしか、それを知る方法はありませんでした。ニュースといっても多くの人々にとっては狭い生活の範囲の中での出来事に限られていました。ところが突然、今年のどころか、歴史始まって以来のベストニュースがひどく変わった形で伝えられたのです。だいたい、ニュースをこんな方法で人類が知ったということ自体がビッグニュースでした。しかもこのビッグニュースを聞いたのは王様でも政治家でも宗教家でもなく、羊飼いだったのです。  旧約聖書が伝える長い時代を通して牧羊はイスラエルの代表的な仕事でした。ダビデ王も羊飼いの家に生まれました。しかし、どうやらここに出てくる羊飼いたちは雇われた者たちか、オーナーだったとしても多くの羊を持っているわけではない,貧しい者たちでした。多くの羊を持っている人なら自分で夜通し羊の番をしなくても、誰かを雇ってさせるわけです。  そんな彼らに、天使が突然現われ,ニュースを告げたのです。彼らは日々の労働におわれて、政治や、宗教や、国際関係について考えたり、意見を持ったりする余裕など持てない貧しい庶民でした。暗い夜に突然、まぶしい光に照らされた上に天使が現われたのですから、腰が抜けるほどに驚き恐れたのも無理はありません。沢山の情報を持ちすぎている私たちであれば他の星の高等生物が乗ったUFOに襲われたと思ったことでしょう。しかも、天使の告げたニュースは「民全体に与えられる大きな喜びです。ついに救い主がお生まれになったのです」 「今まで誰も実現することのできなかった平和をもたらす方の誕生。神様の栄光を完全に表わす方の誕生」こんな話を羊飼いたちは聞いたこともありませんでした。  神様がなさることは用意周到です。この事件に遭遇した羊飼いはひとりではありませんでした。もしひとりであれば、居眠り中の悪い夢だと思ってしまったでしょう。また天使は,大変具体的にそのしるしについて彼らに告げました。ダビデの町すなわちベツレヘムで、しかも飼い葉桶に寝かされているというのです。ただ、「救い主が生まれましたよ。一応お知らせしておきます。」ということではなく、社会的には小さな存在でしかないと見なされているような人々のために、そしてそのような人々が確かめに行こうと思えば、行って確かめることのできる事としてこの出来事が起こったと羊飼いたちは告げられたのです。

2) あなたも知らされた

私はこの知らせが、最初に特別な人々ではなく、どちらかといえば貧しい普通の人々に知らされたことを喜びたいと思います。人々が寝静まっている時にも働いているような、日々の暮らしに追われて、高い理想や、国家、世界、哲学など深い思索などとは縁遠い人々に神様はアプローチして下さった、ということをうれしく思うのです。  現代では大きなニュースは世界中に瞬く間に届きます。昔はもっと時間がかかりました。このニュースが日本に届いたのは約500年のことでした。しかし、今では、多くの人がこのニュースを聞いています。多分あなたの家族や友達も、あなたを通して聞いているのです。  私は小学生までは、クリスマスとはサンタクロースの日と信じていました。イエス様の誕生ということは物語としては知っていましたが、自分には関係のない神話のようなものだと思っていたのです。つまり自分には関係のないニュース、価値のないニュースだったわけです。最初に、このニュースが私への神様からのニュースだと言って私を混乱させたのは私の妻でした。私にも知らされたのです。残念ながらその時の私は、このニュースがそれほど価値のあるものだとも思わず、むしろ信憑性を疑って無視してしまったのです。しかし羊飼いたちは私とは正反対の態度をとりました。

 

B. 確かめた (15,16)

天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。(15-16)

1) 救い主が生まれた

羊飼いたちはそのお告げを確かめることにしたのです。当時のベツレヘムは小さな町だったと伝えられていますが、ヨセフやマリアと同様に人口調査のためにこの町に滞在していた人で宿はいっぱいだったということですから、簡単に見つけられるという状況ではなかったのです。ただ彼らには有力な手がかりが与えられていました。飼い葉桶の中の生まれたばかりの赤ちゃん、というのですから飼い葉桶がありそうなところを探せばよかったわけです。もしかしたら、マタイによる福音書が伝えている3人の占星術の学者を導いた星を、彼らも見ていたのかもしれません。重要なことは、彼らが確かめようとベツレヘムに向かったことです。悲観的な、あるいはあきらめやすい人間がそれを聞いたなら「見つけるのは難しそうだから、行くのはやめておこう」とか「ニュースが本当なら、とにかく救い主は来て平和になるのだし、自分が見に行かないからといって帰ってしまうわけでもないからいいや」となってしまったことでしょう。

2) あなたも確かめた?

あなたはこの良い知らせに対してどのような態度を取るのでしょうか?皆さんは長い行列を見たとき、「これだけ人がならんでいるのは、きっとならべばいいことがある」と考えて、何の行列だかあまりよくわからなくてもとりあえずならびたくなるタイプですか?それとも、こんなに長い列は時間がかかりそうだから内容が分からなくてもパスときめこむ方でしょうか?私は、大抵の行列にはわけも分からずならびたくなってしまう方なのですが、イエス様のニュースについては全く無意味だと思ったのでパスしてしまいました。ずいぶん後になってもう一度ならび直してやっとイエス様を知ったので、こんなに価値のあることだったらもっと早くにイエス様のところへ来ておけば良かったと時々後悔します。ですから皆さんにはできるだけ早くに確かめてみることをお勧めしたいのです。あなたが既に確信しているなら誰かに伝えてあげてほしいのです。  それでは、私たちはこのことをどう確かめたら良いのでしょうか?私たちにとっての飼い葉桶はどこにあるのでしょうか?現代の飼い葉桶は教会、つまりクリスチャンです。探している人々は教会の中に、クリスチャンである皆さんに救い主を見いだすのです。といっても私たちクリスチャンが救い主なのではもちろんありません。イエス様の完璧さに近いものですらありません。あまりにも平凡で、みすぼらしくさえ見える不完全なものです。しかしイエス様が寝かされていたのは、まさにそのような飼い葉桶だったのです。 そこで、クリスチャンではない方にお願いしたいのですが、あなたの周りにいるクリスチャンのことをイエス様が寝かされている飼い葉桶だと思っていただきたいのです。私たちクリスチャンはもちろん、できる限りイエス様のように行動し、話し、愛したいと心から願っています。そのことにおいて少しずつ成長はしていると思います。しかしその達成度も成長の早さもイエス様とはほど遠いことを自覚しています。神様は愛するということにおいて、こんな不完全で成長も遅い私をも見捨てずに忍耐を持って導いて下さっています。だからクリスチャンは乏しい者であっても平安をいただいて生かされているのです。入れ物が良くないからと思わないで、こんな者のためにも来て下さったイエス様を見つけて下さい  ここに集っているクリスチャンにはこうお願いしたいと思います。皆さんの周りには、あなたのような飼い葉桶におかれたような方が救い主とは思えないといって確かめようともしない人も多いと思います。それを自分の至らなさだとがっかりする必要はありません。私たちに求められているのは、イエス様が示された完全な愛を持つことでも、当時の宗教家のように多くの知識を持つことではなくあの羊飼いのような単純さなのです。聞いて、見て、信じて、喜んでいる羊飼いの心なのです。

C. 喜んだ (17-20)

その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。(17-20)

1) 確信こそ喜びの源泉

天使が来て突然告げられたことに驚いた羊飼いはそれを確かめようと、イエス様の居場所を探し当て、そのニュースが本当であったことを確信しました。彼らはそれを喜んだのです。ニュースの内容は、本当の救い主が生まれたので新しい平和の時が来る、神様の栄光が輝く、という知らせでしたが、羊飼いたちはその内容をしっかりと理解して喜んだわけではありません。彼らはただ天使が告げたことを、労を惜しまず確かめ、確信に至り、それをそのまま人々に告げたのです。 多くの知識が人を幸せにするわけではありません。たった一つの確信が、その人の心に平和をもたらすのです。今日最初に読んだ個所に、天使たちが「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」 にもう一度注意を向けましょう。イエス様の降誕は神様の栄光として表わされるだけではなく、御心に適う人に平和をもたらす、といっています。神様に従い神様の意思に従おうとする者のことです。神様を確信して生きるということは、すなわち日々神様の意思を聞き、行おうとする者です。飼い葉桶でいいのです。

2) あなたも喜べる

あなたは喜んでいますか?私たちよりも経済的に、能力的に優れている人が必ずしも喜んでるわけではありません。むしろ悩み、悲しみ、憂鬱の中にいるのはなぜでしょう。それは心が平和ではないからです。武器やお金は平和を作り出すことはできません。SECOMに家を守ってもらっても心が平和になるわけではないのです。それなのに聖書は「喜んでいなさい」と何度も呼びかけています。神様は私たちが出来ないことをしなさいと命ずるような意地悪な方ではありません。ここにちゃんと永遠の喜びを生み出す平和を得る方法が記されているのです。それは知らされたイエスキリストのニュースを自分に向けられたものだと信じて、イエス様に近づき、彼が主であると確信して、彼を礼拝する人になることです。現代人に向かって私たちが問うべきことは、「SECOMしていますか?していないんですか?」ではなく「イエス様信じていますか?信じていないんですか?」なのです。

メッセージのポイント

旧約聖書の預言はイエスキリストの誕生によって成就しました。約2000年前の出来事です。イエスキリストの誕生は人類に取って究極のクリスマスプレゼントです。そしてこのプレゼントは今もあなたの前にも差し出されています。もしあなたがまだこの喜びを知らないのなら、どうかこのクリスマスこそ、知って、確かめて、永遠の喜びを手に入れて下さい。あなたがもしこのプレゼントを受け取っているなら、誰かにこの喜びを知らせましょう。この喜びは分け与えても減りません。与えれば与えるほど大きくなるものなのです。

話し合いのために

1) 羊飼いは誰にどのようなことを知らされたのですか?

2) それを聞いた羊飼いはどうしましたか?

3) あなたの喜びの核心は何ですか?