January 25th,- 31st, 2009 Vol.16 No.4

シリーズ:ペトロに学ぶ喜びに満たされて生きる方法3
畏れ
 アレクサンダー ガーザ (ペトロの第一の手紙 1:17-1:21)

I. 畏れなさいという命令

主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。(箴言1:7)

また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。(17)

a) 畏れるとは

b) 神様を信じない人は恐れをどう理解するか (ルカ12:5, ヘブル10:31)

 

c) 神様を信じる人は畏れをどう理解するか (ルカ11:13, 箴言9:10)

主を畏れることは知恵の初め/聖なる方を知ることは分別の初め。(箴言9:10) このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。(ルカによる福音書11:13)

II. 贖い(あがない)

知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。(18-19)

III. 神様との関係

キリストは、天地創造の前からあらかじめ知られていましたが、この終わりの時代に、あなたがたのために現れてくださいました。あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。(20-21)

a) 父としての神様を見いだすこと

b) 信仰と希望

メッセージのポイント
おそれるという言葉には否定的なイメージがありますが、実はおそれることはとても積極的で有用なことです。ペトロはこのテキストで「おそれる」ことはクリスチャンの日々の歩みの特徴であるべきだと教えています。17節は私たちに「地上での歩みを通しておそれを持って歩みなさい」と命じているのです。このおそれによって、私たちは父である神様との関係を築き、どのように救われているのかを理解し、希望と信仰によって歩むことができるのです。

話し合いのヒント
1. 父である神様を畏れるとは、どのような意味なのでしょうか?
2. この恐れはどのようなことを私たちにもたらしますか?
3. 天の父と人間の父はどう違いますか?